「あぁ、幻の・・・」になりかけたUSJへの旅
   
                                                                            

USJお土産リスト

 自慢できる春休みの予定ができた!
 春休みを間近にしたある日の午後、職員室のわたしの机の上に置いた携帯が”ぶるぶる”いいだした。誰からだろうと見ると、いつもはほとんどメールで連絡を取り合っている幼なじみで旅仲間のみわちゃんだった。電話に出ると「ねぇ、25日に大阪行かん?」。この言葉を聞いて何年も前にみわちゃんにつきあって行った、さだまさしのステージを思い出した。大阪に何しに行こうっていうんだろう?そう思った次の瞬間、「ユニバーサルスタジオジャパン(以下USJ)に行こう」と電話の向こうで声がした。「USJ」って、もうすぐオープンするとかいうテーマパーク?「そんな、オープンしたばかりのところに行って、人がいっぱいじゃろ?」って言ったら「オープン前のUSJの招待券が手に入ったから」とのこと。これはオイシイ話かもしれない。即座にOKをして、新幹線の切符や宿泊先の手配を頼み、電話を切った。少し経ってから、じわ〜っと嬉しさがこみ上げてきた。これはちょっと「自慢」できること?春休みの予定が一つできて、気分はるんるんになった。 
 占い当たって怖い!地震発生           
 3月24日。みわちゃんは個人病院の事務をしているので、土曜日の仕事は4時過ぎまである。だから、大阪へは夕方出発することになった。25日は最終の新幹線で帰り、小郡駅からはわたしの車で家まで帰ることにしたので、みわちゃんより一足先に自分の車で、小郡駅へ行く予定だった。みわちゃんは仕事が終わり次第、山陽本線で小郡に来ることになっていた。準備を終えた3時過ぎ、出かける前についでのつもりで、メールチェックをし、毎日送信される「占い」(源氏物語占い)を見た。わたしのところには「用のある場所に行くことが出来ません」と書いてあった。大して気にもとめずに、パソコンを終了させ、部屋を出て、廊下を玄関のほうに向かって歩いていたとき、急にがたがたと家全体で音がし始めた。ボロいトラックでもやってきたのかと一瞬思ったが、その次の瞬間に地震だとわかった。いままでの地震はどちらかというと家がゆさゆさと揺れる感じのが多く、こんなに小刻みにがたがた揺れるのは初めてだ。すぐにおさまるかと思っていたが、なかなか、揺れはおさまらない。ちょうど来ていた孫を抱いて母は庭に飛び出した。わたしは少し家の中にいたがおさまる気配がないので、義妹と一緒に裸足で外へ出た。その後もしばらく揺れてから、やっと静けさが戻ってきた。たった1〜2分の出来事だったのであろうが、それぞれの瞬間はスローモーションのようにすぎていったような気がする。おさまるやいなやラジオのボリュームを上げ、地震情報を聞いた。NHKは揺れがおさまったとほぼ同時に、通常の放送を地震のニュースに切り替えていた。県東部、震度5強。我が家のあたりは震度4。どうやら新幹線も止まってしまったようだ。震度5強の地域に住んでいる友達に「大丈夫だった?」と電話をしたところ、「3階なのですごく揺れたよ。怖かった」。学校は大丈夫だったんだろうかと気になった。ふと気が付くと、何年も止まったままだった鳩時計が動いていた。とんでもない時間に、鳩が飛び出して、的はずれな時を告げた。
 動かない新幹線                                                      
 新幹線が動くかどうか心配だったが、とりあえず約束の時間までには小郡駅に行っておこうと家を出て、小郡駅に向かった。途中、高速道路のIC入り口には「地震 通行止め」の表示。しかし、小郡までの道が損壊しているとかいうようなことはなかった。明日の夜まで車を置いておける駐車場(1日いくらというような表示のある駐車場)に車を入れると、管理をされているおじさんが「新幹線はもうきょうは動かんよ。僕はJRに勤めちょったからようわかる」と言われる。それでも「友達と待ち合わせているので、とりあえず駅に行ってみます」と言い残して、小郡駅に入った。新幹線の改札口には人がたくさんいて、すぐそばのテレビのニュースを真剣に見ていた。山陽本線もまったく動いていない。「みわちゃん、どうするんだろう?」心配になってきた。4時半を過ぎて、みわちゃんの携帯に電話をしたところ「いま、漁師に小郡駅まで連れて行ってもらいよる」との返事。彼女は釣り好きな自分の父親を「漁師」と呼んでいる。                 
