北海道・道東タクシーの旅
〜ラッキー7の旅〜
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11月の末、元同僚でメル友のYさんから「冬休みにどこか行かない?」という提案があった。その言葉は唐突だったけど、わたしはいつもこうやって誰かに誘われて旅に出ているので、少し考えてからOKをした。Yさんはちょうど一眼レフカメラを買ったばかりで、写真撮影を目的にした旅行がしたいということだった。わたしも少し前まで、カメラは趣味でやっていたが、このところの忙しさで、一眼レフカメラはほうりっぱなし、ほこりをかぶっていた。「撮影旅行」というのは意外だったけど、自分と趣味の一致した仲間との旅行はきっと楽しいだろうと、だんだん思いが膨らんでいった。 |
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さて、どこに行こうかという話になって、「どこがいい?」と聞かれたわたしは、すぐさま「北海道」と答えた。2月に修学旅行で行った北海道・ニセコから見た「羊蹄山」の眺めは素晴らしく、ちょうど旅に誘われた頃、もういちど見たいという思いを募らせていたからである。それから、もうひとつ。この時期ならではの「丹頂鶴」を見たいという思いもあった。丹頂鶴に憧れているのには訳がある。ずっと昔、西田敏行主演の「池中玄太80キロ」というドラマがあった。このドラマで西田敏行演じる玄太はカメラマン。三人の娘がいる鶴子さんと再婚したが、鶴子さんは死んでしまい、義理の娘三人と暮らしている。鶴子さんへの思いと丹頂鶴への思いが重なってドラマの話が進んでいった。玄太が丹頂鶴を撮影するシーンはドラマの中で何度も出てきた。その丹頂鶴の美しさを見て、いつかはほんものをこの目で見てみたいなぁと思っていた。そのことをふと思いだし、「丹頂鶴も見に行きたい」という希望も出した。丹頂鶴は北海道の釧路というところにある釧路湿原あたりに行けば見ることが出来るというのは知っていたが、そこまでどうやって行くのかということは、考えていなかった。釧路はあくまで私の希望であって、交通の便とかを考えると、やっぱり札幌や小樽という定番の街の方がいいかな、とも考えた。でも、Yさんはわたしの希望を受け入れ、行き先はすぐに「釧路」に決定した。自分で言っておきながら、釧路に決定したときは、一瞬腰が引けたが、憧れの丹頂鶴に会えると思うと、心はすぐに釧路に飛んで行ってしまった。こうして、3度目にしてやっとプライベートの北海道旅行が現実のものとなった。 |
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12月は特に忙しく辛い日々だったが、「これが終わったら、釧路・丹頂鶴が待っている」と思うと、なんとか頑張れた。そうこうするうちに終業式を迎え、翌日の12月25日から、2泊3日、”やや強行軍”の北海道・道東の旅が始まった。今回の旅は、旅行会社の主催するツアーにはありそうにもなかったので、完全な個人旅行となった。 飛行機のチケットはインターネットを利用し、山口宇部空港から羽田空港までのANA、そして乗り継いで釧路空港までのJASのチケットをチケットレスで購入した。インターネットでチケットを購入するという体験は初めてだったので、ちょっとドキドキワクワクものだった。しかし、このチケットレスサービスには弱点があった。羽田空港乗り継ぎで、預け荷物は航空会社が変わってもチケットさえあれば、そのまま荷物の移動をしてくれるので、こちらが羽田空港で一旦荷物を受け取って、もう一度預けなおすという手間がかからない。山口宇部空港で羽田〜釧路のJASのチケットさえ提示すれば、荷物は釧路までお任せできたのである。しかし、わたしは初めてのことだったので、荷物のことまで考えずに、羽田〜釧路もチケットレスにしてしまった。しかも、羽田での乗り継ぎ時間は40分しかない。ちょっとでも山口宇部〜羽田が遅れたり荷物がなかなか出てこなかったりすると、JASの飛行機出発時間に間に合わないのではないかという不安もあった。 |
