第三十一回 君と別れて


半月振りの更新となりました。
蔵松観賞記第三十一回は吉川満子主演『君と別れて』(昭和8年・松竹)です。
では粗筋からお読みください。



菊江(吉川満子)は芸者をして息子・義雄(磯野秋雄)と暮らしている。
そんな母の仕事を好ましく思っていなかった義雄は、不良集団に入りまともに学校にも行っていなかった

ある日、義雄は菊江の後輩芸者・照菊(水久保澄子)に誘われ、彼女の郷里に同行する。
照菊の実家は貧しく、彼女はそのために芸者になったのである。
今回の帰郷は照菊の妹(藤田陽子)をも芸者にしようという父親(川村黎吉)を
思い止まらせるための説得の帰郷であった。
その生活と貧しを見た義雄は更正することを決心し、
同時に自らの心に内にあった照菊への想いにはっきりと気づく。



前回の『浮雲』と同じく、成瀬巳喜男監督作品です。
今作はサイレント映画でして、
台詞のために間にチョコチョコと字幕のみの画面(中間字幕)が出るやつです。

これは、とりあえず青春映画というくくりでいいのでしょうか、
いや、母親と息子という親子関係を重く見た方がいいのだろうか…。
この作品、こういう分類が難しいのですね。
たった60分の作品なのですが、二つの軸がうまいこと絡まってまして、単純には分けられないのですよ。
ま、いいですね。とりあえず置いておきましょう。

内容を見ていきましょうか。
今回は視点を変えて本作品の中での「笑い」に焦点を当ててまいります。
本作品では、サイレント期の映画ギャグとでも言いましょうか、
笑いどころが上手く入っています。
例えば、冒頭で飯田蝶子扮する芸者屋の女将が、キセルを逆にくわえてアチチッとなったり、
義雄が靴下(黒)に穴が開いているのを見て、足が出ているところに墨を塗ったりといった具合です。
たわいないものではありますが、この声の無い空間でそういうことをされると、
見ているこちらとしては、どうにも笑ってしまうのですよ。

また、この作品に限らず成瀬作品全体にいえることかもしれませんが、
ディティールの細かさが挙げられます。
最もこれをあらわしているのが、最後の場面。
場所は駅(品川だったか?)、急行列車の発車直前です。
ここで、義雄と照菊二人の写しが入るのですが、
その合間にほんの数秒ホームの時計が映るのです。時刻は11時20分。
この時刻、当時の時刻表を見ますと丁度大阪行きの急行が発車する時間なのだそうです。
作品内では一切、大阪だのといったことに触れられてはいないのですが、
観客が家に帰った後、時刻表を見て、「ああ、あれは大阪へ行ったのか。」と思わせるわけですね。
映画館の中だけで作品を終わらせない、そういうつくりかたです。

さて、今度は役者さんを見ていきましょうか。

まずは主演の吉川満子。松竹の女優さんです。
前に紹介した『生まれては見たけれど』でもお母さん役をやっていましたが、いやぁうまいです。
「日本のお母さん」を演らせたら右に出る人はそうそういないのではないでしょうか。
イメージとしては、『サザエさん』のフネですね。
肝っ玉母さんではなくて、優しいお母さんといった感じ。

今回も母親役ですが少し毛色が変わって芸者さんです。
息子を育てるため、学校(旧制中学)に通わせるため働いています。
芸者さんですから、ですからというわけでもありませんが、「旦那さん」というのが付いているわけです。
横文字で言うところのパトロンというやつです。
今回この役は荒井淳が演じています。
この旦那がですね菊江と別れたいという場面があるのです。
要は、菊江は過ぎるというわけです。
で、息子のこともあって自棄になった菊江は、酒を飲んで飲んで大暴れしてしまうのです。
挙句の果てに、剃刀で旦那に斬り付けかけたりします。
このときの、吉川満子の形相は凄まじいものがありまして、
無声なのですが、その場の音が聞こえてくるかのようでした。


次に、後輩芸者で義雄といい仲になってしまう照菊役の、水久保澄子。
この方、演技もさることながら容姿がよろしい。
綺麗というよりも可愛らしい、可憐という言葉が合うでしょう。
本当に可愛らしい娘さんですよ、無声時代の役者さんでは随一ではないでしょうか。
当時もだいぶ人気があったようで、アイドルのようなものだったようです。

終盤、照菊はある事件で怪我をしてしまって、入院するシーンがあります。
そこで義雄と話すシーンがあるのですがそこでの台詞がねぇ。
「誰よりも義雄さんが好き」ときた。
義雄君だってね、惚れてますからね、そりゃもうあれですよ。
しかし照菊は遠くへ行かねばならないのです、
妹が芸者にならずに済むにはそうするよりほか無いのです。
義雄は泣きますよ、見ているこっちも泣きますよ。
無声映画の文字だからこそ余計に、なのかもしれません。
いいシーンでした。


この作品、繰り返しますがとてもよい作品です。
絶対に見て損する無いようではありません。
しかし、残念なことにまだビデオ化・DVD化共にされていないようです。
ですので、皆さんのご近所でもし上映会などあるようでしたら
是非足をお運びになってみてください。
では今回はこの辺で。


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