- 卒業試験の直前に母親が急死したために大阪での就職もあきらめて山口に帰ってきた。
- 久しぶりに帰ってきた山口ではまず1年間県内をほとんどカバーしていた自動車用品店の本店に幹部候補として就職した。仕入れやローンの集計など早いうちから責任ある仕事をさせられかなり戸惑いながらもがんばった。やりたいのほ二輪の仕事だったため無理やり店舗の一画にバイク用品コーナーを作ってそれなりの実績をあげることが出来た。
- 会社の方針に少し疑問を感じ上司ともよく衝突していた。そんなときに二輪用品店の募集があって即座に応募して採用が決まった。
- ひどい労働条件やいいかげんな仕入れに反発して最後には専務と大喧嘩して丁度いいタイミングでもあったので辞めさせてもらいますと言うと社長から引きとめがとりあえずあったが翌日には辞表を提出。
- 専務から二輪の仕事なんか儲からないぞなんて言われたが、にこにこしながらそうですか〜と受け流した。あんたと仕事を一緒にはやってらんないよ〜と心の中でつぶやいていた。社員どうしは仲がよくて楽しいことも多かった。
- 次の職場(二輪用品店)には約14年勤めたが色んなことでお世話になり可愛がってもらった社長の急死のためリストラされてしまった。
- この店では店長という役をもらっていたが学生時代からの用品の知識と最初の自動車用品店での経験が結構助けになった。
- 縁があったのか南海部品の系列の店であったため大阪にも展示会などで何度も行くチャンスをもらった。
- いろんなお客さんに接して思ったのは世の中にはいろんなタイプの人間がいるんだな〜ってことでした。趣味を仕事にするときついもんだといやというほど感じさせられた。でも商売はお客さんといろんな話をしたりして楽しいしお客さんが喜んでくれて「ありがと〜」て言って笑顔を見せてくれた時にすごく幸せな気分になれるので大好きだな〜。
- しかしぶちゃけ(笑)トークすると二輪は四輪に比べると儲からないね。それに田舎は二輪人口も少なくて商売になりづらい。だから好きでもなければ続かないような気がしますよ。四輪は日頃の足でもあり実用的なものでもあるのでお客さんも多いですね。
- それに今はインターネット通販もかなりの打撃ですね、あんなに安く販売されては二輪用品店はやってらんないですね。全て自分で取り付けすることの出来る人はあっちを選びますよ。
- 愚痴ばかり言っても始まらないので取り付けをまかせてくれるお客さんや注文してくれるお客さんを大切にして隙間をぬって商売をしていこうと思います。
- 用品店ではお客さんとの出会いもありましたが、三人のM君(イニシャルの頭文字がMですSMのMではありませんよ^^)との出会いもありました。最初に組んM君は一つ年下のカワサキ狂(ファン→党→狂)のアメリカ好きの男性でしたね。カワサキのトリプル(三気筒)好きで、すごい知識と思い入れがありました。
- 彼と出会うまではカワサキ好きでもファンレベルの僕はトリプルの存在を全くと言っていいほど知りませんでした。そういえば大阪でバイクを磨いているときに通りかかったおっさんに「お〜カワサキか、昔は3本のマフラーのバイクがあったね」なんて言われたけど、その場はとりあえずうなずくだけでごまかしたなんてことがありました。
- 後にQ車ブームとかでトリプルも人気が出たときにはただ外見がかっこいいからと手を出してすぐに手におえなくて手放すなんてのをよく見ましたね。あのバイクは本当に好きで思い入れがない限り維持できないことを彼の話やバイクの部品やトラブルを知ってつくづく思い知らされましたよ。
- 新車当時ならまだしも中古でしか手に入らない現在では維持は大変難しいでしょうね。それにいじれるバイク屋さんも少ないし、避けるバイク屋さんもいるような感じです。
- 彼は僕と同じくローソンS1やジョン&パンチのZ1000ポリススペシャルなんかが好きで他の人ではなかなか盛り上がれない共通の話題がありましたね。忘れた頃に家をポリススペシャルで訪ねてきて買うことを急かされます。
- 彼はアメリカ大好き人間でアメ車にのって左腕を窓枠にかけ見てる外の景色はカリフォルニアの青い空ってほどの人でたまにですがアメリカにも行ってバイクの部品や本体も仕入れてくるほどです。
- なんたってすごいのがアメリカに行くために英会話も習っていたんです、すげ〜って感心しましたね現在もカワサキ狂の生活には変りはないようですが、あまり会うこともありません。
- 二番目のM君は僕が走りのセンスを感じさせられたバイク乗りの一人で一時期は関東方面に出てトレーラーの運転手をしながら筑波サーキットを走ってたりしましたね。某メーカーのチームでテストライダーとしても走っていたみたいです。今のMINEサーキットが西日本サーキットと呼ばれていたころ一緒にサーキットを走ってました。彼は下関のバイク屋のチームに所属してレースにも出てました。僕はと言えば走りのセンスもなくただもくもくと練習走行ばかりしてました。でもその時期がとても楽しかったですね。もう一人のお客さんも走りに行ってましたが、彼は余裕なのか走行中に女の子を見ててコースアウトしてグリーン上を走るようなすごいやつでした。
- M君とは一緒に店に勤めている頃に大阪までツーリングしたことがあり朝早く出かけて岡山に付く手前の記憶がない状態で二人とも走ってなんて危ない経験もありました。雨の六甲山を走ったり清原さんの店プロショップKIYOに行ったり須磨海岸での記念撮影、神戸駅の裏手にある女子高近くの国民宿舎の泊まるときにバイクが路上駐車になると盗難の危険があるということで石段をオフロードバイクのように登っていって宿裏にとめたなんてことも今ではいい思い出です。
- しかし大阪での記憶は日生球場近くの宿ではツーリング途中であったが彼はバイクをしっかりと磨いていたのには感心しましたね。僕は帰ってからでいいやとそのままでしたね。
- オフロードバイクにはまっていた時期には二人で夜な夜な山に走りに行ってたりしました。よく街灯なんかが全くない山の中を走ってましたよね。お〜こわい!