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朝、8時過ぎに柳井から防府駅に電車でやってきたYさんを迎えに行く。これから、山口宇部空港まではわたしの車である。山口宇部空港のいいところは、駐車料金がタダであること。これはほんとに有り難いことだ。防府から約1時間、仕事の話やこれからの旅の話をしながら、空港へ向かった。飛行機は定刻通りに出発。この飛行機は最新鋭のトリプルセブン(ボーイング777−200)で、以前から乗ってみたかった。乗り心地がすごく良いという話だったが、もしかしたらそれはもう一回り大きい777−300のことだったのかもしれない。他の飛行機に比べて、機体から出るいろんな音が妙に高いなぁというのが印象である。飛行機は満席ではなく、中の3列席は結構空いていた。指定された席は知らない人とYさんとわたしの3人掛けだった。客室乗務員のお姉さんが気を利かせて「中の空いている席に移られても構いませんよ」と言ってくれたので早速移動した。 機内では、ANAの雑誌をみたり、サービスのコーヒーを飲んだりして過ごしたが、機内販売の雑誌のソニアリキエルのバッグを見ていたら、客室乗務員のお姉さんが「よろしかったら、商品をごらんになりませんか?」と声をかけてきた。気の弱い(?)わたしは「いいです」とは言えず、バッグを持ってきてもらった。リバーシブルだけど一方がヒョウ柄でとてもわたしの趣味ではなかった。「他に何かごらんになりたい商品があればお持ちしますが」と言われたので、ちょっと興味があった機内限定販売の「リカちゃん」をお願いした。わたしには小学生の姪っ子が二人いるので、どちらかへのおみやげとして、買ってもいいかなと思ったのである。リカちゃんは、ANAの客室乗務員の制服を着ていて、訓練着やエプロン、鞄や救命胴衣まで一緒に箱に入っていた。これは、きっと喜ぶだろうと思って、ちょっと子供へのおみやげにしては高いけど、買ってしまった。 9時45分に山口宇部空港を離陸した飛行機は定刻の11時10分に羽田空港に到着した。さあ、ここからが勝負である。釧路行きのJASに間に合うかどうか。チケットレスだったので、自動チェックイン機で航空券を手に入れなければならない。インターネットで申し込む時に支払いはカードで済ませている。Yさんからの提案で、Yさんはふたりの預け荷物を受け取り、わたしは先に行って航空券を入手することになった。羽田は何度か訪れたことがあるが、広いし、人が多いし、とにかく人をかき分けながら、JASのカウンターを探した。少し前にJASはJALと提携して、カウンターが一緒になっているようで、なんとなく紛らわしい感じであった。なんとかチェックインを済ませ、航空券を手に入れたが、まだYさんは姿を現さない。この人の多さでは、見つけるのも一苦労だ。何度か携帯で連絡を取り合ったが、電波の調子が悪いのか、Yさんが電話の向こうで話している声がぶつ切りになって、何を言っているのか全然聞き取れない。それでもどうにか時間までに、再び会うことができた。JASの飛行機の自分の席に着いた時には、急いだのと焦ったので、汗びっしょりになっていた。11時55分、釧路行きのJASは出発した。Yさんは「もう、なかなか会えなくて泣きそうになった」と言っていたが、無事間に合って良かった。JASの飛行機の中でも機内雑誌を見たりしながら、時間を過ごした。窓際の席に座ったが、地上は天気が悪いのか、一面雲の絨毯を敷き詰めたようになっていて、景色は見えない。しかしだんだん北海道が近づいてくると、地図で見た釧路の周辺の形が見えてきた。”釧路は真っ白”と想像していたが、上空から見た釧路はそれほど雪深そうではなかった。 |
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13時30分、到着。釧路空港を出ると、キ〜ンと冷えた空気がわたし達を迎えてくれた。 まずは、やっぱり”丹頂鶴”。とにかく見たいということで、空港からほど近いところにある「釧路市丹頂鶴自然公園」という ![]() |
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数分でタクシーはやってきた。このタクシー、わたし達の旅を言葉では言い表せないような素晴らしいものにしてくれた幸運のタクシー(ナンバープレートは・・・7)なのである。運命の出会いといったら大げさかもしれないけど、このタクシー、この運転手さんに出会わなければ、きっと味気ない旅行になっていたと思う。タクシーに乗って、Yさんは「空港まで」というと言うところを、「駅まで」とつい言ってしまった。運転手さんは「空港と駅じゃえらい違いがありますが、空港からバスに乗って釧路駅まで行っても、料金的にはそんなに変わりませんよ。