一千年の西の京部会 
 
今に五〇〇年、そして未来に五〇〇年

■1 はじめに
 
 「一千年の西の京」とはちょっと聞き慣れない言葉であるが、私たちの部会の名称であるこの言葉には大変深い想い入れと強い決意の表れがある。
 今から約五百年前、大内氏が京を模してまちづくりを行い、当時、西日本最大の都市として栄えた山口。その当時の山口は、単なる大きなまちではなく、文化をこよなく愛し、中国大陸や西洋との様々な交流を進めた先進性に富んだ都市であったと言われている。その後、日本の新時代を築いた明治維新を経て、二十一世紀の現代に至るまでの五百年、今も変わらず、「西の京」として雅な風情が漂う山口。後世にもずっと残しておきたいまちの風景がこの山口にはある。それは、大内文化に始まる多くの歴史が集約するまちであり、ゆるやかに時の流れが香り、人々のふれあいのなかで語り継がれていくまちであり、身近で豊かな自然を思いやり、共存していく事のできるまちである。
 このように私たちのまち「西の京」山口は大内氏の最盛期から五百年の歳月を経て今日があり、歴史の通過点に過ぎない今に生きる私たちは、引き継がれている大切なことをこれから先の五百年へ伝えていく責務がある。
 こうした想いから、私たちの部会の名称は、大内氏の時代から今に五百年、未来に五百年というコンセプトのもと、「一千年の西の京部会」としているところである。
 私たち「一千年の西の京部会」のメンバーは、この想いが多くの市民の方々へ拡がっていき、市民の総意となっていくことを期待している。そのための焚き付け役となって、私たちメンバーは取り組んでいく決意でいる。


■2 部会誕生までの経緯

?大内文化まちづくり研究会
 大内文化まちづくり研究会は、まさに私たち部会の生みの親である。この研究会は、山口市が個性的なまちづくりを進めていく上で、本市固有の大内文化をまちづくりにいかに生かすべきかを研究するために、平成九年、中堅市職員と民間人からなる総勢二〇名で発足したものである。このメンバーのいわば残党組が、現在、私たちの部会の主要メンバーとなっている。この研究会は、平成一一年三月に、「一千年の西の京」と銘打った報告書を市へ提出するまでの約二年間活動し、現在は解散している。

報告書


 この研究会が報告した「一千年の西の京」報告書は、私たちの部会のバイブルでもある。報告書は、市へ提出されたのち、市が策定した「第五次山口市総合計画」(平成一二年三月)の中で、「大内文化まちづくりプロジェクト」として、主要な考えや施策が位置づけられている。
この中で、報告書が提案した大内文化のまちづくりを重点的に進めるべき地域「大内文化特定地域」も位置づけられた。

大内文化特定地域


 しかしながら、「第五次総合計画」は行政計画である。つまり、行政が主体となって進める施策が掲げられているにすぎない。当然のことながら、私たち市民が主体となって進める施策(この報告書のかなりの部分にあたる)は、掲げられていないのである。このことが、私たち、この研究会の残党組が活動を始めるに至ったモチベーションとなったのである。報告書をまとめた責任上やらざるを得ない、いや、やらなければならないという義務感のようなものが沸き上がったのである。

