第十一回は北野武監督作品「座頭市」(平成15年)です。
例によって簡単に粗筋を。



座頭の市(ビートたけし)は旅の途中で、ある宿場町に立ち寄った。
そこで、荷物運びを手伝ったのが縁で百姓おうめ(大楠道代)に世話になる。
しばらく逗留することにきめた市は、銀蔵親分(岸辺一徳)の賭場へ出かける。
そこで、おうめの甥の新吉(ガナルカナル・タカ)と出会い、意気投合する。

賭場で儲けた二人は女郎屋に向かうが、
店の前でおきぬ(大家由祐子)おせい(橘大五郎)の姉妹に話しかけられる
。一席設けて話を聞くと、二人は、強盗に入られた大店の子供だった。
両親はその強盗に殺され、敵を討つのだという。
彼女らは一時、おうめの家に世話になることにする。

一方、銀蔵一家には、凄腕の用心棒、服部源之助(浅野忠信)が入っていた。彼の妻は病気である。
その日も銀蔵の賭場で遊んでいた市と新吉であったが、賽のいかさまを発見。
喧嘩になり、一家の若い衆を瞬く間に斬ってしまった。


11月6日に日曜ロードショーで放送されたものを見ました。
この作品は評判が高いと聞いていたもので、久しぶりに平成の映画を見ることになりました。
 
さて、肝心の出来についてですが、全体としてそれほど悪くないといったところでしょうか。
長所と短所とを分けて述べてまいりましょう。

まず長所ですが、1点目はかつらですね。かつらと地肌の境が見事に隠れています。
近頃の時代劇では結構、境目が見えて興ざめするものが多いのですが、この点は素晴らしいと言えます。
2点目は明暗の使い分けです。読んで字のごとくですが、この明暗の扱い方は賞賛に値するものです。

では、短所はどうかといいますと、近頃の時代劇に多い点ですが、時代考証に突っ込みどころが多くみられます。
例えば、おうめの家の照明です。なんと、蝋燭を使っています。
当時、蝋燭は高級品で、間違っても百姓風情の手に入るものではありませんでした。
飲み屋で酒を出すのに徳利を使っていたのも、錫のちろりなんかを使うとより良かったと思います。

もうひとつ、考証の点で惜しかったのが、最後に服部の妻が自害するところ。
あそこで、正座した足を結んでおけば(両足が開かないように結んでおくのです。)、きまったのですが、残念でした。
他の点では、効果音が多すぎることがあげられます。
一番そう思うのは、御前試合(服部が木刀で叩きのめされるところ)です。
木刀が打ち合う音はよいとしても、帯やたすきなどの音はあそこまでつけると耳につきます。

最後の悪い点、これが最も邪魔なように私は思うのですが、ラストの祭りでのタップです。
あれが挿入されたことで、なにやら、こう、妙にハッピーエンド臭さを出しているようにみえて、
どうも釈然としませんでした。
いっそのこと、くちなわの頭を斬った後、そのまま市が転ぶ場面に行って終わったほうが
より良かったのではないかと思います。 

総括として、最初にも書きましたが、確かに悪くはない映画です。
ところどころにあるギャグなどは、たけし軍団らしい、いい間を持っていてなかなかよかったように思います。
ストーリーを見ても、結構いいものでしたので、
時代考証などの点をもう少し見ればもっとよい作品になったのではないかと思います。

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