空港から駅までのバスの本数も限られてますし」と言われ、「5000円のところを4000円で駅まで行きますが、どうでしょう?」と提案された。空港まで引き返してバスを待つのは面倒なので、釧路駅からほど近い、ホテルまでそのまま連れて行ってもらうことにした。 釧路市内までの道すがら、明日の旅行計画を話し、いろいろ教えてもらった。実は丹頂鶴を見に来たと言っても、わたし達には綿密な計画がなかった。丹頂鶴と、できれば摩周湖・屈斜路湖あたりが見られればいいかな、というのが希望で移動には電車とバスを使う予定だった。しかし、話を聞いているうちに、電車やバスを使って移動をしようとしていたわたし達の考えが甘かったことに気がついた。電車やバスはあるにはあるが、一日に数本しか走っていないらしい。そうなるとレンタカーということになるが、幹線道路は雪や氷がきちんと取り除いてあっても、一本通りをはずれたら、山口県の人間にはとてもじゃないけど運転できる道ではないという感じ。そこでまた、運転手さんの提案。「明日一日、丹頂鶴を見て、摩周湖・屈斜路湖を回って帰ってくるので2万5千円でどうですか?」意外な提案に驚き、Yさんと顔を見合わせた。タクシーの貸し切りなんて、わたしの中では”金持ちのすること”というイメージがあったので、まさかここで自分がタクシーの貸し切りをするなんて想像もしていなかった。しかし、日に数本の電車やバスの時間を気にして行動し、電車を降りて目的地まで、そのたびにタクシーを呼んで来てもらうことを考えれば、滞在時間の短いわたし達にはタクシー貸し切りというのが、いちばん良い方法かもしれない。わたしの気持ちの中ではほぼ”即決”でタクシー貸し切りをお願いしたいと思った。Yさんも、余り迷うこともなく、同意してくれたので、運転手さんに明日一日の貸し切りをお願いした。この運転手さんの名前は鈴木さん。会ったばかりの、この人をほんとに信用してもいいのかと多少の不安はあったけど、こっちは二人だし、何とかなるさという気持ちで、タクシーを降りた。 |
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宿泊ホテルは「釧路全日空ホテル」。ホテルもインターネットで予約した。このホテルは釧路で一番高い18階建て。わたし達の泊まる部屋は1507号室。目の前に釧路湾が広がり、チェックインして部屋に入った時、ちょうど太陽が沈みかけていて、太平洋に沈む夕陽を撮影した。昼ご飯を食べそびれていたわたし達は、とにかく夕ご飯を食べようと外にでた。タクシーの中で鈴木さんに美味しい店を尋ねたところ、全日空ホテルのすぐ裏に「炉端 煉瓦」という炉端焼きのお店があると教えてもらった。この「煉瓦」のPR看板は釧路空港の預け荷物を受け取る所にもあり、写真を見て美味しそうだなぁと思っていたところだった。行ってみると、ほんとにホテルのすぐ裏で、ホテルにもし裏口があ![]() ![]() ちょうど、開店時間になっていて、すぐに店にはいることができた。店の中はまだ時間が早いということもあって、閑散としていた。店の奥のテーブルで、わたし達は、ホタテ・ししゃも・串の盛り合わせ、イクラ丼の小サイズ、そしてアルコールを注文した。目の前では炭が十分に熾っている。最初にアルコールが出てきて、乾杯し、その次に出てきたおみそ汁付きのイクラ丼を二人はものも言わずに味わった。その間、目の前の網の上で、ホタテやししゃも・串の盛り合わせにゆっくりと火が通っていった。わたしは知らなかったが、 ![]() ![]() |
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うとうとしなが![]() ![]() |
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朝食は、ホテル一階のレストランでバイキング。わたしは洋食をメインに料理を取った。朝、わたしはコーヒーがないと始まらない![]() 鈴木さんはほんとうに迎えに来てくれるのかなぁと、朝食をとりながら思った。まだ半信半疑な気持ちも残っていたが、約束の5分くらい前にはちゃんとホテル前に迎えに来てくださった。タクシーに乗り込むと、車内には昨日は置いていなかったキャンディーのいっぱい入った箱があり、助手席のシートの頭の部分も取り除いてあって、前方の景色がよく見えるようになっていた。この気の遣いようを見て、わたしたちの選択は間違っていなかったと思った。事実、この鈴木さん、ただの運転手さんではなく、ガイド役もこなされた。車の屋根には、三つ星マーク”マイスター称号”がついていた。 |