- 彼は現在は山口で車のケアショップを経営して頑張っています。やる気バリバリできっと勝ち組になることでしょうね。
- 最後のM君は走ることよりもバイクいじりの好きな子で暇さえあればバイクに触ってましたね。しかし走りに関しては同じ人間なんできっとスペンサーや平選手のように走れますよ〜なんておもしろいことを言うので他のお客さんは呆れてました(^^)
- キャブのセッティングなんかはとても細かくやっていいデータを出してましたよ。ただ400ccもあまり走りこまないときに大型免許を取ってXJR1200を買って乗って峠でバイクを大破させて今もバイクから離れてしまっているのが少し残念ですね。
- 山口に帰って来てからのバイクは最初はZ400GPとスカイを大阪からそのままのり続けていましたがバイク用品店に勤めて1年後くらいに現在も乗っているGPZ750Rを購入しました。
- しかし乗り始めの1500Kくらいで走行中に前輪が砂にのったか白線にのったかで車を追い越した時にすべって少し叩きつけられるような感じで転倒して対向車にすべりながら衝突&踏まれる?という悲劇に見舞われました。幸いにも僕は峠を走ってきた帰りで革ツナギを着ていたので転げていったものの大したダメージもありませんでした。もちろん革ツナギは擦れて傷だらけになりましたけどね、バイクを踏んだ車の後続がすぐにきてたらお陀仏でした。ラッキーだったんでしょうね。
- その事故でバイクの状態は保険屋の査定なら廃車扱いのところ人に馬鹿と言われながら定期預金を解約して再生しました。今も少しその時の影響や名残があるんですが、とてもかわいいやつです。
- スカイでちゃんと速度を守って走っていたときに白バイに並走されて切れていたメーターケーブルを見つけられ整備不良で切符を切られたなんてなんてことがあったんですが、そんなことしてるくらいだったら他にすることがあるでしょって思いましたよ。あの時のことは今も忘れることもなくそのとき隊員の名前もしっかりと覚えていますよ〜呪ってやる〜(爆)
- バイクの整備は仕事でもありエンジン内部以外は一通り出来るようになってますが、バイク屋さんではないので出来ない部分はず〜っとお世話になっているバイクショップのバイクピット・フェイスにお願いしています。前のショップの常連さんたちもよく出入りしてる信用出来る大型バイクの整備に強いお店です。社長さんがとてもいい方で良心的な工賃の設定でたまにお客さんの方が心配するくらいだったりします。
- 僕も業界の話やバイクのことでお金にもならないことで話にいって迷惑をかけてます。昼間はお姉さんがお手伝いにこられてますがほとんど今は一人で仕事をこなされています。あとかわいい猫ちゃんがいるので猫好きにはいいかもしれませんよ。
- 僕のところにもフェイスにあるようなバイクリフトがあれば整備をするときには助かるんだけどな〜。腰が痛くならなくていいんですよ。お金がないので今のところはガマン。
- 前の店を辞めるまでにはロングのツーリングでは6年間くらい年に2〜3回ほど東京に後輩にあたるしろちゃんの関係するクラブの初日イベントやツーリング、キャンプに参加するために高速道を長時間乗って行ってましたね。人は呆れていましたね、何であんなに無理して東京にいくのかと・・・。
- あとのツーリングは第二のM君との大阪やお客さんといった熊本くらいがロングですね。そ〜言え明石のカワサキの工場経由の軽井沢のシルバーストーンというペンションにも行きましたね。そのペンションはケン・鈴木(鈴木建夫氏)さんという世界GPでカワサキKRが常勝をほこっていたときのチーム監督をしていた方が経営されているものでした。玄関にはあのKR500がで〜んと置いてありレースに関する写真が多く飾られていましたよ。KRにまたがっての記念撮影もさせてもらえてカワサキファンにはたまらないペンションです。コークバリントンもキヨさんも他のカワサキレーサーも多く宿泊に来られているみたいでした。
- やはりソロで走ることが多いし超安全運転なんで僕と走ってもおもいしろくないでしょうから、なるべくソロでってことになります。いつものルートは阿武川ダムへの道を走って秋吉台へと行きライダーが多く集まる大正洞の駐車場に行くことが多いです。
- 400の頃にはシグナルGPなんかも大阪ではやってましたが、山口の田舎ではまるですることもなくゆっくりと走っていますよ。亀さんは亀さんらしくやってます(^^)v
- この命がある限り・・・生かされている限り・・・いつまでもバイク乗り
