もう二度と戻りたくなかった。
でも、祈らずにはいられない。
20. 古戦場
「あと少しであの日だな」
「あれからもう何年も経ったんだな」
思い出したくない。
最初で最後の悪夢であって欲しい。
「毎年のことだが…」
『死の匂い』が今でもずっと続いている。
「俺、また変になっちゃうかもしれないな」
笑って言うが冗談に聞こえない。
「私がいるだろう?」
「そうだな」
無邪気な笑顔はあのころと変わらない。
今年のその日は雨だった。
「おはよう」
どこか緊張した雰囲気のがオフィスのドアを開けた。
誰とも目を合わせずに自分の机に向かう。
「悪いけど、今日はロイのところで仕事するから」
机の上に置かれた書類をかき集めて急いで部屋を出る。
「中佐?」
ホークアイ中尉の声も聞こえていないようだった。
「信じられないよ!」
別に何を錬成しているわけでもないのに赤に金が光る瞳。
「朝起きたら視界は真っ暗だし、頭痛、吐き気等々で大変だ」
「今日は来客の予定はない。仕事をしていて辛ければそこのソファーで横になるといい」
「無理言って悪いね」
出来るだけ書類を片付けなければどうせ今日のうちにさらにまわってくることだろう。
さらに溜まるのはの性に合わなかった。
その上、今日ばかりは片手での作業しか出来ない。
しばらくは書類に書き込むことに専念するが、光の入らない目では当然文字は見えない。
仕方がないのでインクと紙との質の違いを指で感じるしかない。
作業効率が悪すぎるのは確かだった。
しかしそれも長続きしなかった。
眉間に手を当てソファーに沈み込む。
思ったより今年は重傷だ。
「帰った方がいいんじゃないか?」
ロイがわざわざ机からこちらに歩み寄る。
要するにただサボりたいだけだろう。
「大丈夫。それにぶっ倒れたら危険なのは家の方だ」
「頭痛薬あたりは飲んだのか?」
「そんなもの家にあるわけないだろう」
サボりたがりのロイは、
「それなら私が君のために貰ってこようではないか」
と勢いよく立ち上がりドアへ向かう。
「中尉に怒られるぞ」
「今回は正当な理由があるからな」
嬉しそうに出ていくがこっちはそれどころではない。
適当にいってらっしゃいと声をかけて再びソファーに寝転がった。
雨の日は注意しないと…。
「失礼します」
ドアをノックして開けるが探している大佐はいなかった。
代わりにソファーには先ほど様子のおかしかったがいた。
「中佐…?」
声をかけても辛そうな顔のまま眠っている。
「?」
何度呼んでも返事はない。
普通の彼ならば人の気配を感じるとすぐに目を覚ましてしまうはずだ。
「おや中尉?」
いきなりドアが開くとドキッとする。
「大佐、また…」
「今回は違うぞ。のために頭痛薬を取りに行っていた」
「頭痛薬?」
に一応声をかけてみるが反応がない。
ロイは頬を叩いて起こす作戦に出た。
「起きたまえ」
「ん?あぁ、ロイ。どうかした、って痛…」
額に手を当てて再び目を閉じた。
「わざわざ貰ってきてやったんだ、感謝しろ」
瞳は先ほどと変わらずの瞳だった。
「中佐…?」
「あ、リザさん…じゃなかった、ホークアイ中尉。どうかした?」
蛍光灯に反射する瞳は慣れていない者にとっては恐ろしいものに見えてしまう。
「気分が優れないと聞きましたが…」
「あぁ、うん。頭痛、吐き気等々…。それと」
は自分の目を指さしてみせる。
「こんな感じ」
「今日はたまたま…」
「いいよ、ロイ。ホークアイ中尉だし」
再びソファーに体を預ける。
「今日は彼の家族が亡くなった日だ。毎年この状態になるんだ」
「去年はマースに迷惑をかけたよ」
「今日はお帰りになった方がいいのでは…」
「帰った方が誰もいないから危険だ。もし頭でも打って意識不明になったら大変だからね」
それこそ手遅れだ、と笑ってみせる。
しかしそれがかえってホークアイ中尉をさらに不安にさせたようだった。
「ではもう今日のお仕事はいいですから、横になっておいてください」
「いや、書類が誰かさんのお陰で恐ろしくたまっていてね」
ホークアイ中尉の痛い視線を背中に感じてロイが振り返る。
「私がやればいいんだろう…」
「久しぶりに一から書類を作るのも面白いかもしれないよ?」
大きく深呼吸をして再びソファーに寝転がった。
「中佐、せっかく大佐が薬を貰ってきてくださったのですから」
「あぁ、そうだった」
今まで頭痛薬なんて飲んだことがない。
ヒューズ中佐の部下だったときはどちらかというと気怠さが酷かった。
「うえ、なんだこれ?」
新感覚の不味さだった。
胃腸薬とも違うし風邪薬とも違う。
「本当に飲んだこと無かったのか?」
