北海道・道東タクシーの旅
〜ラッキー
の旅〜

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旅への誘い
 11月の末、元同僚でメル友のYさんから「冬休みにどこか行かない?」という提案があった。その言葉は唐突だったけど、わたしはいつもこうやって誰かに誘われて旅に出ているので、少し考えてからOKをした。Yさんはちょうど一眼レフカメラを買ったばかりで、写真撮影を目的にした旅行がしたいということだった。わたしも少し前まで、カメラは趣味でやっていたが、このところの忙しさで、一眼レフカメラはほうりっぱなし、ほこりをかぶっていた。「撮影旅行」というのは意外だったけど、自分と趣味の一致した仲間との旅行はきっと楽しいだろうと、だんだん思いが膨らんでいった。
「池中玄太80キロ」の世界
 さて、どこに行こうかという話になって、「どこがいい?」と聞かれたわたしは、すぐさま「北海道」と答えた。2月に修学旅行で行った北海道・ニセコから見た「羊蹄山」の眺めは素晴らしく、ちょうど旅に誘われた頃、もういちど見たいという思いを募らせていたからである。それから、もうひとつ。この時期ならではの「丹頂鶴」を見たいという思いもあった。丹頂鶴に憧れているのには訳がある。ずっと昔、西田敏行主演の「池中玄太80キロ」というドラマがあった。このドラマで西田敏行演じる玄太はカメラマン。三人の娘がいる鶴子さんと再婚したが、鶴子さんは死んでしまい、義理の娘三人と暮らしている。鶴子さんへの思いと丹頂鶴への思いが重なってドラマの話が進んでいった。玄太が丹頂鶴を撮影するシーンはドラマの中で何度も出てきた。その丹頂鶴の美しさを見て、いつかはほんものをこの目で見てみたいなぁと思っていた。そのことをふと思いだし、「丹頂鶴も見に行きたい」という希望も出した。丹頂鶴は北海道の釧路というところにある釧路湿原あたりに行けば見ることが出来るというのは知っていたが、そこまでどうやって行くのかということは、考えていなかった。釧路はあくまで私の希望であって、交通の便とかを考えると、やっぱり札幌や小樽という定番の街の方がいいかな、とも考えた。でも、Yさんはわたしの希望を受け入れ、行き先はすぐに「釧路」に決定した。自分で言っておきながら、釧路に決定したときは、一瞬腰が引けたが、憧れの丹頂鶴に会えると思うと、心はすぐに釧路に飛んで行ってしまった。こうして、3度目にしてやっとプライベートの北海道旅行が現実のものとなった。
チケットはインターネットで。チケットレスの弱点!?
 12月は特に忙しく辛い日々だったが、「これが終わったら、釧路・丹頂鶴が待っている」と思うと、なんとか頑張れた。そうこうするうちに終業式を迎え、翌日の12月25日から、2泊3日、”やや強行軍”の北海道・道東の旅が始まった。今回の旅は、旅行会社の主催するツアーにはありそうにもなかったので、完全な個人旅行となった。
 飛行機のチケットはインターネットを利用し、山口宇部空港から羽田空港までのANA、そして乗り継いで釧路空港までのJASのチケットをチケットレスで購入した。インターネットでチケットを購入するという体験は初めてだったので、ちょっとドキドキワクワクものだった。しかし、このチケットレスサービスには弱点があった。羽田空港乗り継ぎで、預け荷物は航空会社が変わってもチケットさえあれば、そのまま荷物の移動をしてくれるので、こちらが羽田空港で一旦荷物を受け取って、もう一度預けなおすという手間がかからない。山口宇部空港で羽田〜釧路のJASのチケットさえ提示すれば、荷物は釧路までお任せできたのである。しかし、わたしは初めてのことだったので、荷物のことまで考えずに、羽田〜釧路もチケットレスにしてしまった。しかも、羽田での乗り継ぎ時間は40分しかない。ちょっとでも山口宇部〜羽田が遅れたり荷物がなかなか出てこなかったりすると、JASの飛行機出発時間に間に合わないのではないかという不安もあった。
釧路へ向けて出発。ANAの機内でリカちゃん買いました。
 朝、8時過ぎに柳井から防府駅に電車でやってきたYさんを迎えに行く。これから、山口宇部空港まではわたしの車である。山口宇部空港のいいところは、駐車料金がタダであること。これはほんとに有り難いことだ。防府から約1時間、仕事の話やこれからの旅の話をしながら、空港へ向かった。飛行機は定刻通りに出発。この飛行機は最新鋭のトリプルセブン(ボーイング777−200)で、以前から乗ってみたかった。乗り心地がすごく良いという話だったが、もしかしたらそれはもう一回り大きい777−300のことだったのかもしれない。他の飛行機に比べて、機体から出るいろんな音が妙に高いなぁというのが印象である。飛行機は満席ではなく、中の3列席は結構空いていた。指定された席は知らない人とYさんとわたしの3人掛けだった。客室乗務員のお姉さんが気を利かせて「中の空いている席に移られても構いませんよ」と言ってくれたので早速移動した。