 しばらくしてから、みわちゃんとは落ち合えたものの、依然新幹線は動く気配がない。午後6時過ぎまで粘ってみたが、無理のようなので、あした日帰りで行くことにした。帰りに最寄り駅で切符の払い戻しをしてもらい、「やけ食い」と称して焼き肉屋でたらふく食べた。占いがあまりにもぴったり当たってなんだか怖かった。帰ったら、Rちゃんから「地震、大丈夫でしたか?」というメールが入っていたので、返事を書き、また、ほかのメル友数人に「大阪に行けなかったぁ」というメールを入れた。 
 「あぁ、幻の・・・」?                                                                             
  翌日は始発(午前6時38分)に乗ることになった。早起きをするには早寝をしなくてはならないが、新幹線が動くかどうか、USJに行けるかどうかが心配でなかなか寝付けない。午前0時、1時、2時、3時と時報のあとのニュースをそのたびに聞いていた。2時のニュースまでは「明日朝の始発までに、運転できるようになるかどうか、何とも言えない状況です」と言っていたが、3時のニュースで「明日朝6時半頃には運転が再開出来る見込みです」と状況が好転した。これを聞いて安心したのか、そのあとは寝てしまったようだ。浅い睡眠のあと5時に起きて、出かける準備をした。ラジオのニュースは3時のニュースと同じような内容を放送している。                                                                                          
 新幹線、きょうは絶対動くよねと期待して、雨の中、小郡駅に向かったが、わたしたちを待っていたのは運転再開は8時頃という情報だった。また、小郡駅の中で運転再開を待った。駅のパン屋さんの片隅でホットコーヒーを飲んだり、待合室で新聞を読んだりして、時間をつぶした。8時少し前に「運転再開」の知らせを駅員さんがハンドマイクで伝えに来た。やったぁ。やっとこれでUSJに行ける!とにかく一番最初に動く新幹線に乗ろうと、切符を買った。8時37分、出発。途中徐行運転をしながらもなんとか、新大阪に到着。その後電車を乗りついで、USJにたどりついたときには、すでに午後1時半になっていた。
やっとのことで・・・滞在6時間
 USJの入り口は大きな門。そして入場ゲートがある。地球をかたどったUSJの大きなシンボルマークも見え、やっと来たんだという実感がわいてきた。苦労して来た分、喜びもひとしおである。それにしても、人が多い。出発前にインターネットで「USJ」を検索したところ、プレオープン(招待券には「スタジオ・プレビュー」と書いてある)に行かれた方が個人で作られているHPを見つけた。このHPはかなり参考になったので、このHPを作った人にメールを送り、「人出」について尋ねてみた。返事はすぐに来た。しかもかなり丁寧な内容。メールによると、それほどの人出ではない様子。しかし、この人の多さはメールとはちょっと違うぞ。やっぱり日曜日だからかな?「ご招待券」なら、日にちも特定されているし、そんなに券を流さなければいいのに。でも、みわちゃんのひとこと「人出が多いときの対応の練習もあるのでは?」に納得した。アトラクションの入り口には「待ち時間2時間」とか表示されている。
 USJに行くのなら、ぜったい入りたかったアトラクション「BACKDRAFT」。この映画は友達に勧められてレンタルビデオで見たのが初めてだったが、すごく好きで、それから何度も見た。消防士の兄弟が主役で、消防士の活躍ぶりや、火の怖さ、放火の犯人探しなど、内容が濃い映画である。このバックドラフトのアトラクションは、化学工場という設定で、工場内のドラム缶が次々と爆発していく。本物の火を使って、轟音をともなう爆発が繰り返されるのを目の前で見るのである。本物だけにアトラクションのわずかな時間でも、場内は火で熱くなった。