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そしていよいよ、出発。絶好の観光日和である。きょうの一通りのコースを説明された後、道東の地理・歴史などについて、運転しながら話された。ほんと![]() 釧路湿原の細岡展望台へ行く手前で、「細岡カヌーポート」という川べりに寄った。通りすがりに見 ![]() しばらく走って、釧路湿原の細岡展望台に到着した。展望台にはわたし達3人以外は誰もいない。ほんとうに広大な湿原。人工建造物 ![]() ![]() そして、いよいよ憧れの「鶴居村 伊藤サンクチュアリ」に向けて車は走り出した。途中、釧路湿原を横切り、釧路川(…多分)の橋を渡る時、川べりにまた素晴らしい霧氷を見つけた。鈴木さんはまた橋の上で車を止めてくださり、わたし達は車を降りて、霧氷を撮影した。左側に太陽があり、その手前にある霧氷は逆光の中で美しく輝いていた。あとで出来上がった写真をみると、逆光の霧氷は薄い桃色に写り、まるで満開の桜のように見える。(ふたりの写真=Photo by Suzuki) |
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再び、車はサンクチュアリを目指して走り始めた、と思ったら、道路の端にエゾシカ発見。道路を渡ろうとしている。わたし達は、カメラ![]() ![]() ![]() |
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そうやって何度か立ち寄りながら、ついにサンクチュアリに到着した。それより手前に「鶴見台」という、同じように鶴の給餌をする場所があるが、こちら![]() ![]() ![]() |
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サンクチュアリから数分のところにあるレストランに鈴木さんはタクシーを横付けしてくださり、お昼ご飯はここでいただ![]() ![]() ![]() それから、午後の行程に。鶴居村から45キロくらい走って、摩周湖に到着した。よく”霧の摩周湖”と言われて、いつも霧がかかっているかのような印象の摩周湖であるが、それは夏の事であって、冬はすっきりと晴れ渡り、霧のかかることも少ないようである。ここではまず、第一展望台に寄り、摩周湖を眺めた。紺色、藍色、青鈍色、群青色と場所によって様々な色を醸し出している神秘の湖。透明度は日本一とも世界一とも呼ばれる摩周湖。ここへ流れ入る川も、ここから流れ出る川も一本もないことがその透明度を保っている所以であるそうだ。わたし達が訪れた時は一筋の霧も雲もなく、ため息が出るほどの青さに酔いしれた。湖の中央にぽつんとあるカムイ ![]() ![]() |
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屈斜路湖![]() ![]() それからまたしばらく車で走り、屈斜路湖に着いた時は、ちょうど山に太陽が隠れる寸前であった。岸辺にはたくさんの白鳥が休んでいた。小粒の雪混じりの強風が吹き、白鳥の鳴き声が「寒いよぉ、寒いよぉ」って言っているように聞こえた。でも、白鳥はきっと寒いのは平気なんだろう。その白鳥の鳴き声を聞きながら、太陽が山の陰に沈むまでのほんのわずかな時間、夕陽と湖と白鳥の取り合わせで、何度もシャッターを切った。あとで思えば、白鳥にばかり目が行き、屈斜路湖そのもの見渡すという余裕がなかった気がする。鶴居村の鶴と違って、ここの白鳥は人に慣れていて、すぐそばまで行っても飛んで逃げてしまうという心配がなかったので、随分近くまで寄って写真が撮れた。鶴もこんな感じで撮れたらいいのにと思ったが、それでは鶴の気高さや鶴への憧れはきっと半減してしまうだろう。夕陽が沈んでしまったら、もうあまり絵になる写真は撮れないと思い、我に返って周りを見渡すと、「白鳥のエサ」なるものが、200円で売ってあったので、それを買い求めた。白鳥のエサは、食パンの耳である。袋を開けるのに一生懸命で、ふと気がつくとわたしは白鳥の集団に取り囲まれていた。みんな顔をこっちに向け、目はわたしの手元のパンを見つ ![]() ![]() |