 機内では、ANAの雑誌をみたり、サービスのコーヒーを飲んだりして過ごしたが、機内販売の雑誌のソニアリキエルのバッグを見ていたら、客室乗務員のお姉さんが「よろしかったら、商品をごらんになりませんか?」と声をかけてきた。気の弱い(?)わたしは「いいです」とは言えず、バッグを持ってきてもらった。リバーシブルだけど一方がヒョウ柄でとてもわたしの趣味ではなかった。「他に何かごらんになりたい商品があればお持ちしますが」と言われたので、ちょっと興味があった機内限定販売の「リカちゃん」をお願いした。わたしには小学生の姪っ子が二人いるので、どちらかへのおみやげとして、買ってもいいかなと思ったのである。リカちゃんは、ANAの客室乗務員の制服を着ていて、訓練着やエプロン、鞄や救命胴衣まで一緒に箱に入っていた。これは、きっと喜ぶだろうと思って、ちょっと子供へのおみやげにしては高いけど、買ってしまった。
 9時45分に山口宇部空港を離陸した飛行機は定刻の11時10分に羽田空港に到着した。さあ、ここからが勝負である。釧路行きのJASに間に合うかどうか。チケットレスだったので、自動チェックイン機で航空券を手に入れなければならない。インターネットで申し込む時に支払いはカードで済ませている。Yさんからの提案で、Yさんはふたりの預け荷物を受け取り、わたしは先に行って航空券を入手することになった。羽田は何度か訪れたことがあるが、広いし、人が多いし、とにかく人をかき分けながら、JASのカウンターを探した。少し前にJASはJALと提携して、カウンターが一緒になっているようで、なんとなく紛らわしい感じであった。なんとかチェックインを済ませ、航空券を手に入れたが、まだYさんは姿を現さない。この人の多さでは、見つけるのも一苦労だ。何度か携帯で連絡を取り合ったが、電波の調子が悪いのか、Yさんが電話の向こうで話している声がぶつ切りになって、何を言っているのか全然聞き取れない。それでもどうにか時間までに、再び会うことができた。JASの飛行機の自分の席に着いた時には、急いだのと焦ったので、汗びっしょりになっていた。11時55分、釧路行きのJASは出発した。Yさんは「もう、なかなか会えなくて泣きそうになった」と言っていたが、無事間に合って良かった。JASの飛行機の中でも機内雑誌を見たりしながら、時間を過ごした。窓際の席に座ったが、地上は天気が悪いのか、一面雲の絨毯を敷き詰めたようになっていて、景色は見えない。しかしだんだん北海道が近づいてくると、地図で見た釧路の周辺の形が見えてきた。”釧路は真っ白”と想像していたが、上空から見た釧路はそれほど雪深そうではなかった。
釧路の空気はキ〜ンと冷えていて心地いい。とりあえず、公園にいる丹頂鶴とご対面
 13時30分、到着。釧路空港を出ると、キ〜ンと冷えた空気がわたし達を迎えてくれた。
 まずは、やっぱり”丹頂鶴”。とにかく見たいということで、空港からほど近いところにある「釧路市丹頂鶴自然公園」というところにタクシーで行った。受付のおばさんはとても親切で、わたし達の大きな荷物を快く預かってくれた。この公園では番い(”つがい”ってこんな字を書くなんて知らなかった)ごとに柵をした広い空間で飼っていた。ちょうど、給餌の時間で職員の方がバケツいっぱいに魚の切り身を持ってこられた。鶴の柵の中にはカラスも一緒にいて、カラスに取られないようにするため(・・かどうか、確証はないけど)小さなため池に餌の魚をバケツから流し込んでいた。これなら、くちばしの短いカラスに餌を横取りされないですむ。柵といっても、上側には柵はないので、鶴は飛んで出ようと思えば出られるようになっている。だから、柵の外を優雅にあるいている番いもいた。わたし達が公園に入った時、客はわたし達だけだった。北海道の冬は日暮れが早い。まだ、15時だというのにもう夕方の気配である。寒さもあって、あまり長くいるわけにもいかず、とりあえず丹頂鶴とのご対面を果たしたわたし達は、もう一度空港に引き返して、空港からバスに乗る予定にしていたので、受付のおばさんにタクシーの電話番号を教えてもらって、電話をした。
運命の人、鈴木さん登場!!