 それから、昼食をとった。時刻は午後3時をまわっている。昼ご飯はUSJ公式HPで調べた、「ディスカバリーレストラン」という店に入った。HPの写真で見る限り、おいしそうだった「タイ風カレー」が食べてみたかったのである。このレストランはメインのメニューがタイ風カレーを含めて4つくらいしかなく、あとはデザートや飲み物類。タイ風カレーとマンゴープリンとビール少々を注文した。USJとディズニーランドの大きな違いのひとつに園内でアルコールが販売されていることが挙げられる。こういうテーマパークはどこもそうだと思うが、食器が陶器ではなく、食べたあとにはゴミとして捨てられる素材でできている。いまいち味気ないし、洗う手間がかからなくていいかもしれないが、これからオープンして膨大な人が来れば、ゴミの量も膨大になるだろう。ちゃんとリサイクルできるのかなぁ。そこまで考えてるのかなぁ。なんて、考えながらの昼食だったが、味はまあおいしかったかな。「無印良品」で売ってる「タイ風激辛カレー」と同じ味がした。マンゴープリンはもうちょっと甘くてもいいかなという味だった。
 さて、おなかもいっぱいになったし、次はどうしよう。バックドラフトは歩いて行くタイプのアトラクションだったので、こんどは乗り物に乗るタイプにしようということになって、「ジュラシックパーク」にした。さっき見たときよりは人の並びが少ないが、それでも入り口の待ち時間表示は「2時間20分」。バックドラフトは100分待ちと表示されていたが、実際は40分待ち程度だったので、こちらも2時間20分は大げさかなと思って、列に並んだ。ディズニーランドがどうだったか覚えていないが、USJは入り口付近には長い行列はない。人が少ないのかと思いきや、実は奥が深いのである。入り口をくぐって、あまり外からは見えないところに、すごい人数の人が並んでいた。こまごまとロープが張られ、その間に皆辛抱強く待っている。こちらのアトラクションはほんとに2時間待ちであった。待っている間わたしたちは前にいるカップルのいちゃいちゃをず〜っと見せつけられていた。やっとの思いで2時間が過ぎ、いよいよわたしたちの乗る番。入る前に入り口で「カッパ」を買った。このアトラクションの最後の部分で水の中につっこむから、カッパは必要不可欠だというのはガイドブックやHPで、知っていた。この日は雨模様で傘を差したりたたんだりを繰り返し、日も差さなくて寒かったから、買った薄手の(ほとんど使い捨ての)カッパは寒さよけになった。
 運悪くなのか運良くなのかわからないが、わたしたちは30人くらい乗れるボートの一番前に乗るはめに・・・。こうなると、最後で濡れるのは覚悟しなくちゃ。ボートはゆっくりと動き始めた。ジェットコースターなど、これまで一番前に乗ったことはなかったので、期待と不安が入り交じっている。ボートは急角度で川を上り、恐竜がところどころにいる池(?)を進んでいった。ジュラシックパークの映画はちゃんと見ていないので、このボートで進みながら見える景色が映画を彷彿とさせるものなのかどうかよくわからないうちに、倉庫のような所に入っていった。そして、大きなアラーム音がなる中をボートは進み、最後の「とどめ」がそろそろ来るのではとどきどきしていた。急にボートのスピードが上がったかと思うと急上昇しはじめた。そして、急降下。激しい衝撃の中、明るい外に出てきたが、同時に水しぶきを思いっきりかぶってしまった。カッパのフードも頭にかぶっていたが、最後にスピードが上がったときに脱げてしまい、かぶり直す暇もなく、そのまま、水につっこんだ。服のほうは200円のカッパ(写真のは600円のポンチョ、雨模様だったので着ている人が多かった)のおかげで、難を逃れたが、顔や髪はびしょぬれ。これも楽しいと思えば、楽しいのかもしれないが、アトラクションの時間はわずかで、2時間も並んで見るほどのものでは・・・なんて、”おばさん”にはあまり感動がなかった。
 お土産を買いに走る
ふたつのアトラクションを見終わって、もう残された時間があまりないので、これからは「お土産買い」に走ろうということになった。ふたりが一緒に行動すると時間がもったいないので、別行動をすることになった。こういうときは、携帯があるので「いまどこ〜?」とか「もうちょっと待っててね」とか、連絡を取り合いながら時間が有効に使える。