「無い。今まで飲んだことがあるのは風邪薬と胃腸薬だけ」
いつもの余裕が感じられない。
コンコン、時のドアを叩く音がして二代目豆がやってきた。
気配がないのでかえってよくわかる鎧の弟もいる。
「大佐、しかたがねぇから書いてきてやった」
「こんにちは」
さすが弟。
あいさつもなしに入ってきた兄とは大違いだ。
「よ、二代目」
「…ってどうしたんだ?何か錬成でも…」
「あぁ、今日はちょっと特別でね」
エドの瞳とは違うよく光を反射するその瞳。
興味津々といった感じだ。
「でもこの目、俺は別に怖いとか思わないけどな」
彼女もそんなことを言った。
俺の目が怖くないなんていった奴は彼女と、ロイと、マース。
そしてリザさん。
全く、何を考えて怖くないだなんて言えるのか。
「そっか…。二人とも、今日の予定は?」
「予定?俺はないけど…。アルは?」
「僕もありません」
ソファーから立ち上がり、背伸びをした。
「ロイ、やっぱり俺、今日は帰る」
「…、ちょっと来い」
言われるままに部屋の隅に移動する。
「話すのか?」
「…さすがロイだな。その通り」
「あまり無理をするなよ」
「わかっている」
こいつもこいつなりに優しい。
いつもは全然気にかけないくせに。
「休暇届は私がどうにかしてやる」
「ありがとう。じゃあリザさ…ホークアイ中尉、今日はこれで」
「中佐」
真っ直ぐ自分を見上げているその顔が見えないのがとても残念だ。
「何かあったらすぐに連絡してください」
「…あぁ」
明日になるのが待ち遠しい。
「じゃあ行こうか」
「おう。大佐、これ」
差し出した書類は恐らく以前あった列車事故のことだろう。
「ご苦労」
「あ、お邪魔しました」
ドアが閉まる前に少しだけ手を振った。
リザさんに見えていたかはわからなかった。
「噂通りだな」
「何が?」
「『光』を使うのに真っ黒な服を着てるってこと」
「ああ」
軍服から着替えたはこの前とは違うデザインだが真っ黒な服を着ていた。
「そこだ。ちょっと話したいことがあるんだよ」
ロイとが二人だけで話をするときはいつもこの店だ。
酒がほとんど飲めないのためにロイが選んだ。
「あの個室、空いてる?」
「あぁ、夜じゃないからあまり人は来なくてな」
店のマスターに声をかけて一番広い個室を借りる。
「好きな物、頼んでいいからな。アルは元に戻ったら俺が必ず奢るから」
「あ、はい!」
さて、とは正面に二人を座らせて言った。
「俺の錬成方法、どうしてこうなったのかは大体予想がつくだろう?」
二人は顔を見合わせて遠慮がちに言う。
「人体錬成、か?」
「ご明答」
二人は顔を強ばらせる。
「でも錬成をしたのは俺じゃない。両親だ」
二人はの言葉が紡ぎ出されるのをじっと待っていた。
「俺には妹がいた。俺と一つしか違わなかったけど、凄く可愛くて。でも、俺が五歳の時に死んだ」
あいつは俺の後をいつもついてきた。
結局何もしてやれなかったと幼いながらにそう思った。
「そして、俺の両親は妹を錬成しようとした」
あの日も雨だった。
「俺が覗いたとき運悪く扉に巻き込まれてしまったんだ」
「扉、あれのことか!」
「あれ?ってどれ?」
なるほど、アルにはその時の記憶が消えているようだ。
「ショックで記憶が飛んでるんだろうな。まぁ、じきに思い出すさ」
「は、はぁ…」
「結局俺は両親と引き替えにこの力を手に入れてその上、今、のうのうと生きてるって訳だ」
両親、と聞いて二人は愛しい思い出と憎むべき思い出が交錯しているようだった。
「その時の俺には魂を何かに定着させるなんて考えもつかなかった。だって錬金術を初めてまだ一年のことだったから」
のことは、先にリザさんに話すべきだろうなぁ。
「と、いうことだ。早くに全てのことを理解したんだから世の中のこともわかりすぎるほどわかるよ」
赤い、そして金色に光る瞳が細められる。
「俺達は…」
「ストップ。君たちは目的を達成してから教えてくれ」
驚いた顔をして顔を上げるとこの前のロイみたいにプレーリードッグだ。
「俺は君たちのために賢者の石についての情報を集める、それだけだ」
「それじゃ等価交換にならない!」
「いいんだ。俺のこの目は罪の証。これで罪が軽くなるなんて思ってないが」
きっとならこうするはずだから。
「…、あのさ俺達今からすることもないし、お前の家に泊まりに行ってやってもいいけど?」
彼らの精一杯の礼。
本当に、お人好しばかりで困る。
「ありがとう」
そう言うと嬉しそうに顔を見合わせて笑った。
もし妹が生きていたら俺達もこんな兄妹になっただろうか?
神さまはいないってわかってるけど。
どうか、彼らがずっと一緒にいられますように。