 数分でタクシーはやってきた。このタクシー、わたし達の旅を言葉では言い表せないような素晴らしいものにしてくれた幸運のタクシー(ナンバープレートは・・・)なのである。運命の出会いといったら大げさかもしれないけど、このタクシー、この運転手さんに出会わなければ、きっと味気ない旅行になっていたと思う。タクシーに乗って、Yさんは「空港まで」というと言うところを、「駅まで」とつい言ってしまった。運転手さんは「空港と駅じゃえらい違いがありますが、空港からバスに乗って釧路駅まで行っても、料金的にはそんなに変わりませんよ。空港から駅までのバスの本数も限られてますし」と言われ、「5000円のところを4000円で駅まで行きますが、どうでしょう?」と提案された。空港まで引き返してバスを待つのは面倒なので、釧路駅からほど近い、ホテルまでそのまま連れて行ってもらうことにした。
 釧路市内までの道すがら、明日の旅行計画を話し、いろいろ教えてもらった。実は丹頂鶴を見に来たと言っても、わたし達には綿密な計画がなかった。丹頂鶴と、できれば摩周湖・屈斜路湖あたりが見られればいいかな、というのが希望で移動には電車とバスを使う予定だった。しかし、話を聞いているうちに、電車やバスを使って移動をしようとしていたわたし達の考えが甘かったことに気がついた。電車やバスはあるにはあるが、一日に数本しか走っていないらしい。そうなるとレンタカーということになるが、幹線道路は雪や氷がきちんと取り除いてあっても、一本通りをはずれたら、山口県の人間にはとてもじゃないけど運転できる道ではないという感じ。そこでまた、運転手さんの提案。「明日一日、丹頂鶴を見て、摩周湖・屈斜路湖を回って帰ってくるので2万5千円でどうですか?」意外な提案に驚き、Yさんと顔を見合わせた。タクシーの貸し切りなんて、わたしの中では”金持ちのすること”というイメージがあったので、まさかここで自分がタクシーの貸し切りをするなんて想像もしていなかった。しかし、日に数本の電車やバスの時間を気にして行動し、電車を降りて目的地まで、そのたびにタクシーを呼んで来てもらうことを考えれば、滞在時間の短いわたし達にはタクシー貸し切りというのが、いちばん良い方法かもしれない。わたしの気持ちの中ではほぼ”即決”でタクシー貸し切りをお願いしたいと思った。Yさんも、余り迷うこともなく、同意してくれたので、運転手さんに明日一日の貸し切りをお願いした。この運転手さんの名前は鈴木さん。会ったばかりの、この人をほんとに信用してもいいのかと多少の不安はあったけど、こっちは二人だし、何とかなるさという気持ちで、タクシーを降りた。
釧路の夜
 宿泊ホテルは「釧路全日空ホテル」。ホテルもインターネットで予約した。このホテルは釧路で一番高い18階建て。わたし達の泊まる部屋は1507号室。目の前に釧路湾が広がり、チェックインして部屋に入った時、ちょうど太陽が沈みかけていて、太平洋に沈む夕陽を撮影した。昼ご飯を食べそびれていたわたし達は、とにかく夕ご飯を食べようと外にでた。タクシーの中で鈴木さんに美味しい店を尋ねたところ、全日空ホテルのすぐ裏に「炉端 煉瓦」という炉端焼きのお店があると教えてもらった。この「煉瓦」のPR看板は釧路空港の預け荷物を受け取る所にもあり、写真を見て美味しそうだなぁと思っていたところだった。行ってみると、ほんとにホテルのすぐ裏で、ホテルにもし裏口があったら、30秒もかからない場所である。オープンは17時。あと1時間あったので、お腹はかなり空いていたけど、待つことにした。その間、釧路駅の近くのカニや鮭、イクラなどが所狭しとならんでいる「和商市場」まで歩いて行った。中にはいると、たくさんの店がそれぞれ魚介類を並べて、「いかがですか?」と声をかけてくる。わたし達は、ガイドブック”るるぶ”に載っていた「水野商店」というお店に行き、買い物をした。買いたいと思っていたタラバガニは、値段がピンからキリまであって、どうしようかと悩んだが、6千円台のものを買った。修学旅行の時には見かけなかった、花咲ガニというのもあって、タラバガニよりは値段も安かったので、花咲ガニもおみやげ用に3匹買った。あとは、イクラやタラコも買ったが、試食でいただいた、小さなスプーンに半分のほんのちょっとのイクラが、倒れそうなくらい美味しかった。買った物はすべてクール宅急便で自宅に送ってもらうようにお願いして、再び「煉瓦」のほうへ向かって歩いた。
