私と砂金との出会い
富良野にて ヌプントムラウシ温泉へは丸木橋を渡る。

 私と砂金との出会いは、北海道へ行ったことがきっかけである。同僚が、かつて車で山口から北海道に旅行したという話を聞いた。そのときのリーフレットを たくさん借りてみているうちに、だんだん自分もいってみたくなってきた。翌年、家族を連れて、約3週間北海道旅行をした。キャンプやバンガロー、民宿など に泊まりながらである。ただ、雨が多かったのが苦痛であった。この年は、小樽から知床まで北海道横断の旅であった。富良野やカムイワッカ湯の滝、昭和新山 に行ったりとめぼしい観光地を駆け足でめぐった。まっすぐな道路に感動したものである。

 この感動を翌年もと思い、再び北海道に行った。ただ、観光地を回るだけでは面白みがないので、何かをしようということになった。テーマは「秘湯」 であった。カムイワッカ湯の滝で野天風呂のおもしろさを知り、いろいろな本で探すと、北海道にはいろいろなおもしろい野天風呂のあることを知る。「からま つの湯」や「ヌプントムラウシ温泉」「薫別温泉」「川北温泉」など、道南以外のめぼしい野天風呂はほとんど回った。北海道の山深くの林道をいくスリリング な感動を大いに楽しんだものだった。
川北温泉にて 薫別温泉にて

 2年続いての北海道旅行により我が家の経済状況が悪化し、翌年は山口にて平凡な夏を過ごす。しかし、この時にはすでにカウントダウンが始まってい た、730からのカウントダウンが。3度目の北海道旅行、もう、観光地巡りでは満足できそうもなく、かといって、秘湯巡りも道南以外はほとんどいった。道 南のニセコの「小湯沼」や「水無海浜温泉」「熊ノ湯」などに行く計画を立てながらも、何をしようか・・・・と、その時にながめていたホクレンの地図に大樹 町の砂金掘り体験場の文字が目にとまった。いろいろなガイドブックを見たが、砂金掘りという文字に目がとまったのはこの時が初めてだった。「そういえば、 何でも鑑定団で砂金を北海道で掘ったという人が出ていたよなぁ・・・」この年の夏はこのようなことで砂金ちょっぴり、化石ちょっぴり、秘湯を尋ねながら観 光も兼ねての北海道旅行、いや北海道旅に決まった・・・・・はずであった。

 北海道旅を控えたある日、事前の予行キャンプに行った。そして、その帰りにあの出会いがあった。山 口県に「旭(あさひ)道の駅」というのがある。キャンプの帰りに妻が休息したいというのでそこに寄った。私も暇だったので、道の駅の建物内を歩いていた。 すると一枚のリーフレットが目に入った。「第4回全日本砂金堀大会」これを見たときにビーーーッときた。もう出場するしかないと思った。そして、優勝賞品 のポーランド行き、気合いが入りまくった。何かにより砂金に導かれたのであった。今考えると、不思議なことであった。これが運命というものかも知れない。 自宅に戻るとすぐに日程変更。中頓別で大会があるというので、その日に合わせて日程を全面変更した。
利尻富士 礼文島にて

 砂金掘りは全くしたことがなかったので、予定通り大樹町にてまず体験の後、中頓別へ向かうように予定を組みかえた。大樹町の役場にてカッチャと揺 り板を借りる。地図をもらい、体験場で砂金掘りらしいことをする。しかし、このときは砂金というものを見たことがなく、どうやって採るのか、どれが砂金か さえも見分けの付かない状態。そんな状態で半日がんばった。昼過ぎに数個のそれらしいものをフィルムケースに入れ、大樹町役場観光係へ。観光係の女性の方 や付近におられた男性の方にそれを見せた瞬間、愕然とさせられるお言葉。「みんな砂金じゃないよ!!雲母だ」ガックリと肩を落とす私。それを奥で見ておら れた課長さん(?)が歩み寄ってこられた。山口県から来たことを聞かれていたらしく、「私は山口県で自動車の運転免許を取ったんですよ。」という話をさ れ、親切に対応してくださった。実は、前日に砂金掘り探訪会が行われたそうだが、その時の先生を私のためだけに派遣してくださるとの涙が出そうになるほど のうれしいお話。予定を変更して、翌日も大樹町にいることとなった。先生の名前はK丸さん。翌日朝9時に、橋のたもとで会うように話をつけていただいた。
カムイコタンキャンプ場にて 愛車スパシオと揺り板

