活動報告

2014年
厚生労働省交渉
 2014年1月17日厚生労働省交渉を行いました。全国二世協からは、原水禁・自治労・日教組のそれぞれの中央本部を含め13名が参加しました。厚労省からは、健康局総務課原爆被爆者援護対策室黒木室長補佐他2名が対応しました。
 まず、崎山副会長から厚労大臣に対する要請書を手渡し、続いて丸尾長崎県被爆二世の会会長より「原爆被爆二世の援護を求める署名」2081筆分(長崎県被爆二世の会1940筆+山口被爆二世の会141筆、累計377,996筆)を提出しました。
 厚労省は、「被爆二世問題について重大な関心を寄せている」と言いつつも、これまでと変わらず「放影研の臨床調査で二世への放射線の影響が認められていないので、新たな施策を打ち出せない」という姿勢は崩してはいません。しかし、私たちはがん検診の追加など内部で検討するよう強く要請しました。
 今後とも粘り強く交渉を進めていかなければなりません。
 要請書は下記の通りです。

         
                                               2014年 1月 17日

厚生労働大臣 田村 憲久様

                               要 請 書

                                          全国被爆二世団体連絡協議会
                                           会  長  山 崎  幸 治
                                              公印略

1945年8月6日、9日広島・長崎に投下された原爆は20万人以上の人々を殺傷したばかりか、生き残った被爆者にも放射線による後遺症という苦しみを背負わすことになりました。しかも、原爆の恐怖は被爆者のみにとどまらず、それらの被爆者を父や母・祖父母として生まれた「被爆者の子ども・孫」、すなわち「被爆二世・三世」の問題としても引き継がれていきました。
 原爆被爆二世は、今、全国に30万人とも50万人とも存在するといわれています。被爆者と同じような苦しみ、悩みはそのまま未来世代へと引き継がれてきています。
 これまで、政府・厚生労働省は被爆二世・三世の健康実態調査を拒み、対策をおろそかにしてきました。被爆二世に対する国の施策もわずかに年に1度の「被爆二世健康診断」がなされているにすぎません。
 わたしたちは、原爆被爆二世の援護を進めるために、以下のことを求めます。

                          記

1 「被爆者援護法」を国家補償と被爆二世への適用を明記した「被爆者援護法」に改正すること。
 @ 被爆二世健康診断に、ガン検診を加え、充実させること。
 A 健診の結果に応じた医療措置をおこなうこと。
 B 被爆二世の実態調査を行い、被爆二世へ「被爆二世健康手帳」を発行すること。

2 放射線影響研究所の「被爆二世臨床調査」について国として責任ある対応を行い、被爆二世の援護対策にいかすこと。 

3 在外被爆二世に対する「被爆二世検診」については、居住国の医療機関で受診できるような措置を講じること。

4 在外被爆者に被爆者援護法を適用し、被爆者の平等な援護をおこなうこと。

            

   

原発事故・被曝実情調査団派遣
全国被爆二世団体連絡協議会の調査団4名(崎山副会長・丸尾長崎会長・藤井日教組会長・平野事務局長)は、前日の1月17日の厚労省交渉を終えて、翌18日早朝に福島県に入りました。全国二世協として2012年の総会で「フクシマと連帯する」という方針を掲げて初めての福島訪問でした。
1日目は、現地で活動されている佐藤龍彦さんと槻林茂さんに案内していただくとともに、現在長期にわたり福島にかかわっておられる振津さんに同行していただきました。
居住制限区域・帰還困難区域の大熊町・双葉町・浪江町を訪問させていただきました。東電福島第一原発から2キロ圏内では線量計のブザーが鳴りっぱなしでした。
原発事故から3年が経過しようとしているのに全く復興がすすんでいない地域があるということ。除染といっても気の遠くなるような作業であること。多くの人々の人生があの瞬間から一変してしまったこと。あの原発さえなかったらもっと早く福島は復興を遂げられていたのでは。そんな思いで一杯でした。
夜は、現地の活動家の方たちと交流会を持ち、二世の思いとフクシマの思いを話し合い放射線の影響への不安、政府への対応など多くの共通課題を見出すことができました。
 2日目は、仮設住宅に避難している浪江町の方と交流し、浪江町役場二本松事務所を訪問しました。役場では馬場町長と紺野健康保険課長に対応していただきました。
 浪江町の対応は放射線被害から町民の健康を守るという視点に立ったすばらしいものでした。健康手帳(行動記録)を全町民に配布し、事故当時の行動を記録するとともに、内部被ばく検査や健康診査票の記録を残しておくというものでした。また、驚いたことにすべての町民のデータをバックアップしているとのことでした。
 私たち原爆被爆二世は、親の受けた放射線の遺伝的影響について「あるのかないのかよく分からない」と言う政府の見解によって、行政的に無視をされてきました。それを認めさせ私たちも被爆者だと言うことを認めさせる取り組みを20年以上続けてきました。
 これから、福島のみなさんと共通の取り組みが必ず出来ると思っています。
また、それぞれの立場でそれぞれの権利を守り政府に詰め寄ることがお互いに連帯することだとも思います。

