広島・長崎市民が大共感
両被爆地で1300人が観劇し熱気
『峠三吉 原爆展物語』長崎公演が4月11日、長崎市公会堂で開催され600名が詰めかけ、また同24日には広島市西区民文化センター開催され700名が参加する大盛況となりました。
両会場では共通して開幕と同時にピンと張りつめた静けさにつつまれましたが、日旧銀広島支店で開かれた第一回広島原爆展の場では、すすり泣きや目頭を押さえる姿がみられ、舞台が進むにつれて、一言一言のセリフに笑いや掛け声など細かい反応が続き、客席と舞台が一体となって展開しました。
長崎ではとくに長崎原爆展の場面で「沈黙を破る長崎の怒りはそのとおりだ」「知らん間に大きな嘘がはびこっとるとか」「負けてばっかりが長崎とおもったら大間違い」などのセリフに親しみを込めた笑いや熱烈な共感が渦巻いたのをはじめ、「伊藤市長が殺された時は緊張したけどそのあと原爆投下はしかたがなかったといった大臣がすぐクビになった」というセリフには共感の笑いに包まれました。
広島市の公演も原爆展を成功させる広島の会(重力敬三会長)の被爆者や戦争体験者の方々を始め、市内の自治会長、商店主、会社員、文化団体、母親クラブなど約75名の実行委員の方々の手で取り組まれました。

【長崎】
▼若い頃、「父を返せ!母を返せ!」の詩に涙した者の一人です。中国戦線での最後の初年兵として弾丸の下をくぐった者です。戦争を知らない世代が国をリードする時代になって、「真に守るべきものは何か」を適切に確認させる演劇でした。そうです。今こそ峠三吉に返るべきです。広島で、沖縄で、長崎で戦争体験を語り合っているところ。真実はその中にこそ含まれているということ。真の平和への道はその中にこそ求められるということ。第二幕の締めくくりもよい。大変な試練を乗り越えて、素晴らしい道を歩んでおられることを心から嬉しく大きな拍手を送ります。(84歳・男性・諫早市)
▼昭和二〇年八月九日、原爆投下。(学徒動員で)佐世保の工場で作業をしていた。友人は長崎の工場で被爆死であった。八月九日が来るたびにアメリカが憎い、今もアンチ米国です。劇団と共に終生平和を追求しよう。「事実は小説よりも奇なり」というが、まさにその通り。もっともっと事実を掘り起こし、平和の一歩を歩調を揃えて進もうではないか。(80歳・男性)
▼昭和初期より平成の今日に至る八五年間の史実を忠実に具現化した立派なものでした。活字による知識の吸収でなく、「語り」による勉強がより大切であることを実感した。ビデオに収録し、史実・教材として活用したいと思ったくらいです。内容も高度であり、かつ密度が高いものであり、感動いたしました。(82歳・男性)
▼戦争は一部の権力者の都合で始められ、市民を犠牲にして終結するもので絶対、戦争を起こさせてはならない。市民の「力」が何より大事です。「安保」条約は日本を守るためでなく、世界で戦争をするための足場作りであるということ。日本の為政者の「ウソ」がはっきりしたことが一幕の「沖縄」の場面でわかった。(73歳・男性)
▼いっぱいうそを信じておりました。有り難うございました。(印象に残ったセリフは)あの戦争はおかしな戦争だった。戦争犯罪者扱いにしていた。長崎の者はほとんどが知らなかった。一九六二年、長崎には嘘がはびこっている。実際の体験者の中に真実がある。日本人はアメリカの黒人奴隷といっしょ。劇団員の皆様お疲れさまでした。(69歳・女性)
▼演劇の力は大きい。違った角度から切り口、感心して観劇しました。「平和」の重みを実感させられた。世相を鋭く諷刺したセリフ、納得させられるものばかりでした。(63歳・高校教諭・男性)
▼それぞれが現地での生の声を直接聞いて集めて作られているとよくわかった。こういう内容の劇はめったに見れないと実感して…これから先も多くの人に見てもらうことの大切さを感じた。前半では、広島の原爆展で「平和団体ではなく、市民の中に入って声を聞こう」というセリフ、また、沖縄での市民の生の声、実にその怒りそのものが表れていた。(49歳・学童保育・男性)
