活動報告

被爆75周年被爆二世シンポジウム・パート2
被爆二世集団訴訟の意義と展望 
 8月8日10時から、長崎県勤労福祉会館4階第2・3中会議室で、被爆75周年被爆二世シンポジウム・パート2を、被爆75周年を迎える今、被爆二世集団訴訟(二世訴訟)の意義について考え、今後の展望を切りひらく一歩にしたいと全国被爆二世団体連絡協議会(全国被爆二世協)と長崎県被爆二世の会(県二世の会)が共催で開催しました。参加者は原告、支援者、マスコミなど23人でした。
 はじめに、県二世の会の丸尾育朗会長が、「長崎県被爆二世の会の取り組み」と題して、「県二世の会は毎年、長崎県・長崎市に対し「被爆二世・三世に関する申し入れ」を行っているが、「被爆二世・三世対策は国が国の責任で行うべき」から一歩も踏み出していない。3月には、今年は被爆75周年という節目の年であり、国に要望していることが、何か前に進むように努力を要請した。そして、原援協は初めて「健康管理のための手帳の交付」「在外被爆二世の国内の被爆二世と同様な健康診断の導入」を国に要望した。」ことを報告しました。続いて、全国被爆二世協の崎山昇会長が「被爆二世運動と行政の対応の経過」と題して、1973年7月初めて広島で被爆二世の団体が誕生し、1988年12月に全国被爆二世協が発足するが、これまで被爆二世団体が国に対して被爆二世・三世に対する法的援護を求めて来た運動と国の対応の経過を説明し、政治的解決や行政的解決を目指してきたがそれが困難な中、やむなく司法の場での解決を決意し、2017年2月集団提訴に至ったことを報告しました。最後に、二世訴訟の弁護団の一人、中鋪美香弁護士が「被爆二世集団訴訟の意義と展望」と題して、この訴訟の意義は、被爆二世を援護の対象とする立法の契機とすること、放射線被曝の遺伝的影響について問題提起すること、核兵器廃絶へつなげることであると説明し、訴訟の内容や主な争点、展望について触れ、裁判の経過および内容について話しました。そして、次回期日10月6日には、「被爆二世運動と行政の対応の経過」について主張し、その後は、遺伝的影響に関する専門家証人の意見書の提出、専門家証人・原告本人らの証拠調べ(証人尋問、当事者尋問)を申請する予定であると報告しました。また、7月29日の広島地裁黒い雨訴訟の判決に触れ、被爆者援護法1条3号の解釈について、「法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射線の影響を受けるような事情の下にあった」とは原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあったことをいうものと解すべきである。」としていることなどを紹介し、今後どう活かすか検討したいと述べました。
8月12日、広島県・市は控訴しましたが、厚生労働大臣は、援護対象区域について「拡大も視野に入れ、検証を進めたい。」と表明しました。この判決が、二世訴訟で展望を切りひらいていく力の一つになればと思います。
(文責:全国被爆二世協会長、被爆二世集団訴訟原告団長 崎山昇)

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