 ちょうど、開店時間になっていて、すぐに店にはいることができた。店の中はまだ時間が早いということもあって、閑散としていた。店の奥のテーブルで、わたし達は、ホタテ・ししゃも・串の盛り合わせ、イクラ丼の小サイズ、そしてアルコールを注文した。目の前では炭が十分に熾っている。最初にアルコールが出てきて、乾杯し、その次に出てきたおみそ汁付きのイクラ丼を二人はものも言わずに味わった。その間、目の前の網の上で、ホタテやししゃも・串の盛り合わせにゆっくりと火が通っていった。わたしは知らなかったが、Yさんによると普通山口県あたりで売っているししゃもは実はノルウェー産の、ししゃもとは別の魚らしい。そういえば、いままでししゃもと思って食べていた魚に比べて、お腹のあたりのふくらみが少なくスリムな体型の魚である。これが本物のししゃもなんだ。ホタテは殻ごとじっくり焼いて、途中で店員さんがハサミで食べやすいように切りにきてくれた。そして、おしょうゆを少々かけて、ますます美味しそうな香りになった。事実、釧路産ししゃももホタテも、二人の間で会話が途切れてしまうほど、美味しかった。追加で、少しのアルコールとジャガイモなどを注文し、ゆっくりと時間をかけて味わった。
 店を出て、ホテルに帰るのにはまだ時間があったので、こんどはフィッシャーマンズワーフMOOという、おみやげを買うのにもってこいのお店に行った。こちらもホテルからは目と鼻の先という近さで、歩道の雪と氷を気にしながら、歩いて行った。今日釧路に着いたばかりなので、カニは別として、まだおみやげを買う気にはならなかったので、とりあえず見て回り、ホテルへ帰った。明日に備えて早く寝るつもりだったが、北海道というところは屋外の気温がかなり低いから、屋内は異常に温かくしてある。この部屋も布団を掛けて寝ると、やたらと暑く、なかなか眠れなかった。(カニ・鮭・網の上=Photo by Yoshiko ふたりの写真=Photo by Waiter)
朝の釧路”けあらし”
 うとうとしながら、結局朝になってしまい、カーテンを開けて15階の窓から外を見ると、話で聞いたことのある”けあらし”が港からその先の海に広がっていた。海面の温度より空気の温度が低いと海の水が水蒸気となって立ち上り、まるで霧がかかっているように見えるのである。湾の向こうの太平洋に浮かぶ船はけあらしでかすんで見える。手前の釧路湾にそそぐ釧路川にもけあらしが起き、朝陽を浴びて、水蒸気はオレンジ色に見えた。シャッターチャンス到来と、部屋の窓から、何枚も撮影した。夜景が見えるかな…程度で、湾に近い全日空ホテルを選んだが、まさかこんなけあらしを見られるとは思いもしなかった。眺めの良い全日空ホテルにしてよかった。地元の人にとっては、珍しくも何ともない現象かもしれないが、本州のいちばん端っこから来たわたし達にとっては、”けあらし”すら珍しい光景である。
三つ星マークのタクシー
 朝食は、ホテル一階のレストランでバイキング。わたしは洋食をメインに料理を取った。朝、わたしはコーヒーがないと始まらない。ここのコーヒーは美味しかった。ふと気が付くと、何気なく座ったレストランのその席には「」という番号がついていた。
 鈴木さんはほんとうに迎えに来てくれるのかなぁと、朝食をとりながら思った。まだ半信半疑な気持ちも残っていたが、約束の5分くらい前にはちゃんとホテル前に迎えに来てくださった。タクシーに乗り込むと、車内には昨日は置いていなかったキャンディーのいっぱい入った箱があり、助手席のシートの頭の部分も取り除いてあって、前方の景色がよく見えるようになっていた。この気の遣いようを見て、わたしたちの選択は間違っていなかったと思った。事実、この鈴木さん、ただの運転手さんではなく、ガイド役もこなされた。車の屋根には、三つ星マーク”マイスター称号”がついていた。
いざ、出発。最初の感動は霧氷。   こちらもどうぞ写真編
 そしていよいよ、出発。絶好の観光日和である。きょうの一通りのコースを説明された後、道東の地理・歴史などについて、運転しながら話された。ほんとにたくさんのことが頭の中にインプットされている。
 釧路湿原の細岡展望台へ行く手前で、「細岡カヌーポート」という川べりに寄った。通りすがりに見た霧氷がすごく綺麗で、鈴木さんは「写真を撮ってください」と、車を止めてくださった。鈴木さんも実は写真を撮る趣味があるそうで、「きょうはカメラを持ってきました」と助手席のダウンジャケットの下から一眼レフカメラを取り出された。見たところ、カメラについているレンズが口径の大きいもので、こんなレンズを持っていらっしゃるということは、「写真のウデもかなりのものかも」と思った。写真の趣味がある人は、どこで写真を撮ったらよいかということを心得てらっしゃる。その点でも鈴木さんに出会えて良かったと思った。細岡カヌーポートでは霧氷と川(釧路川?)、それから川面を流れる氷をメインに撮った。霧氷は青空に映えて美しく輝いていた。
 しばらく走って、釧路湿原の細岡展望台に到着した。展望台にはわたし達3人以外は誰もいない。ほんとうに広大な湿原。人工建造物は一切なく、一面冬枯れの湿原の中を、蛇行した川が静かに流れていた。以前、よくテレビで見かけた某宗教団体のCMで夏の釧路湿原やそこに暮らす丹頂鶴の親子が写っていたが、釧路湿原は、冬より夏の緑が青々とした時に来た方がいいかな。