◆大内文化のまちづくりを考える会
 大内文化まちづくり研究会の解散後、その残党組で構成される大内文化のまちづくりを考える会が平成一一年に発足した。発足したといっても、あくまでも有志による集まりであったため、会としての存在は脆弱であった。そんな中でも、志は高く、壮大な構想を胸に秘めていたのである。
 まず会として、具体的な活動につなげるために、また、組織力を強化するために、メンバーの増強に力を注いだ。ちょうど同じ頃、市の方で実施されていた将来のまちづくりリーダーを養成する講座(まちづくり達人養成塾)が行われており、幸い、この講座でメンバー募集の機会をいただき、趣意書をもって会への参加を呼びかけることができた。これが、功を奏し、数名のメンバーの新たな参加をいただくこととなった。この新たなメンバーは、大内文化をテーマにアートふる山口のイベントも企画したメンバーであった。そして、数回の座談会を菜香亭などで実施することができたのである。これが、平成一一年のことである。
 この年は、この座談会のみで活動を終えることとなったが、私たちメンバーと共通の想いを持った方が、市内にはたくさんいるはずだということを確信することとなった。しかしながら、このような想いや夢を語るだけに終わってしまい、具体的なまちづくりに向けた策を打ち出すに至らなかったのは残念であった。
 迎えて平成一二年。具体策のないまま会の活動も滞ってしまい、暑い夏の時期を迎えていた。なかなかメンバーの増強も思うように進まずにいたのであるが、ここで、この会で進められる具体策を掘り下げてみることとなった。そして、出来上がったのが「一千年の西の京」五カ年計画である。内容については後ほど掲げることとするが、行政施策も巻き込んだかなり大がかりな計画となっていた。

 早速、この計画を提案書として、市へ相談してみることとなった。数回の協議の末、文化振興課からの委託事業として、平成一三年度の事業予算が付くこととなった。ただし条件として、市から事業を受託するためには、それ相当の組織を持った団体でなければならず、組織強化を余儀なくされることとなり、山口まちづくりセンターの部会として組織化される契機となったのである。
 明けて平成一三年。平成一三年度の予算獲得に成功し、意気揚々としていたが、私たちとしては、今すぐにでも活動できる機会を窺っていたのである。そんな折り、市の商工振興課主催で、三月ごろに山口伝承総合センターにおいて、この年一〇周年を迎える当センターを記念したイベントを行うとのことで参加団体を募集しているとの情報を入手した。このイベントは「やまぐち伝承ものづくりまつり」と称し、大内塗りや山口萩焼など山口の伝統工芸、物産をテーマに実施するものであったことから、私たちの活動テーマにも通ずるため、参加することとなった。

やまぐち伝承ものづくりまつり


 このイベントの中で、私たちが実施したのは「茶・チャ!サロン西の京」という名称で、「一千年の西の京」報告書の概要をイベントに訪れた多くの市民に説明し、コーヒーをすすりながら気楽な座談会を催して、一人でも多くの方の賛同や協力を得ていこうというものであった。

「一千年の西の京」報告書の概要


 この座談会には、数名の市民の方、特に、地元大殿地区(この地区内に前述の大内文化特定地域が設定されている)の方も参加され、私たちメンバーも外に住んでいてなかなか知ることのない地元の方の切実な思い、あるいは、提案などを聞くことができ、これから本格的な市民主体のまちづくりを進めていこうと考えている私たちメンバーにとって、実り多きイベントになった。

◆「一千年の西の京部会」誕生

 平成一三年度を迎え、いよいよ市からの委託事業を受け、本格的な活動を行うこととなる。しかし、何事も産みの苦しみがあるもので、私たちの部会もご多分に漏れず、部会としての活動はなかなか始動できなかったのである。
 平成一三年は、西暦二〇〇一年、つまり、二十一世紀という新しい世紀の始まりの年である。この年、わが山口県では、「元気」をテーマに、二十一世紀未来博覧会「山口きらら博」が開催されたのである。県民総参加を謳い文句に、私たちメンバーも大部分がこの博覧会に全力を注いだのである。九月末まで続いたこの一大イベントも空前の入場者数により大成功を納めた。
 そのイベントの余韻も残る中、私たちの部会も活動を開始かと思っていた矢先、部会長が病に倒れ入院することに…。幸いにも、奇跡的な回復をみせ、二ヶ月後に退院。
 そして、ようやく、年の瀬せまる時期ではあったが部会が産声を上げ活動を始めたのである。


