セニョール小林(小林ツトム)
profile
(別に聞きたくなくてもきかせちゃる・・・)



1965年(昭和40年)1月・山口市湯田温泉に生まれる
2000gという未熟児でありました
小さく生んで大きく育てるという計画のもと
確かに大きく育ちましたね


幼稚園・小学校・中学校

わりと普通の生活でした
これでも柔道のスポ少と中学のテニス部だったんよ
だから意外と上手いんよテニス・・・
軟式だけど

小学校の5〜6年のころ、BCLってのが流行ってた
スカイセンサー5900とかクーガー2200とかトライX2000とか、分かる人には分かる
BCLってのは海外のラジオ放送(短波)を聞いて受信報告書を送ると
かわりにベリカードっていう絵葉書みたいのを送ってきてくれるもので
みんな必死にベリカード集めてたわけ
今でいうトレーディングカードみたいなもん?ちがう?
その頃の僕のお気に入りは
KBSラジオ韓国と朝鮮中央放送と
ラジオ短波の「ヤロウどもメロウどもOh!」と「セクシーオールナイト」・・・
ま、変な小学生でしたね

この頃から深夜放送の影響でDJになりたかった
好きなDJは小島一慶さん(笑)と柏村武昭さん(!)と
吉田治美さん(!)
だから
初めて仕事で治美さんとご一緒した時はそりゃあ緊張&興奮しましたよ
治美さんがホントいい人なんだ、これが!
舞台もまた見に来てくださいね


高校時代は演劇一色でしたね
演劇しかやってなかった
白石先生っていう最高の顧問との出会い
こういう人を恩師っていうんだよね
この白石先生がチャンバラが好きでね
特に「必殺シリーズ」!
だから「綾瀬川」だの「雪女風土記」なんて真面目な時代物でもやたらと殺陣に凝る
高校生に京都太秦撮影所なみの殺陣を要求するからね
血糊が飛んだり、悪代官が農民を手にした鍬ごと一刀両断したり、斬られた農民が障子突き破って出てきたり・・・
うちの演劇部の農民役はやたらと斬られる
主人公の農民より悪代官に見せ場が多いからねホント
「750ララバイ」って芝居じゃ暴走族で校長って役やって初めて演出もやった
「汚れちまった悲しみに」ってのもいい芝居だった
イヤイヤほんとに楽しかった
最高だった
白石先生ほんとにありがとうございました!!


高校出て多摩ゲーって学校いったの
映画学科でね
山口じゃ「オレが1番映画に詳しい」って思ってたわけ
井の中の蛙でしたね
同じアパートの隣りに住んでた同級生(宮城県出身)に
「どんな映画が好きなんですか?」って聞いたわけさ
スピルバーグかコッポラってあたりかなって思ってたら
東北訛りで
「おらァ、ルキノ・ビスコンティとかミケランジェロ・アントニオーニが好きかなあ」・・とかいうわけ
ビスコンティもアントニオーニも山口じゃ本でしか見たことねえ・・・
自分のことオラっていう人も初めてだった
負けた・・・・
それ以来、もう映画漬けの毎日よ!
学校で映画・放課後映画館・夜TVで映画。そしてご学友と映画談義オールナイト
それが毎日
ベビースターラーメンと安い酒の日々

強烈かつ素晴らしい友人の数々
鳥取出身のつたいチャン(彼は現在「大阪物語」「ざわざわ下北沢」「フィラメント」「目下の恋人」なんかの売れっ子カメラマン!)
ホラー映画マニアのタケちゃん
映画科のオナペット(男・色白・ヘビメタ)の森しろお
ホカ弁感覚でウォークマンを買う男・小川
パンクロッカー西やん
コワモテの先輩・角井さん(この人も現在は「菊次郎の夏」「ねじ式」のカメラマンです)
多摩ゲー映画科がなかったら今のオレはいないね

卒業製作は55分の16mm映画「のら兎の月」
一応、監督・脚本を担当
つたいチャンの撮影
たけちゃん・西やん美術
森が音響
(あ、こいつ徹夜で仕上げたネガに寝ぼけてコーヒーこぼしたんだ!無事修復・SONY-PCLさんありがと)
小川は通行人役だったな・・・
いやあ封印しました「のら兎の月」
お芸術してて青臭くって・・・
なにせ、ビクトル・エリセだのタルコフスキーだのテオ・アンゲロプロスだのジム・ジャームッシュだのに
かぶれていた時期でして・・・(いつか見たドラキュラも入ってるな)
長回しとローアングルに1度は憧れるんよ
ま、若かったってことで勘弁してやってください


で、一応卒業
某弱小映画プロダクションで仕事することに・・・
肩書きは一応助監督
でも実態は雑用係
お蔵入りした寺尾聡主演の映画なんか作ってた
世話になってた監督のサイドビジネスでアダルトビデオの手伝いもしましたね
中沢慶子さんっていうその当時人気のあった奇麗な女優さんが主演で山中湖ロケ
釣りをしている男優さんが投げた釣竿の先が中沢さんのスカートに引っかかって
スカートがめくれるシーンで使用された釣竿は
僕が小道具屋さんで借りてきたものです!
これが僕の映画界初仕事
とほほ・・・
先輩助監督にカルピスと片栗粉で作ったニセモノ××××をテストでからと口に入れさせられたり・・・ウゲッ
わずかな間ですがいろんな経験させてもらったよね


わけあって山口へと帰りました
イベントやら番組・映像制作やらの仕事をしとるわけですが
ついでにTVの司会やらレポーターやらもしております
初めてセニョール小林って名前になったのがJA貯金のCM
最初はプランニングのお手伝いのつもりが出演することに・・・演劇やってたのが幸か不幸か・・・
セニョールって名前も売れそうにないドサまわり演歌歌手っぽい名前ってことでSディレクターと考えたものでした
番組は「サタスパ!」が初レギュラーでした
やすべエーこと大谷泰彦さんと竹島久美子さんがMCで
最初は土曜日の17:30〜18:30
人気も出て火曜日20:00〜21:00へお引越し
顔もデカイが心もデカイ
やすべエーさんにはホントいろんなことを教えていただきました・・・硬軟取り混ぜて・・・
6年続きました・・・が
僕がMCに替わって1年で終了しました・・・
最後の1年は木曜日19:00〜20:00
Yディレクターの指導のもと7年間の第二の青春でした
TYSでは「生活空間DO!」の映画コーナーもやりました
Oディレクターとの趣味のコーナーでした
今時「太陽を盗んだ男」とか取り上げる映画コーナーなんかないって



現在は
ローカル番組作ったり
子供作ったり
嫁さんとこのHP作ったり
息子せいやんと遊んだり
娘きゃのんの寝顔見たり
映画見たり
演劇やったり

いろいろやっとるわけです・・・・

つづく