 そして、いよいよ憧れの「鶴居村 伊藤サンクチュアリ」に向けて車は走り出した。途中、釧路湿原を横切り、釧路川(…多分)の橋を渡る時、川べりにまた素晴らしい霧氷を見つけた。鈴木さんはまた橋の上で車を止めてくださり、わたし達は車を降りて、霧氷を撮影した。左側に太陽があり、その手前にある霧氷は逆光の中で美しく輝いていた。あとで出来上がった写真をみると、逆光の霧氷は薄い桃色に写り、まるで満開の桜のように見える。(ふたりの写真=Photo by Suzuki)
エゾシカ発見
再び、車はサンクチュアリを目指して走り始めた、と思ったら、道路の端にエゾシカ発見。道路を渡ろうとしている。わたし達は、カメラを手に車を降りた。エゾシカもこちらの様子に気づき、あわてて道を渡って、反対側の平原に走って逃げた。途中の高い柵もヒラリと跳び越え、一目散に走っていった。その間、シャッターを切れたのは2回。エゾシカはなんとか写っていたが、ややピンぼけだった。望遠レンズ(値段の安い100〜300mm)をオートにしておくと、いざというときなかなかピントが合わなくて、結局シャッターチャンスを逃すハメになる。動きの早いものはマニュアルにして、手動でピントを合わせた方が、多少ピントがずれていてもとりあえずシャッターは切れる。オートだとピントが合わない限りシャッターは切れない。いつもはオートが便利だと思って、マニュアルはほとんど使っていなかったが、ここに来てマニュアルが大活躍である。それから、タクシーで走っている間も、カメラはいつでも手にしておき、何かが突然現れたら、すぐに写真が撮れる状態にしておかなければと思った。どのあたりを走っていた時か覚えていないが、道路べりの高い木の上に天然記念物のオジロワシが留まっているのを見つけた時も、車を止めてくださったが、随分と高いところに留まっているのに、気配に気づいたオジロワシはわたし達がカメラを構える前に、サッと飛び立ってしまった。ああ、残念。(オジロワシ=Photo by Yoshiko)
鶴居村 伊藤サンクチュアリ   こちらもどうぞ写真編
 そうやって何度か立ち寄りながら、ついにサンクチュアリに到着した。それより手前に「鶴見台」という、同じように鶴の給餌をする場所があるが、こちらはバックに家があって、写真を撮るのには向いていないということだったので、そこは通り過ぎてサンクチュアリまで行った。午前10時半頃到着。目の前の柵の向こうに、えさをついばむたくさんの丹頂鶴がいた。鶴は美しい優雅な姿で点在していた。あの玄太のドラマの中でも何度も聞いた鶴の鳴き声が、時折そこら中に響き渡る。この時期、丹頂鶴を撮影するため全国各地からカメラマンがこの鶴居村にやってくる。話によると、超望遠レンズをつけたカメラを三脚に乗せたカメラマンが何十人と列を作って、鶴の写真を撮っているということだったので、覚悟して行ったが、わたし達が訪れた時にはカメラマンは数人しかいなかった。同じ目的を持った人たちというのは共通の話題もあって、初対面でも会話がはずむ。どこから来られたの?とか、きょうは何時からここにいるとか、さらに三脚など持って来なかったわたし達に、三脚を貸してあげようかと親切に言ってくださる方もいた。しかし、三脚の扱いになれていないわたしは、せっかく借りた三脚もうまく使いこなせないで、結局手持ちで撮影した。一応わたしも300mmレンズだったので、手ぶれをおこしてはいけないと思い、人間と鶴を仕切っている柵に腕をのせて、カメラを支えて写真を撮った。周りの人たちのように600mmレンズがあったら、もう少しアップの写真が撮れるのにと、少々残念に思いながらも、今となってはどうにもならないことなので、300mmレンズでできるだけ良い姿の鶴を撮ろうと頑張ってみた。屋外の気温は今どのくらいかと聞いてみたところ、「だいたいマイナス5℃くらいだ」と教えてくださった。マイナス5℃なんて、日頃なら寒くて寒くてどうしようもない気温だと思うが、鶴を見ているという感動と良い写真が撮りたいという欲望からか、寒さはそんなに感じなかった。手袋もほんとうなら必要なのだろうけど、手袋をしているとうまくシャッターが切れないし、指先の冷たさもそれほど感じなかった。餌をついばむ姿はあまり絵にならないので、ねぐらなど他の場所から鶴が飛んできたり、サンクチュアリから鶴が飛び立って行ったりするのをじっと待って、そのシーンがやってきたら、シャッターを切った。鶴の良い動きをじっと待っているのも、長い時間だと結構辛いものがあるのか、カメラを構えて待っている札幌から来たというおじさんは「何か、やれ。何か、やれ」と独り言のようにつぶやいていた。サンクチュアリにいる間じゅう、鳩の集団が目の前を何度も何度も飛び回っていて「わたし達も撮って〜」と訴えているように見えた。残念ながら、君たちに用はないんだよ。鶴が飛んでくると、誰からともなく「あ、右から来たよ〜」とか「左の3羽、そろそろ飛び立つよ〜」とか声がかかる。ファインダー覗きっぱなしだと、ほんとに狭い部分しか見えていないので、そういう声がかかると、とても助かる。サンクチュアリには1時間半くらいいたが、時間がたつに連れて、目も慣れ、そろそろ飛び立つ鶴の仕草が見分けられるようになった。昼近くになるとさすがに手袋をしていない手、特にカメラを持っていない左手は氷のように冷たくなり、カイロを貼ったお腹に手を突っ込んでは左手を温めた。12時頃、「そろそろ行きましょうか」という鈴木さんの声で、名残惜しいけどわたし達はサンクチュアリをあとにした。
