峠三吉 原爆展物語』

「立ち上がる力もらった!」
   沖縄県第2次公演が終了〜具志川高校を皮切りに県下6会場で

台風の中での本部町公演。悪天候にもにもかかわらず多数の参加が。.親子連れの参加が目立ちました(6/25)

6/22(水) 具志川高校
6/24(金) 読谷村文化センター
6/25(土) 本部町立中央公民館
6/26(日) うるま市民芸術劇場
6/29(水) 豊見城市立中央公民館
6/30(木) 浦添市てだこホール

 66年目の慰霊の日を前後して、『峠三吉 原爆展物語』第2次沖縄公演が6月22日、うるま市の具志川高校を皮切りに県下6会場で開催されました。舞台を観た人々からは「勇気をもらった」「力をもらいました」と高揚して語り、見送りに出た劇団員に力強く握手を求める姿がどの会場でも見られました。「沖縄から声をあげて、全国が団結して立ち上がろう」と行動意欲に満ち満ちた感想が口ぐちに語られました。

どの会場でも小中高生から年配の方々まで高揚して握手を求める姿が。

舞台の感想から

▼自分は、沖縄に住んでいるのに沖縄の戦争体験者の「考え」がよく分からなかったが、この物語を鑑賞してよく理解できました。
 自分は戦争の事を勉強するたび、「かわいそうだなぁ…、本当に恐ろしかったんだな…」と、同情したり、浅い知識や教訓しか得てなくて、今日の公演で『戦争』が生まれた本当の理由だとか、色々「戦争の裏にある背景の事実」を教えていただきました。今まで色々な話を聞いてきたなかで、こういう話は初めてでした。
 今自分が、戦争をくぐりぬけて懸命に生きてらっしゃったご先祖の孫だということをとても誇らしく思います。そして平和ボケした自分達を根本から変えてゆく必要があると思いました。
 今回、この公演をしていただき本当にありがとうございました。これからもこのような公演を日本中へ…、いえ…世界中へ発信していただけるとうれしいです。(高校生、女子)

▼今回の劇は、いつもとは違って沖縄戦の事だけではなく、原爆のこと、太平洋戦争以外の戦争体験の話などがあり、今まで知らない事が沢山あったので、とても貴重で忘れられない時間になりました。
 この劇を通してどのようにしてこの残酷で最悪な戦争を次世代に伝えていくか、という私たちに対する思いがとても伝わりました。私は、私達の為に、そして二度とこんな戦争を起こさない為に、このようなすばらしい劇を何十年も行ってきた活動をもとに作り上げて下さり、沢山のシーンを見ている度に、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。高校生だからこそ何か行動にできることは沢山あると思い、劇を見ている時ずっと考えていました。体験談の話からも「思い出すだけでつらいよ」「アメリカ軍がとても憎い」といった言葉が胸にささりました。つらいや憎いといった言葉は行動で表すことが出来ません。もしそれで人を殺したとしても、つらいや憎いといった気持が消える事はありません。そのような、どうしようもできない辛さを経験したおじぃ、おばぁに対して、私は同情することもどうしようもできないと思いました。おじぃやおばぁは戦争の話をしません。私は、それはアメリカを許したからだと思っていました。しかしそうではなくて、憎くて誰にも中てられない気持ちを思い出したくないだけだったのかもしれないと、この劇を見終わった後に思いました。次世代に伝えるために、おじぃやおばぁにとっては、辛く話したくない、思い出したくない事を聞き出さないといけないのかと、少し不安に思いました。「戦争は地獄だ」という六文字から、私たちは沢山の事を考え、学ぶことがあると思います。「二度と戦争はしてはいけない」それがどういう意味か、どういう気持ちでおじぃおばぁが言ったのか、しっかり真剣に考えて、平和をつくり出さなければいけないと思います。私は、おじぃおばぁがこれ以上あの辛い戦争を思い出すことがないように、そして、おじぃおばぁが望んでいる本当の平和をつくるために、何か行動に移したいと思います。必死に生きること、一秒一秒を大切にすること、何か目標に向かって頑張ること、皆のこのエネルギーが広く伝染していけば、本当の平和が見つかると思います。
この劇を見て、心の底から感じる事が沢山ありました。そして、気付いた事、行動しなければならない事、いっぱいありました。そして、この日に気付かせてくれた劇団はぐるま座の皆様には、感謝の気持ちでいっぱいです。今からでも何かできることを見つけてがんばっていきたいと思います。本当にありがとうございました。(高校生、女子)

「真実を知り未来を変えてゆかねば!」
                   地域巻き込む運動に
 

 沖縄戦慰霊の日を前後して準備されてきた第二次沖縄公演は、普天間基地の辺野古移設やオスプレイ配備がすすめられ、「いつまでアメリカは居座るつもりか」という世論が高まる中で実行委員会を中心に地域を巻き込んだ運動にとして取り組まれてきました。
 公演の会場には親子連れをはじめ戦争体験世代のおじい、おばあたちから三世代が誘いあって参加する姿が多く見られました。
 開演にあたって、各地の実行委員長の方々から熱のこもった挨拶がありました。 読谷村遺族会長である照屋勝男氏は、沖縄戦当時5歳であり、父がフィリピン海溝で戦死したこと、「鉄の暴風」といわれた沖縄戦で約30万人の尊い命がうばわれたとのべられ、「生き残った遺族も年々高齢化し、今年で県平均93歳。遺児も72歳になっている。二度と戦争はしてはいけない。二度と遺族をつくってはならない。二度と遺児を増やしてはならない。平和な沖縄。平和な読谷をとり戻すため」に取り組んできたことを力をこめて語られました。 本部町公演の実行委員会長の上間一弘氏(退職教師)は「折りしも台風5号の接近と重なったが、沖縄戦は鉄の暴風と言われこれが三ヵ月続いた。今公演を待ちわびたかのような台風到来も公演の演出効果です。」と話され、戦争体験者が少なくなり、戦争の風化が危惧される中、戦時体験者はもとより、若い世代、児童を含め一人でも多くの人たちに見てもらいたいと、本部・今帰仁両地域で40人の実行委員会で取り組みをすすめてきたことを語られました。また「戦後日本は世界でもめざましい発展を遂げてきましたが、戦争の足音を徐々に近づいているのを感じずにはいられない。この公演を通じて、戦争はなぜ起こったのか、実態はどうであったのかを今一度考え、話し合う機会としたい」と語られるなど、どの会場でもでも今からの日本を考えるきっかけにしてほしいと語られ幕を開けました。 
 公演後はどの会場でも参加者の劇団員と握手する手に力がこもり、「勇気をもらった」「心揺さぶられる感動でした」「全国で公演を頑張ってほしい」と興奮した面持ちで話しかけられる姿が見られました。また取り組まれた方々からも「舞台が与えた影響は大きい。劇を観た人が子どもや孫に語るだろうし、この内容は広がっていくだろう。普天間問題でも沖縄が声をあげ全国の人たちと一緒になって立ち上がっていく力になる」「私達が声をあげて行動することなしには平和は実現できないですね」また福島から移住して生きたという男性は「リアルな言葉がちりばめられており、危機感をもって拝見しました。真実を知り未来を変えてゆかねばならない。区に敗れて山河なし。責任を持って未来を生き抜いていかねばならないだろう」と感想を寄せられました。
 また10月には相次いで学校公演が予定されており、事前に舞台を観た担当の教師からは「秋とは言わず今すぐにでも生徒達に見せてあげたい!」と熱烈な感動を語られています。

真正面から舞台を受け止める子どもたちの姿に地域の方の喜びもひとしお