 

2014年全国総会
 2014年2月1日から2日にかけて、2年に1度の全国総会を広島市で開催し、約40名の仲間が全国より結集しました。
 黙祷、「原爆許すまじ」斉唱のあと、崎山副会長の挨拶に続き、柳田稔参議院議員、東保行・福地基弘両広島県議会議員、石井一清連合広島会長、そして坪井直広島県被団協理事長より挨拶をいただきました。
 その後、2年間の活動を総括し、今後2年間の方針を参加者全員で、確認しました。
 自治労中央本部、日教組、原水禁中央からも参加をしていただきました。
 終了後、広島大学名誉教授の鎌田七男さんより「被爆二世への遺伝的影響と今後の運動について」という演題で、記念講演をしていただきました。鎌田さんは、被爆者の現状や放射線の次世代への影響について話されました。被爆した女性は子どもを産むことを躊躇していたことや、現在のところ、「ヒト」においては放射線の次世代への影響については不明である事など、話されました。また今後、全国二世協が専門家を巻き込みながら組織を拡大することを期待しているとも話されました。
夕食交流会では山崎会長のあいさつ、平野伸人前会長の乾杯に始まり、大いに盛り上がりました。
2日目は、1月18日・19日にかけて行った「福島原発事故被曝者実態調査団」報告を崎山副会長が行いました。
 その後、平野事務局長より今後の取り組みについて、方針をより具体化した形で提起しました。
参加者のみなさんから、各県の取り組みの報告がありました。
 鹿児島二世の会からは、慰霊碑清掃や「二世だより」の発行、被爆体験の継承の取り組みなど、日常活動の報告がありました。
山口二世の会からは、「被爆二世の会通信」の発行や山口県に対する交渉の様子、そして、ガン検診についての聞き取り調査等の取り組みが報告されました。
 また、長崎や広島からも発言がありました。 
 今後とも、喫緊の課題として、現行の「二世検診」の中にがん検診を追加すること、そして、その延長線上に二世検診の法制化・私たち被爆二世を被爆者援護法の中に位置づけさせることを目指して取り組みを進めることを確認しました。
そのためにも、厚労省交渉の強化や、政党に対する具体的な取り組みの確認も行いました。また、要求実現のためにも、全国の被爆二世が団結をすることが重要であり、組織の強化拡大も大きな課題であることなども全員で意識統一がなされました。

 

厚生労働省交渉
 2014年7月11日厚生労働省交渉を行いました。全国二世協からは,原水禁・自治労・日教組のそれぞれの中央本部を含め13名が参加しました。厚労省からは,健康局総務課原爆被爆者援護対策室山本室長補佐他4名が対応しました。
 まず,崎山副会長から厚労省大臣に対する要請書を手渡し,続いて丸尾長崎会長より「被爆二世要請書名」を提出しました。
 厚労省は,「被爆二世問題について重大な関心を寄せている」と言いつつも,これまでと変わらず「放影研の臨床調査で二世への放射線の影響が認められていないので,新たな施策を打ち出せない」という姿勢は崩してはいません。しかし,私たちはがん検診の追加など内部で検討するよう強く要請しました。
 また,今の検診内容で十分二世の不安解消になっているのか,被爆二世検診を受けることができなかった二世がいたことについても継続して話し合うことを確認して交渉を終えました。
 今後とも粘り強く交渉を進めていかなければなりません。
要請書と主な回答は下記の通りです。