霧じゃない摩周湖
 サンクチュアリから数分のところにあるレストランに鈴木さんはタクシーを横付けしてくださり、お昼ご飯はここでいただいた。メニューの中に自家製ソーセージのカレーライスというのがあって美味しそうだったので二人ともそれにした。ライスの上に自家製のソーセージが3本と干しぶどうが数粒、そしてカレーは別に入って運ばれてきた。ライスの皿の向こう側にキャベツがおてんこ盛りになっていた。自家製ソーセージはあっさりとしていて、カレーも美味しかった。鈴木さんは「一緒に食べましょう」というわたし達の声にも遠慮されて、「お二人でゆっくり召し上がってください」と少し離れたテーブルに座られた。デザートのアイスクリームも美味しく、満足のお昼ご飯であった。
 それから、午後の行程に。鶴居村から45キロくらい走って、摩周湖に到着した。よく”霧の摩周湖”と言われて、いつも霧がかかっているかのような印象の摩周湖であるが、それは夏の事であって、冬はすっきりと晴れ渡り、霧のかかることも少ないようである。ここではまず、第一展望台に寄り、摩周湖を眺めた。紺色、藍色、青鈍色、群青色と場所によって様々な色を醸し出している神秘の湖。透明度は日本一とも世界一とも呼ばれる摩周湖。ここへ流れ入る川も、ここから流れ出る川も一本もないことがその透明度を保っている所以であるそうだ。わたし達が訪れた時は一筋の霧も雲もなく、ため息が出るほどの青さに酔いしれた。湖の中央にぽつんとあるカムイシュ島もくっきり見えた。第一展望台は観光バスも止められる広い駐車場があるので、ここまでは一般の観光客は来られるそうだが、その先の第三展望台には駐車場もなく、観光バスでは行くことができない。しかも、冬季は通行止めになっていることが多いのだが、ラッキーなことにわたし達は第三展望台まで行くことができた。第一展望台では、観光客が何人もいたが、この第三展望台にはわたし達三人だけである。静寂に包まれた展望台。真下に湖を覗き込むような感じである。カメラを構えて、第一展望台とはまた違った見え方のする摩周湖を撮影していたら、真下の木々の間にエゾシカが1頭いるのに気づいた。ほんの「点」にしか見えないが、確かにエゾシカある。丸まって座ってこっちを見ていた。そのすぐあと、鈴木さんがエゾシカが他にもいるのを発見。結局そこには3頭くらいいたようである。まさか、こんな所にエゾシカがいるとは思わなかったので、望遠レンズは車の中に置いてきた。残念である。摩周湖と反対側の遠くにはこれから行く屈斜路湖が見え、すぐそばの藻琴山には雲から雪が降り注いでいるらしく煙っていた。
白鳥の湖 屈斜路湖   こちらもどうぞ写真編
 屈斜路湖に行く途中で、硫黄山という無数の噴気孔から硫気ガスが立ち上っている火山の麓に立ち寄り、少し歩いて、ゴツゴツした噴気孔のそばまで行った。あたりは硫黄臭が立ちこめている。
 それからまたしばらく車で走り、屈斜路湖に着いた時は、ちょうど山に太陽が隠れる寸前であった。岸辺にはたくさんの白鳥が休んでいた。小粒の雪混じりの強風が吹き、白鳥の鳴き声が「寒いよぉ、寒いよぉ」って言っているように聞こえた。でも、白鳥はきっと寒いのは平気なんだろう。その白鳥の鳴き声を聞きながら、太陽が山の陰に沈むまでのほんのわずかな時間、夕陽と湖と白鳥の取り合わせで、何度もシャッターを切った。あとで思えば、白鳥にばかり目が行き、屈斜路湖そのもの見渡すという余裕がなかった気がする。鶴居村の鶴と違って、ここの白鳥は人に慣れていて、すぐそばまで行っても飛んで逃げてしまうという心配がなかったので、随分近くまで寄って写真が撮れた。鶴もこんな感じで撮れたらいいのにと思ったが、それでは鶴の気高さや鶴への憧れはきっと半減してしまうだろう。夕陽が沈んでしまったら、もうあまり絵になる写真は撮れないと思い、我に返って周りを見渡すと、「白鳥のエサ」なるものが、200円で売ってあったので、それを買い求めた。白鳥のエサは、食パンの耳である。袋を開けるのに一生懸命で、ふと気がつくとわたしは白鳥の集団に取り囲まれていた。みんな顔をこっちに向け、目はわたしの手元のパンを見つめている。袋からパンの耳を取り出し、つかんでは白鳥にあげたが、湖からの強い風でパンは飛んでいき、風上にいる白鳥ばかりがエサを口にできた。目の前の白鳥に直接あげようと思って口の前にパンを持っていくと、くちばしで指をつつかれた。歯はないし、くちばしは尖っていないから、大丈夫だと思っていたが、強い力でつつかれるので、結構痛かった。”餅まき”でもしている気分でパンの耳をやっていたが、あっという間に食べ尽くされてしまった。夕陽も沈んでしまったことだし、湖から吹く風はあまりにも冷たいので、帰ることにした。駐車場で、タクシーと鈴木さんと一緒に写真を撮った。(白鳥に取り囲まれてるわたし=Photo by Yoshiko)