▼もう一度、しっかり考えなければならない時にきている。アメリカにNOと言えるはっきりとした態度でなければならない。戦争は絶対にしてはならない。強く若い人に伝えていくつもりです。働く労働者が国の中の主人公である。目の前のことばかり考えてはならない。一〇年先のことをこつこつとして、死なない為の戦い、長いものにまかれてはいけない。権力に負けてはならない。すばらしい未来を考えるものです。続けてください。応援します。(48歳・女性・波佐見町)
▼被爆地に生まれながら知らなかったことが多く、申し訳なさでいっぱいになりました。全国で空襲ですべてが焼き払われた、そして、それらは必要なことではなく、後の征服の為、基地を置く為と知った時は本当にショックでした。今一度、平和とは一体なんなのかを考える機会とし、長崎の人間として戦争が二度と起こらぬように考えをしっかり持ち、真実を知っておきたいと思います。(28歳・男性)
▼何度もうるうるときました。戦争体験者の方方の叫びに何度も胸がふさがる思いでした。私は今でも原爆、戦争が憎いという言葉。語り継ぐシーンがやはり印象的でした。沖縄の人の「ここは日本だ」という叫び。何度でもやってくれるとうれしいです。何度でも見に行きます。(18歳・女子大学生)
▼最後まで諦めずにすることによってなにかが生まれる。協力することによって小さいことが大きくなる、ということを改めて感じた。僕も原爆、戦争などで亡くなった人たちの死を無駄にせず、これから死ぬまでいろいろなことに役立ちたい。(12歳・小学生男子)
▼原爆のおそろしさを改めて思い知った。本当にあっているような気がした。僕が思っていたのと違って、この劇は被害者たちの訴えや心の声を具体的に話すことでいろいろ変わってくるという劇だったので、勉強になった。兵隊の言葉で「死にとうなか」「見殺しにするつもりか」という心の叫びが印象に残った。(11歳・小学生男子)
【広島】
▼幕開けから身の毛のよだつような場面に、たびたび「よくぞこれほどまで」と、感動で身がふるう思いで観劇させていただきました。鳥肌の立つ思いでした。胸が詰まってきます。私は被爆者の一人として、一言一言が胸に迫ってきました。ここまでよくぞ掘り下げ表現されたことに感謝の気持ちで一杯です。(七六歳・女性)
▼毎日のようにテレビでニュースになる沖縄、普天間の基地移転問題。その根本が大東亜戦争にあり、アメリカの原爆投下で終結した戦争の残影がいまも夢でなく、現実にある。劇中のアメリカに対する怒りと日本の為政者への不信は、今も国民の中に根強いことは間違いない。隠蔽されてきた事実に目を向け、本当の憤りを共有しよう。(67歳・男性)
▼財政危機だの事業仕分け第二弾だの騒いでいるが、その前に米軍を「仕分け」なければならない。さもないと日本は本当に潰されてしまう。そして、米国債や米国産品、WTO条約も同じ事である。(印象に残ったのは)「アメリカは一般人だけを狙い撃ちした」「グラマンが小学校を狙った」「アメリカに終戦はない」「沖縄だけでなく日本中が同じ目にあっていた」「今度は沖縄に原爆が飛んでくる」「合衆国日本州」など。(38歳・男性)
▼峠三吉と聞けば「父を返せ、母を返せ」、すばらしい詩人であったと私の先輩から聞かされています。私は満州で終戦を迎えましたが、再び戦争が起きないことを祈るのみです。すばらしい演劇の公演に大変感動致しました。何のための戦争だったのか。マッカーサーの言葉――天皇は100万の軍隊に匹敵。戦争責任は? これはうまく天皇がマッカーサーに利用されたのでは。原爆の被害者だけでなく、戦争の犠牲者(沖縄、東京空襲、満州の逃避行)同じく思いを馳せています。平和を願うはぐるま座の皆様に感動致しました。(八一歳・男性・満州少年義勇隊経験者)
