サハリン残留韓国人への支援問題

現在、日本では不可思議な支援が未だに続いている。サハリン残留韓国人支援共同事業体への日本の支援がそれだ。この支援事業は、冷戦などによって帰国を許されなかったサハリンの残留韓国人が家族と再会する事業として約20年前に、日本にいる民間人によって始められた。

当初は公的な支援もなく、個人で負担するしかない。少しでも国庫で負担しようというのが、支援の趣旨だったが、一部の勢力によって起こされた裁判などの過程で、「日本によって4万3千人がサハリンに強制連行された」、「日本人だけがサハリンからさっさと引き揚げ、韓国人を置き去りにした」などと

事実と全くかけ離れたことが声高に叫ばれ続けていた。

国会でも旧社会党議員による「こうした間違った認識を前提とした質問」が繰り返され、日本が支援を行っても「まだ足りない」「責任は日本にある」と追求した。これに呼応して、韓国側やサハリンの韓国人からも、日本の責任や補償を求める声が高まり、支援はいつのまにか「日本の戦後補償」位置づけにされて、野放しに増えていった。

結局、日本政府は何の検討もせず、一部の偏向勢力に押された形となり、支援をますますエスカレ−トさせ、各種施設の建設など、驚くような額の支援を行ってきた。

もともと、この支援金というのは、当時、国境がなかったソ連(サハリン)と韓国の家族を日本で再会させる為の滞在費の負担金であった。

それを旧社会党が主導して発足させた「サハリン残留韓国・朝鮮人問題議員懇談会」が、1990年(平成2年)前後にその支援金を旧社会党の強い圧力によって、「戦後補償」のように位置づけをしてしまい、さらにその支援金の額を、年々つり上げて国庫から引き出させてきた

同年7月、村山内閣の「戦後50年の謝罪」政策で、それは頂点に達している

こうした支援活動は1989年に日韓の赤十字によって設立された「在サハリン韓国人支援共同体」によって行われている。共同体といっても、永住施設の建設費や一時帰国者の渡航費などを負担しているのは日本なのだ。

これまでの日本の拠出総額は64億円を越すという。この支援事業とはサハリンに在住する朝鮮民族が一定の条件さえ満たせば里帰りと称して、韓国とロシア(サハリン)の間をタダで往復できるという、人々がうらやむ結構な制度である。

※韓国への一時帰国は、すでに何年も前から本来の目的であった家族再会は隅っこにおしやられ、付き添い役の2世、3世が主体となった「買い物ツア−化」が指摘されている。また、残留韓国人の帰還運動を続けた支援者は「本当に祖国へ帰りたがったお年寄り達はもう殆どいない。日本が支援するお金があったら、他の困っている方々に回すべき」と話している。

しかし、ここで重要なのはサハリンにいる韓国人(朝鮮族)は日本統治時代に戦時動員された人々ではなく、日本にいる在日「韓国・朝鮮」人同様、戦前すでにサハリンに自らの意思で渡った人々ということである。そして、サハリンに取り残された韓国人の帰還については、日本に法的責任はなく支援はあくまで人道的なものである。ということであるが、「理由のない支援」に今も日本人の血税がムダに支払われ続いている

※いまだにマスコミによる「強制連行」の吹聴姿勢は続いている。

H17年5月18日の朝日新聞に「サハリン残留朝鮮人 来日の2世、補償を訴え」と記事を載せており、内容は「日本が植民地として支配していた朝鮮から戦前、戦中に徴用などでサハリンに渡った朝鮮人は6〜8万人。終戦後日本人は大半が帰国したが、約4万3000人の朝鮮人は引き上げ枠からはずされ、・・・」とあり、マスコミが日本国内同様に「韓国・朝鮮」人サハリンへ戦前自ら渡った事実は報道されない

また、2005年(H17年)6月20日の日韓首脳会談(韓国のソウル)では、前小泉総理がまたしても韓国側の言いなりの「サハリン在住韓国人」の支援強化に積極的に取り組む考えを伝えている

日本人より韓国人に“手厚い”摩訶不思議な日本の支援

産経新聞 2014921()

 前回、コラムに書いた「サハリン残留韓国人」問題では、日本政府は「法的責任はない」と強調しながらも、自虐的な日本人の“ウソのプロパガンダ”にあおられ、韓国など諸外国との軋轢(あつれき)を恐れた揚げ句、根拠なき「人道的支援」を余儀なくされてしまう。しかも、日本の支援対象には“日本とは何の縁もない”戦後、大陸や北朝鮮から新たに樺太(サハリン)へ渡ってきた朝鮮人(族)までが紛れ込んでいたことは、すでに書いた通りである。

 樺太→韓国への永住帰国、一時帰国の旅費・滞在費。いったん韓国へ永住帰国した人が、樺太に残る家族に会いに行くための費用…。永住帰国者の住居として韓国に建てたアパート群。樺太の公民館やマイクロバス。さらには、医療、ヘルパー代に至るまでまさに“至れり尽くせり”の手厚い支援はこれまでに約80億円に上る。

 日本がせっせと支援を続ける彼らは「本当に帰りたかった1世」ではなく、子や孫の2世、3世が主体になっている。ロシア語しか話せない彼らにとって韓国とは、単なる父祖の地に過ぎない。日本のカネで韓国に建てた永住アパートを“別荘代わり”に使い、“買い物ツアー化”が指摘されていた樺太−韓国の旅費をなぜ、日本が支援しなくてはいけないのだろう。

 ところで、樺太には戦後、朝鮮人だけではなく「日本人」も残されていた。民間人による熱心な運動が固い扉をこじ開けて、帰国への道を開き、後には政府が支援に乗り出す−。ここまでは、サハリン残留韓国人問題と同じである。

 だが、日本の支援内容は、残留日本人よりも「残留韓国人」にずっと厚い。国民の支援よりも、「韓国などから文句を言われないこと」を優先する、とでもいうのだろうか?


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