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夕闇迫る帰り道、わたしはまた、道路そばの広い雪原の上にエゾシカを発見。「あ、シカ」って言うと、鈴木さんは車を止めて見えた![]() |
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本日の仕上げは和商市場と決めていたので、和商市場の前にタクシーを止めてもらった。タクシーを下りるときに代金を払っ![]() |
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最終日、わた![]() ![]() きょうは、ねぐらから給餌場に飛び立つ鶴を、サンクチュアリ近くの雪裡川に撮影に行くのである。雪裡川にかかる音羽橋も日によってはカメラマンがズラッと並んでいるらしいが、わたし達が行ったときには2人しかいなかった。ひとりは、昨日サンクチュアリで会った、札幌のおじさん。もうひとりは横浜から来たという、防寒対策ばっちりの中尾彬みたいな風貌のよくしゃべるおじさん。このおじさん、なぜか”発売前”というキャノンEOSのデジタルカメラやコンバータを付けて1200mmになったレンズなどトータルすると250万円くらいになるらしい機材を持っていた。鶴は川のずっと向こうまで点在していて、よく見ると随分たくさんいる。この音羽橋で鶴が飛び立つのをじっと待った。きょうは昨日に比べ風が冷たい。しかし、手袋は邪魔くさいので素手でカメラを構えた。途中で鈴木さんがタクシーの方へ行って、すぐに帰ってこられた。どうしたのかと思ったら、「寒いでしょう」とカイロを差 ![]() ![]() |
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昼近くになったので、空港へ向かった。空港について、鈴木さんに半日分の1万円をお支払いし、「ありがとうございました」と心を込めてお礼を言ったが、ほんとに言葉では言い表せないほどの感謝でいっぱいであった。こうやってこの方は、旅人を幸せにする素晴らしい仕事をされているのだ。「HPに載せますので、見てくださいね」と言って、URLを書いた名刺を渡した。「インターネットはやったことがないけど、知り合いに見せてもらいます」と鈴木さんは名刺を受け取ってくださった。昼ご飯は、空港のラーメン屋さんで食べ、出発まで多少の買い物をしながら、時間をつぶした。恐ろしいことに、わたしの財布の中身はあと2千円しか残っていない。きょうの札幌あたりは大雪で札幌発釧路行の飛行機は遅れているという放送が何度もかかっていた。釧路発羽田行の飛行機は定刻通り14時25分出発し、定刻通り羽田に着いた。 この旅のちょっとしたおまけは、飛行機に乗る前のセキュリティーチェックに初めてひっかかってしまったことである。羽田空港で金属探知器をくぐるとき、「ピ〜ン」と鳴ってしまった。手にはペットボトルのお茶を持っていたがこれが原因で鳴るわけがなく、何でだろうと思っていたら、すかさず係りの人が「ポケットに入っているもの全部出してください」とトレーを差し出した。ポケットを探ったら、ホッカイロがあった。あ、これが原因で鳴ったんだ。「もう一度くぐってください」と言われ、くぐったが今度は鳴らなかった。少々冷や汗。でも、貼るホッカイロを背中や腰に貼っている人はどうするんだろう・・・なんて思いながら、手荷物を受け取った。既に日が暮れた羽田をわたし達の乗った777−200は30分遅れで離陸した。都会の空港は離陸の順番待ちに時間がかかる。無事、山口宇部空港に到着したが、預け荷物を受け取るのにまた時間がかかった。結局空港を出たのは、午後7時半。POLOを駐車場のどこに止めたか、記憶が定かでなかったが、確かこの辺りと思ったところにPOLOを見つけ、ほっと一安心。よく見るとPOLOを止めた駐車場の区画番号は7だった。ここに止めたことから、すべてのラッキーが始まったのだと思った。蛇足ではあるが、撮影したフィルムの本数も36枚撮り7本であった。 |
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この旅に誘ってくれたYさん、ほんとにありがとう。楽しかったし、リフレッシュできました。感謝☆感謝。これからもよろしくね。久しぶりにカメラを持ち出し、本格的な撮影をして、写真撮影の楽しさ、難しさを実感しました。また、「撮影旅行」行きましょう。できれば、再び、釧路へ。そして、鈴木さんのタクシーで旅をしたいなぁ。 |