第十七回 血槍富士


第十七回は「血槍富士」(昭和30年・東映)です。
さぁ、やっと登場、片岡千恵蔵御大の作品です。では粗筋からどうぞ。


酒匂小十郎(島田照夫)、中間の源太(加東大介)と槍持ちの権八(片岡千恵蔵)の主従三名が
東海道を江戸に向かっていた。

道中のある時、宿に泊まっていると泥棒騒ぎが起きる。
風の六右衛門という盗人が本陣宿へ忍び込んだというのだ。
皆が「物騒ですな」などと噂をしていると、途中で主従と道連れになった少年次郎(植木基晴)が
泊まり合わせの人物こそ六右衛門だと気づく。
六右衛門、あわてて逃げて玄関にたどり着いて戸を潜ろうとすると、にゅっと出てくる槍の穂。権八であった。

その活躍で六右衛門は捕まり、盗賊逮捕協力の手柄として小十郎に感謝状が下された。
「これは権八の手柄だから」と受け取りを断る小十郎であったが、
「家来の手柄は主人の手柄」といって、役人はそのまま感謝状を置いていってしまった。

「家来といっても同じ人間ではないか、自分の手柄であるはずがない。」と釈然としない小十郎。
源太を連れて外へ散歩に行くと、大名行列にぶつかった。
土下座をする町人と、その間を悠々と通っていく行列を見る。

その後、二人はそのまま一杯飲み屋へ入った。
実はこの小十郎、非常に酒癖が悪く、江戸に着くまでは酒を飲まぬことに決めていた。
しかし、胸の中の釈然としない思いに任せて止める源太の声も聞かず飲んでしまう。
そこへ主持ちと見える六人の侍がもう酔っ払った様子で店へ入ってきた。
小十郎とサシで飲んでいた源太を見て
「下郎が主人と同席して酒を飲むとは何ということだ。身分をわきまえろ。」と横柄な調子でのたまう。

「下郎とて同じ人間ではないか。主人と同席して何が悪い。無礼を申すな」と言い返した小十郎だったが、
相手は刀を抜いてしまった。小十郎のほうも飲んでおり、抜いてしまう。
やめてくれるよう謝る源太だったが、頭を下げたまま侍に斬られてしまう。
そのまま刀は小十郎へ向けられ、応戦むなしくこちらも斬られてしまう。

連絡を受け、槍を持って駆けつけた権八の目にうつったのは二人の変わり果てた姿であった。
逆上し、槍を振るって戦う権八。
 

内田吐夢監督作品です。
この作品の見所はなんといってもラストの権八の立ち回りでしょう。
武士6人を相手に怒り心頭我を忘れて向かう権八の姿は鬼気迫るものがあります。
決して見事な槍捌きではありません。めったやたらに叩きつけて、空振りだらけです。
しかし、その素人臭い槍捌きがより権八の怒りを思わせるように見える千恵蔵の珠玉の立ち回りです。

また、この作品は大正時代に河部五郎主演で作られた作品のいわばリメイクであります。
そこで、ちょっとその差を比べてみましょう。
河部版では宿場の女に惚れた権八が仮病を使って逗留を伸ばし、
その間に主人が悶着を起こし斬られてしまい、自分の責と思った権八が槍を振るうという筋書きです。

千恵蔵版は上に書いたように、身分の差が引き金になっています。
私の勝手な考えでは、河部版のほうがシナリオを見る以上、良いように見えます。
もっとも河部版はフィルムが残っていないので今見ることはできないんですが。

さて、全体的な感想ですが、ちょっと物足りない感じがしました。
この作品は各方面で評判が高く、それで私が期待を大きく持ちすぎたせいもあるかもしれませんが、
やはり主たる要因は見せ場が最後に固まりすぎているところでしょう。
ラストにいたる複線も最後のほうに偏っているように思いました。
しかし、最後の立ち回りだけは立派なものです。ここは一度見ておくべきものであります。

色々書きましたが、見て損するほどの内容ではありません。 興味のある方はどうぞご覧ください。

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