▼八月六日に、父が土橋に作業に行っている姉を探して、南観音の自宅に連れて帰り、「水がほしい」と何度も言いながら、七日に死にました。その時、小学校三年の長兄に「利ちゃん、アメリカにかたきを取ってくれ!」と母が言ったのをよく覚えています。米軍司令官ルメイの言った「日本の民家は全て軍需工場だ。これを焼き払って何が悪いか!」と、広島・長崎に原爆投下。その他の都市にもひどい事をした司令官に、勲一等を天皇が渡したことに対して「バカヤロー!」と、罵声を発したのが、強い印象に残りました。(60歳・西区・女性)
▼誰も教えてくれなかったことを、様様なシチュエーションで表現され、現代の問題までも織り込んである。“原爆展に出会った人人”の心が、「私も何かしなければ」という思いにかられたり、平和の大切さを強く再認識することによる会場の一体感が伝わってきた。今後も「日本」を「この国の道」を考える啓発をお願いします。(46歳・女性)
▼平和について再確認する事が多かった。一人一人のたいまつを集めて大きなたいまつにするというセリフ。原爆展の開催が平和運動の原動力となると思う(成ることのセリフ)が心に残った。(八五歳・世羅町・男性)
▼何とかしなくてはいけない! という気持ちをもった人たちが大勢いることを知った。平和って、何もないこと、何もしないことではなくて、自分たちでつかみ取っていく、作っていくものだと感じた。「原爆のおかげで戦争が終わった、沖縄戦は日本人が起こした戦争の報い」そんな風潮のなかで、被爆者である人たちが体験を語るなんてできないと思った。ひどい戦後だったんだ。(35歳・高校教師・女性)
▼劇の最中に拍手が起こったり、「そうだ!」という声が出たり、この物語・劇はここにいる人たちに大きな共感を抱かせていた。私も涙が止まりませんでした。「ここは日本だ!」「死のうと思った時に、水面に母の顔が映った」という台詞が印象に残った。(20歳・女子大学生)
▼何回も泣きました。祖父と祖母は被爆者なのですが、話してくれないから聞くのが怖かった。ですが、今回の劇を観て、話してくれるように言ってみます。そして、私が次へ伝えたいと思いました。いろんな被爆者さんたちの「そうだ」や「その通り」という声が、本当にリアルで、「伝えよう」という気持ちがすごく伝わってきました。「自分たちは相当に平和ボケしている」そのことを深く感じました。(17歳・女子高校生)
▼自分たちが皆と協力すれば社会を変えることができる。個人の自由だけにこだわらずに行動していこうと思います。(16歳・男子高校生)
▼今まで「過去」でしかなかった「戦争」や「原爆」が、私の中で確かなものとなり、強く訴えかけられるものでした。何が正しくて何が間違いだったのか、今私たちに何ができるのかを考えさせられるものでした。(21歳・女子大学生)
▼市民の思いが日本を動かした事がよくわかり、グラマンが小学校を襲って皆殺しにしたことはとても許されないこと、また小さな子どもたちが亡くなり、悲しんだ大人たちがいたことをはじめて知った。原爆のせいで大切な家族を奪われて、悲しみを耐えて生きてきた。昔は食べ物もままならないくらい大変だったことがわかった。(11歳・小学生女子)

青年・学生の姿が目立った広島公演の会場(4月24日)
当日は舞台設営から参加した市内の女子高生が受付を担い、連れだって訪れた年配者や親子・家族連れ、県内各地から駆けつけた方々で会場は埋まり、熱烈な共感の拍手で幕をとじました。
終演後のロビーで行われた座談会では「戦後はアメリカにゴマをする政治家ばかりになり、言論の自由というが、教育現場は崩壊し、人の死に向き合うことのないロボットのような人間が作り出された。殺された人々の仇をとるくらいの大和魂が今こそ必要だと思う。日本を合衆国日本村にさせないため、このこの芝居をつづけて日本を変えなければいけない。劇団の人たちには被爆者本人になったつもりで頑張ってほしい」「本当の真実を語って頂いたことに喜んでいる。最近では原爆がおとぎ話にされたり、アメリカ側の主張で真実がねじまげられている。私達の信念を劇にしていただいたことを嬉しく思う」と被爆者の方々が熱く語られる姿に学生の皆さんもさらに感動を深くしていました。
若者と体験者の方々の熱い交流の場となった座談会(広島)
市内の女子高生がお客さんを迎えてくれました(広島)