夕闇のエゾシカ
夕闇迫る帰り道、わたしはまた、道路そばの広い雪原の上にエゾシカを発見。「あ、シカ」って言うと、鈴木さんは車を止めて見えたところまでバックしてくださってひと言、「よく見つけるねぇ」。エゾシカは5頭くらいが一緒にいた。300mmレンズで覗いてみたが、シャッタースピードは6分の1秒くらい。ブレるかなぁと思いながらも、ガードレールに腕を乗せて、できるだけブレないように気をつけながらシャッターを切った。あとで写真を見たら、雪の中に5頭のエゾシカがしっかり写っていたが、やはりややブレていた。ま、でもこのくらいに写っていれば良しとしなければ。釧路市内へ向かう車の中で、鈴木さんは6コくらいのミカンが入った袋を「どうぞ」と言いながら、差し出してくださった。ほんとに至れり尽くせりである。すっかり日の暮れた時間に無事、釧路市内に戻ってきた。
本日の仕上げは和商市場の”ぶっかけ丼”
 本日の仕上げは和商市場と決めていたので、和商市場の前にタクシーを止めてもらった。タクシーを下りるときに代金を払ったが、あまりの満足度に2万5千円では少ない気がして、ふたりで3万円をお支払いした。本日の走行距離はなんと243km。これだけの距離を普通に走ったら、タクシーの料金は61,270円となる。しっかりとお礼を言ってタクシーを下りた。和商市場では、どのガイドブックにも載っていた”ぶっかけ丼”をやった。これは、まず、市場の中のたくさんの店を巡って食べたい食材をチェックし、それから器に入った白いご飯(150円)を買って、チェックした食材を買い求め、ご飯の上にのせて食べるのである。Yさんの希望、ウニはとっても高かったが、その中で少し容器の端っこのウニがつぶれてしまったために値段が安くなっているウニを見つけた。それでもひと箱1500円である。このウニをゲットし、あとはやっぱりイクラ。”ぶっかけ”と言いながらも、結局ウニとイクラにターゲットを絞った丼ができあがった。寒かったので、温かい汁物も欲しくなって、白いご飯を買った隣の小さな食堂で”鉄砲汁”(150円)を買い求め、ぶっかけ丼と一緒に食べることにした。昨日カニを買った水野商店のそばの席に、座ってもいいと言われ、そこに座って、ふたりともものも言わずに、時折、満足のため息をつきながら食べた。ウニは甘くてなんとも言えない美味しさだった。美味しいものを食べるときはやっぱり無口になってしまう。和商市場でお腹が満足になったわたし達は、フィッシャーマンズワーフMOOに立ち寄り、ししゃも・バター・生チョコ・鮭冬葉(とば)などのおみやげと、きょうの夜にホテルで飲む白ワインを買った。こうして、ぎゅっと凝縮した濃厚な一日は終わった。(ぶっかけ丼=Photo by Yoshiko)
最終日も充実   こちらもどうぞ写真編
 最終日、わたし達はほとんど帰るだけのつもりでいたが、昨日、鈴木さんと別れるときに、予定を聞かれ、今度は「半日1万円でどうですか?」と言われたので、即座にOKした。もう、鈴木さんにお任せしていれば、間違いなく素晴らしい時間になるということは昨日の一日で保証済み。朝食のレストランは7時にオープンだったので、それまでに身支度をし、レストランがオープンしてすぐ入れるように7時前にチェックアウトを済ました。お迎えの時間は7時半。急いで食事をして、鈴木さんが現れるのを待った。
 きょうは、ねぐらから給餌場に飛び立つ鶴を、サンクチュアリ近くの雪裡川に撮影に行くのである。雪裡川にかかる音羽橋も日によってはカメラマンがズラッと並んでいるらしいが、わたし達が行ったときには2人しかいなかった。ひとりは、昨日サンクチュアリで会った、札幌のおじさん。もうひとりは横浜から来たという、防寒対策ばっちりの中尾彬みたいな風貌のよくしゃべるおじさん。このおじさん、なぜか”発売前”というキャノンEOSのデジタルカメラやコンバータを付けて1200mmになったレンズなどトータルすると250万円くらいになるらしい機材を持っていた。鶴は川のずっと向こうまで点在していて、よく見ると随分たくさんいる。この音羽橋で鶴が飛び立つのをじっと待った。きょうは昨日に比べ風が冷たい。しかし、手袋は邪魔くさいので素手でカメラを構えた。途中で鈴木さんがタクシーの方へ行って、すぐに帰ってこられた。どうしたのかと思ったら、「寒いでしょう」とカイロを差し出してくださった。なんて優しい人・・・。鶴は川の隅で餌を探したり、片足で川の中に立ったりといろいろな仕草を見せてくれた。朝早くは曇りがちな天気だったが、このころになると雲の隙間から太陽が顔を覗かせ、川面は乳橙色の優しい色合いに染まった。