 
                                            2014年7月11日
厚生労働大臣 田村 憲久様

                    要 請 書

                        全国被爆二世団体連絡協議会
                          会  長  山 崎  幸 治
                             公印略

1945年8月6日,9日広島・長崎に投下された原爆は20万人以上の人々を殺傷したばかりか,生き残った被爆者にも放射線による後遺症という苦しみを背負わすことになりました。しかも,原爆の恐怖は被爆者のみにとどまらず,それらの被爆者を父や母・祖父母として生まれた「被爆者の子ども・孫」,すなわち「被爆二世・三世」の問題としても引き継がれていきました。
 原爆被爆二世は,今,全国に30万人とも50万人とも存在するといわれています。被爆者と同じような苦しみ,悩みはそのまま未来世代へと引き継がれてきています。
 これまで,政府・厚生労働省は被爆二世・三世の健康実態調査を拒み,対策をおろそかにしてきました。被爆二世に対 する国の施策もわずかに年に1度の「被爆二世健康診断」がなされているにすぎません。
 わたしたちは,原爆被爆二世の援護を進めるために,以下のことを求めます。

            記

1 「被爆者援護法」を国家補償と被爆二世への適用を明記した「被爆者援護法」に改正すること。
 @ 被爆二世健康診断に,ガン検診を加え,充実させること。
 A 健診の結果に応じた医療措置をおこなうこと。
 B 被爆二世の実態調査を行い、被爆二世へ「被爆二世健康手帳」を発行すること。当面 、2015年10月に行われる国勢調査の被爆者付帯調査とあわせ被爆二世の項目を付け加えること。

2 「被爆二世健康診断」において,すべての自治体で希望者全員が受診できるよう予算措置を講ずること。

3 放射線影響研究所の「被爆二世臨床調査」について国として責任ある対応を行い、被爆二世の援護対策にいかすこと。 

4 在外被爆二世に対する「被爆二世検診」については、居住国の医療機関で受診できるような措置を講じること。

5 在外被爆者に被爆者援護法を適用し、被爆者の平等な援護をおこなうこと。



 

被爆69周年原水禁世界大会広島大会 ひろば「被爆二世・三世問題について」
 2014年8月5日,広島市のホテルチューリッヒ東方2001において,原水禁ひろば「被爆二世・三世問題について」を開催しました。広島県被爆二世団体連絡協議会が運営にあたりました。
 会長のあいさつに続き,被爆者でもある山下三郎前廿日市市長にお話をしていただきました。山下さんは旧制中学校時代に広島市の「三菱」に学徒動員され,作業中に被爆しました。自らの被爆体験を話される中で現在の日本政府の危険性や市民の役割の重要性について話されました。さらに,被爆二世に対する期待や願いについても語られました。
 大阪から参加者した被爆二世は,橋下大阪市長の非民主的な反動市政について報告がありました。
 参加者が30名と少なかったことが課題となりました。被爆70年の次回は,多くの参加者があるよう取り組みを強化する必要があります。
 
 

被爆69周年原水禁世界大会長崎大会     「被爆二世・三世分科会」
 
2014年8月8日,今年も長崎市の勤労福祉会館において「被爆二世・三世分科会」を開催しました。長崎県被爆二世団体連絡協議会が運営にあたりました。 
 丸尾長崎県被爆二世の会会長があいさつし,続いて「被爆二世問題とは何か」という演題で講演していただきました。丸尾会長は,様々な出会いや体験から被爆二世がどんな思いで生きているのかということを語られました。
 続いて,全国二世協の平野事務局長が「被爆二世問題解決のためにどう取り組むのか」これまでの取り組みや今後の取り組みについて問題提起を行いました。厚労省交渉に対する粘り強い交渉の継続や,新たに始まっている放影研の「臨床調査」に対する取り組みなど報告しました。
 続いて崎山副会長が「フクシマとの連携をどう取り組むのか」をこれまでの福島派遣団の報告も交え共闘した取り組みの強化を訴えました。
 会場では初めての参加者や被爆者,被爆二世の意見も聞かれ有意義な会となりました。 最後に広島県被爆二世団体連絡協議会の仲間がまとめをして会を閉じました。
 40名の参加がありました。
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