■3 部会の活動計画

◆「一千年の西の京」五カ年計画

 前述にも多少触れた「一千年の西の京」五カ年計画(平成一三年度〜平成一七年度)であるが、市へ平成一二年一〇月に提案書として提出した内容の概略をここでご紹介する。

◎「一千年協会」(仮称)の立ち上げ

 ・「一千年の西の京」の報告書で提案されたプロジェクトを実施運営するための「実行部隊」となる組  織をつくる
・各団体、個人の取り組みを支援する総合的窓口となる組織づくり
・行政と民間の中立的位置づけ

◎市役所の横断的窓口「大内文化のまちづくり推進課」(仮称)設置

・市役所内の各部署を横断的に統括する大内文化を生かしたまちづくりを担当する課の設置を要請
・民側の推進組織との相互連携による官民一体となった協力体制をつくる

◎各年度実施計画(平成一三年度〜平成一七年度)

(平成一三年度)
・組織づくりとリーダー育成
・第一回世界まちなみ会議の開催(小規模版)
   「一千年の西の京」報告書で提案されているプロジェクトで、「世界中の歴史あるまちの関係者が  集まり、歴史やそこに暮らす人々の生活や思う心を大切にした中で、いかにまちなみを保存再生し次世代に引き継ぐかを話し合うこと」を目的とするもの。小規模版は、県内レベルで関係者を招致し、起業家定住のプロモーションを目的に話し合いの場をもつ。
・起業家誘致第一弾「大殿起業家モニターショップ」の企画運営
    大殿起業家定住プロモーションとともに、町屋を再生し店舗として改装を行うなど大殿起業家実験的出店を支援

(平成一四年度)
・起業家誘致第二弾「大殿起業家モニターショップ」(再掲)
・匠のまちづくり
   「大殿起業家モニターショップ」に関連し、山口の伝統技術を伝える参加型ショップの集積を支援する
・山口ふるさと伝承総合センターの機能充実
    市へ匠のまちづくりの中核となるべく、当センターが伝統工芸の職業訓練校として起業化や事業家たちを支援する場として機能充実するよう要請する

(平成一五年度)
・シャトルバス・ループバスの運行
    小郡→湯田温泉→野田公舎跡地
・駐車場の整備
・レンタサイクル
    パークアンドライド

(平成一六年度)
・交流の道しるべの整備
・標識や案内板の設置・整備
    昔の名称も添えた古く時代のなごりをとどめる風情ある案内板を設置

(平成一七年度)
・第二回世界まちなみ会議の開催
    五カ年の成果を踏まえた「起業家定住プロモーション」を行う 
 
以上、概略を記述してみたが、事業化に向けては、当然のことながら、私たち部会だけではできることでなく、市や関係団体との協力、協働により推進していかなければならないのは言うまでもない。

◆市からの委託事業推進中

 前述でも触れてきたが、現在、私たち部会では、市からの委託事業を推進しているところである。この事業は、前節で掲げた五カ年計画との関係で言えば、五カ年計画を実施するために必要な前提条件的なものと位置づけることができる。具体的な事業内容は、

・民主導の推進組織の設立準備
    大殿地区にお住まいの方や大内文化のまちづくりの趣旨に賛同する人々を中心にした組織づくりを進める
・「一千年の西の京」報告書で示された実態調査の実施
    「大内文化特定地域」にお住まいの方々に、将来のまちづくりに関する意識を調査する
・「一千年の西の京」報告書で提言された「世界まちなみ会議」の趣旨に基づく会議の実施
    大殿地区の住民や市民のほか、県内外の不特定多数の人々(起業家、事業家を含む)に呼びかけ、大内文化のまちづくりに関連したこれまでの取組みとこれからの可能性について報告する会議を実施する
以上である。


4 おわりに 

 私たちの部会は、山口まちづくりセンターの一組織として、今まさに活動を始めたばかりである。壮大な構想を掲げながらも、地道な取組みから確実にこなしていこうと考えている。しかし、まちづくりは、そこに住む人たちが意識をもって取り組んでこそ、真のまちづくりが実現できるはずである。私たちは、そんな方々がその気になってまちづくりに取り組んでいけるよう、できるかぎりのお手伝いをしていきたいと考えている。