カメラマンのおじさんたちの話によると、きのう川の奥のほうにシカが現れ、鶴が驚いたらしく、そのせいできょうはかなり音羽橋に近いところに集まっているということだった。そうは言っても、やはり300mmレンズでは物足りない感じがしたが、いざ飛び立ってこちらに向かって飛んでくると、今度は望遠レンズでは近すぎてうまく写らないのである。飛び立った鶴たちがわたし達の頭上を横切って行ったのは壮観であったが、残念なことにちょうどその時カメラに入っていたフィルムが終わってしまい、撮影には間に合わなかった。しかし、その分しっかりと光景を目に焼き付けることができた。音羽橋を立ち去る前に、1200mmレンズで覗くとどんな風に見えるのか、一度見てみたいと思い、横浜のおじさんに、レンズを覗かせてもらいたいのだが、とお願いした。わたし達がふたりともキャノンのカメラを持っていたのに気づいたおじさんは、「一枚だけならシャッターを切らせてあげるよ」と、自分のカメラをレンズからはずし、わたし達のカメラ本体を1200mmレンズに付けてくださった。覗いてみると、肉眼では遠くの点々にしか見えない鶴たちの集団が、はっきり見え、「わ〜こんなに近くに見えるんだ」と感動。ファインダー内で構図を考える余裕はなかったが、記念に一枚だけシャッターを切らせてもらった。
青空バックの飛翔   こちらもどうぞ写真編
その後、再び伊藤サンクチュアリに行ってみたが、きょうは鶴の数も少なく、少し待ってみたがなかなか数が増えないので、諦めた。鶴見台の方にも寄ってみたが一羽もいない。強風のため、人の立ち入らない川にみな避難しているのだろうということだった。きょうの気温もマイナス5〜6℃くらいであるが、風が強いので体感温度はマイナス10℃くらいだそうだ。移動の途中、普通の田圃に鶴が三羽いた。田圃にはトウモロコシなどを立てて、鶴が餌を食べられるようにしてあるそうである。あちこち走ってみたが、鶴の姿は見られなかった。途中で、「ここを横切って鶴が飛んでいく」という牧場脇の道に車を止めて、しばらく待っていたら、ほんとに鶴が飛んできた。曇っていた空もその頃には晴れ渡り、青空をバックにした、理想的な「飛翔」の写真が撮れた気がした。出来上がった写真、構図的にはイマイチだけど、青空に映える白い鶴は美しく、自分としては満足いくものだった。
さようなら鈴木さん。さようなら釧路。
 昼近くになったので、空港へ向かった。空港について、鈴木さんに半日分の1万円をお支払いし、「ありがとうございました」と心を込めてお礼を言ったが、ほんとに言葉では言い表せないほどの感謝でいっぱいであった。こうやってこの方は、旅人を幸せにする素晴らしい仕事をされているのだ。「HPに載せますので、見てくださいね」と言って、URLを書いた名刺を渡した。「インターネットはやったことがないけど、知り合いに見せてもらいます」と鈴木さんは名刺を受け取ってくださった。昼ご飯は、空港のラーメン屋さんで食べ、出発まで多少の買い物をしながら、時間をつぶした。恐ろしいことに、わたしの財布の中身はあと2千円しか残っていない。きょうの札幌あたりは大雪で札幌発釧路行の飛行機は遅れているという放送が何度もかかっていた。釧路発羽田行の飛行機は定刻通り14時25分出発し、定刻通り羽田に着いた。
 この旅のちょっとしたおまけは、飛行機に乗る前のセキュリティーチェックに初めてひっかかってしまったことである。羽田空港で金属探知器をくぐるとき、「ピ〜ン」と鳴ってしまった。手にはペットボトルのお茶を持っていたがこれが原因で鳴るわけがなく、何でだろうと思っていたら、すかさず係りの人が「ポケットに入っているもの全部出してください」とトレーを差し出した。ポケットを探ったら、ホッカイロがあった。あ、これが原因で鳴ったんだ。「もう一度くぐってください」と言われ、くぐったが今度は鳴らなかった。少々冷や汗。でも、貼るホッカイロを背中や腰に貼っている人はどうするんだろう・・・なんて思いながら、手荷物を受け取った。既に日が暮れた羽田をわたし達の乗った777−200は30分遅れで離陸した。都会の空港は離陸の順番待ちに時間がかかる。無事、山口宇部空港に到着したが、預け荷物を受け取るのにまた時間がかかった。結局空港を出たのは、午後7時半。POLOを駐車場のどこに止めたか、記憶が定かでなかったが、確かこの辺りと思ったところにPOLOを見つけ、ほっと一安心。よく見るとPOLOを止めた駐車場の区画番号はだった。ここに止めたことから、すべてのラッキーが始まったのだと思った。蛇足ではあるが、撮影したフィルムの本数も36枚撮り本であった。
ありがとう、Yさん
この旅に誘ってくれたYさん、ほんとにありがとう。楽しかったし、リフレッシュできました。感謝☆感謝。これからもよろしくね。久しぶりにカメラを持ち出し、本格的な撮影をして、写真撮影の楽しさ、難しさを実感しました。また、「撮影旅行」行きましょう。できれば、再び、釧路へ。そして、鈴木さんのタクシーで旅をしたいなぁ。