 翌日、朝9時に橋のたもとへ行った。(自分の時計で)9時になっても来られない。携帯電話で連絡をとろうとしたが・・・・・・圏外であった。不安 を感じながら待つこと数分、軽トラに乗られた先生が来られた。さっそく揺り板の使い方を習うものの、うまくいかない。そのうちにK丸先生が「これが砂金」 と見せていただいた。初めて見る砂金。きらきら輝くわけではないが、美しさを感じた。そのうちに自分でも少しずつではあるがとれた。採るほどにおもしろさ が増してきた。昼になり一旦カムイコタンのキャンプ場に戻り、家族を連れて再び体験場へ。そこでしばらく砂金を掘っていたが、同じ場所でつりをしていた方 とお話をする機会が。その時の話によると、その方のお父さんの趣味が砂金掘りで、最近は体験場よりも少し下流の方がよくとれるとのこと。さっそく、場所を 聞き向かうが、やっぱり迷った。でも、その釣りの方が親切な方で心配してくるまでこられており、川原まで連れて行っていただいた。体験場ではないところで 砂金を採るのは、大自然の中に身をゆだねて悠久の時を満喫するがごとく今までに味わったこともないような、とりこになる感じがした。とれた量は少量であっ たが、「自分で採った!!!」という感じがした。この後、役場に行きとれた砂金を見せお礼を言って大樹町を後にした。

 中頓別では寿キャンプ場でキャンプをした。とてもいいキャンプ場であった。その上、無料。パークゴルフも無料。きのこのようなバンガローは 1000円(?)だった。中頓別町内にある銭湯はその名も「砂金湯」雰囲気満点だ。ここをベースにペーチャン川の体験場へ。ところが、ここで初めて緑色の ゴールドパンを見る。体験場では黒い服を着た女性が先生。おおよその原理は揺り板と同じなので、形だけはすぐにできた。ゴールドパンとスコップで川原の土 砂をとり教えていただいたようにすると大樹町でとれた砂金よりもはるかに小さなものが採れた。ここでしばらく練習をしていざ大会へ。ちなみに、大会前日、 寿キャンプ場にて出会った男性から化石の話を聞いた。近くの中川町でアンモナイトの化石が採れるらしい。しかし、今回はお預け。次回のお楽しみにした。
寿キャンプ場 ペーチャン川砂金掘り体験場

 砂金堀大会なんて、出場する人はほとんどいないだろう、と思って会場に行くとビックリ。エントリーが100名を越えるぐらいに多かった。この時点 で優勝は・・・ポーランドは・・・・。出場者の出身地を見ると、山口県からの参加者は私のみ。山口県民160万人の代表として恥ずかしくない戦いをと、個 人的に燃えていた。競技参加することに対する緊張と久しぶりに大勢の人を見た緊張とで、今思うと舞い上がっていたようだ。競技が始まり、どんどんパンから 砂が減る。ところが、砂金がなかなか見えない。「えーーー、砂金がない!?」と思った瞬間、きらっと見えた砂金1個。「なんだ、1個しかはいっていなかっ たのか???んん???」とは思ったが、(確か)5分15秒でフィニッシュ。もしも決勝に残れたら・・・ポーランドが・・・・、全日本チャンピオンになっ たら県知事にあいさつに・・・などと妄想を抱きながら隣の人に何個採れたか話を聞くと「5個」・・・・・終わりました。結局6個ぐらい流しておりあえなく 予選敗退。

 この時に、今もよく連絡をとっている帯広のM原さんと出会った。なぜか話をするようになった。この時に、M原かあさんはなんとセイコーマートで 売っているような安いジンギスカン鍋を叩いてつくったゴールドパンにて参加。「そんなもので採れるの?」とはおもったが、採れているのには驚いた。ちなみ にM原とうさんは酔拳ならぬ酔揺りにて見事に決勝進出されていた。予選敗退したので、午後の決勝は見ずに次の予定地へと向かったが、この時には次の全日本 大会では必ず!!と決意したものだ。2年後、必ず・・・・。

 その後、道内をまわったが、「第4回全日本砂金堀大会」のリーフレットを道の駅で見かけたのは美深の道の駅だけであった。なぜ、遠く離れた山口県 の、しかも山の中にある道の駅にあのリーフレットがあったのか。今でも不思議である。もしもあのときキャンプに行かなければ、もしもあの道の駅にリーフ レットが置いてなければ、もしもあのとき妻が道の駅で休息したいといわなければ、どれ1つ欠けても今の私はなかったと思う。人間、何が人生を左右するか、 わからない。その後、インターネットをするようになった。ホリオさんのサイトを知ってから、さらに砂金にはまってしまった。現在では、YSK(山口砂金研 究会)の会長を自称するまでになっている。