 みわちゃんと別れてから、わたしはまず「スヌーピー」のショップに行った。しかし、スヌーピーのショップは人でごった返していて、レジの順番待ちも長い列。少し考えてから、あきらめて、ショップから出た。それから、いちばん多くのショップが建ち並んでいる入り口近くの通りまで帰って、手当たり次第に入った。お土産はガイドブックやHPであらかじめ見当をつけておいたつもりだったが、お土産も膨大な種類があって、迷ってしまう。菓子類は、味がどうのというよりはキャラクターの描かれている缶のデザインで選ぶことになる。誰にお土産を買って帰るかは、来る前にリストを作っておいたので、買い忘れがないか、頭の中で確かめながら、品物を選んだ。買い物をしているうちに、あたりはもう薄暗くなってきていた。時間を気にしながら、やや焦りながら、ショップを渡り歩いて、なんとか買い終わった。気が付くと荷物はかなりの重さになっていた。しかし、幸か不幸か、日帰りになってしまったので、荷物はバッグとこのお土産だけ。お土産の重さは苦にはならない。ふたたびみわちゃんと合流し、「お茶でもしよう」ということになった。この時間にお茶をする人は少ないようで、「Beverly Hills Boulangerie」(ビバリーヒルズ・・そのあと読めない)という名の店は比較的空いていた。ケーキを見ると食べたくなったので、「キーライムチーズパイ」とカプチーノを注文した。おいしかった。お茶をしながら、買い忘れがないか検討した。ここ一年くらいの間、いろんな人たちから旅のお土産をいただいていたが、自分は旅行をしていないので、お土産のお返しもできずにいた。このチャンスにと思って、おもいっきり買い物をした。
 あたりはもうすっかり夕闇に包まれていて、そろそろ電車の時間が気になりはじめていた。新幹線に乗る時間から逆算して、午後7時過ぎに、USJをあとにした。もういちど、ゆっくり来たい。でも当分は、人出は今日以上だろうから、ほとぼりが冷めた頃に。しかも、日曜日ではなく平日に・・・。
 帰りはスムースと思いきや・・・。
 帰りの新幹線は「レールスター」の指定をとっていた。行きも地震が来なければ「レールスター」に乗れるはずだったのだが・・・。午後8時58分新大阪発のレールスターは、直前になっても来ない。9時になって、レールスターは遅れているので到着は10時を過ぎるとの放送があった。なにぃ〜。来ないならもっと早く言って欲しかった。向かいのホームの下り新幹線を何度も見送っていたのに。放送を聞き終わるか終わらないうちにわたしたちは、無言のまま、ダッシュして階段を駆け、向かいのホームに遅れて到着していた岡山行きの「ひかり」に飛び乗った。同じことを考える人も多数いたが、わたしたちの行動はかなり素早かった。レールスターに未練はあるが、とにかく西へ西へ行っておかないと、家にたどり着かないのではという不安があった。ひかりに乗ってから車掌さんに「指定を換えてください」と言ったところ、もう車掌さんもダイヤが乱れていてめんどくさかったのか、「あいてるところに座ってください」とひとこと。とりあえず、岡山までは、確保できた。新幹線のダイヤが乱れている原因は昨日の地震の余震が続いているからだそうで、震度4もあったようだ。岡山からはすぐ後ろにいたひかりに乗り換え、広島まで行った。余震のせいで、新幹線は徐行したり、止まったり。「運転再開の見通しはたっておりません」などと車内放送がかかると、「え〜っ」という驚きの声があがった。そんな放送があったわりにはすぐ動き出したりして、かなりJRさんも混乱してるようだった。広島からはどうしようかと悩んでいたところ、なんと初めに新大阪で乗るはずだったレールスターが、やってきた。結局、広島から小郡までのわずかな時間だけ、乗り心地の良い「レールスター」に乗ることができた。シートが広くて、グリーン車のシートみたいだ。揺れも少ない。そんなこんなで小郡駅にたどり着いたときには、もう午前1時半になっていた。ほんとなら、午後11時半には到着していたはずなのに。改札を出ると、「遅延2時間以上のため、払い戻し」という印を切符に押してくれた。後日、最寄り駅のみどりの窓口で特急料金5120円を払い戻してくれた。地震のおかげで、初めの予定よりかなり安くUSJに行けたが、滞在が6時間というのはなんも物足りない旅だった。しかし話題先取りで行けたので、まあ「良し」としよう。