02

 

 

 

 

 

並盛谷は別名、霧の谷とも呼ばれている。

その由来は一年中を通してこの土地に霧が発生することが多いからだ。

森に入るといったんは薄くなっていった霧が、手に掬えそうな程に強まっていた。

この土地の兵たちもゆきかえりに出遭う限り、オークたちは駆除している。

だからといって、この森の道が安全だとは言い切れない。

毎年、幾人者旅人たちがオークの一団に襲われ、命を奪われているのだからだ。

主を乗せた黒馬は速度を落とし、ゆっくりと慎重に闊歩する。

オークの森は走る獣の姿も、飛び交う鳥の姿もなく、不気味な静寂に包まれていた。

迂回の道を選ぶ時間はなかった。

ボンゴレ九代目国王から直々に仰せつかった使命をなんとしても遂行しなければならないというの責任感が、ディーノをここまで駆り立てたのだ。

脛に駿馬の逞しい胸のうちの動悸の乱れを感じ取る。

この賢い黒馬も何か嫌な気配を感じ取っているのだ。

(誰かが俺たちを見ている)

ディーノの左手は自然と腰の鞭の柄を握り、ゆっくりと過ぎ行く森の景色をつぶさに逡巡していた。

そして、ほんの束の間、息を洩らした瞬間を見計らって一匹のオークがディーノの前に踊り出た。

跳ね馬の紋章が束に刻まれた鞭を抜き放ち、直ぐさま臨戦体制に突入する。

雄叫びとともに棍棒を振り回すオークは脳の無い、ただの荒くれ者だった。

取るに足らない相手だが、油断は禁物。

冷静に相手の動きを見極めながら、ディーノは鞭を操り、その四肢を引き裂く。

するとガマ蛙を潰したような絶鳴が響きわたり、オークの醜い頭がポトリと体よりも先に大地へと転がり落ちた。

(見られたもんじゃねぇな…)

その悪臭に耐え切れず、ディーノは息を止めたまま馬の脚を早める。

オークは共食いをする生き物なので、この亡骸もすぐに骨と化すだろう。

 

 

 

 

 

霧が晴れ渡る頃には不気味だった森の雰囲気も一変した。

木の根元には小動物が姿を現し、色鮮やかな花が辺りに咲き誇っていた。

久々に聞く鳥の囀りや木々の間から差し込む太陽の暖かな日に、ディーノも生きた心地を取り戻す。

森を抜けると、今度は彼方からドウドウと水を打つ音が聞こえてきた。

すぐそこに滝が流れているのは、地図でも確認しているところ。

「もうすぐ、並盛谷に到着する」

滝に沿って進むうち、崖と崖を繋いだ吊り橋が姿を現すはず。

その吊り橋を渡れば、並盛谷の関所がある。

ここまで来れば、半ば目的地に辿り着いたも同然だった。

長旅の疲れか、ディーノは酷く喉の乾きと空腹を覚えていた。

朝餉も取らず正午にも近いこの時間、ディーノを乗せる黒馬も疲労の色を濃くさせ、歩みがゆっくりなものへとなっていた。

ほんの少しばかりの休息を取っても罰は当たるまいと、ディーノはどこか落ち着ける場所を探す。

滝沿いに歩き、岩場が開けた地を見つけると早速、自馬の鞍と頭絡を外し、汗に濡れた馬体を労わるようにさすってやった。

「無理をさせてすまないな。エンツィオ」

頭の良い黒馬は主の言葉にブルルと息を吐き出し、岩場に生える草を食み始める。

ナメシ革で作られた袋の中から、固いパンとチーズ、保存用の干し肉を取り出してディーノは漸く腰を大地に落ち着けた。

腰の短刀でパンを小口に切り出し、乾いた唇に欠片を運ぶ。

葡萄酒でも飲みたいところだったが、まずは並盛谷に着いた後だと、牛の胃袋で作られた丈夫な水筒の紐を緩めて水を呷り呑んだ。

滝の落ちる水音を聞きながら、休める内にとディーノは黙々と食事を進める。

そんな食事の真っ最中だった。

水音に混じって何処からか歌声が聞こえて来る。

最初のうちは、聞き間違えだと思っていたが他に意識を集中させることもなく、耳を凝らしているとやはり聞こえるのだ。

女の歌声が。

ディーノは視線を辺りの岩山や肌に巡らせる。

美しい歌声は女神が奏でる音楽のようにあまやかで透明、神々の旋律にのってディーノの耳に届いた。

食べ掛けのパンとチーズを置き、ディーノは惹かれるように立ち上がった。

そして、歌が聞こえる方へと聴力を頼りに岩垣を登り、高い位置からもう一度周囲を見回す。

すると、すぐ近くの岩陰に脱ぎ捨てられた衣服と靴を見つけた。

その横には護身用にしては立派な得物までも置かれている。

その光景にぼんやりとしていると、パシャンと水が跳ねる音がして死角となる岩肌から人が水面からひょっこりと姿を表したのだ。

「!!」

何も身に纏っていないのは、ここで水浴びをしていたからだ。

白く透明な肌が水飛沫に輝き、恥じらいを知らない小さな胸が眩しかった。

赤い野苺のように熟れた乳首は惜しげも無く突き出され、良い形をしていた。

短く切り反られた黒髪を細い指先で梳きながら、薔薇色の唇は歌う。

中性的な顔立ちと身体。

男か女か判断がつけ難い。

地上に降りた天使の裸体にディーノの目は釘付けとなった。

(美しい…)

美しいのは声だけではない。

凛と凝らされた漆黒の髪と瞳はこの地に住む者に多く見受けられる色。

王宮にも美しい貴族の娘や姫君をディーノは数多く見てきたが、それらは多くの宝石や豪奢な衣装を着飾った、いわば人工的な美しさだ。

だが、水場にいる人物は何も着飾らない人間が本来持つ美しさを持っていた。

水面から見え隠れをする尻や淡い茂みは決して普段、お目にかかれるものではない。

未熟な身体ではあったがディーノは岩肌の上から熱心に観察をしていた。

「誰?」

緊張感に強張る声にディーノはハッと我に返った。

ここで覗き見していたことに気づかれでもすればと、背筋に冷たいものが走る。

誇り高く歩んできた騎士としての人生も閉ざされ、国中の笑い者となってしまうのか。

ほんの一瞬、見とれていただけだと言い訳を考えていたが、随分と長い間、ディーノが覗き見を見ていたことは隠し様もない事実だった。

バシャ、バシャ、バシャ。

ディーノが頭を垂れている間に、少年(仮にそう呼ぶ)は岩場に置いてあった護身用の得物を掴み、濡れた体を拭う暇もなく白い衣だけを肩から羽織った。

「出てきなよ!」

詰問するように言い放ち、その細腕にトンファーを装着させた。

血気迫る行動にディーノも様子がおかしいことに気がついた。

すると、物陰から三匹のオークが姿を現したのだ。

三匹のオークは瑞々しい白い肢体を衣から覗かせ、動転している少年を見て妙に興奮していた。

その証拠に剥き出しの性器が勃ちあがり、怒張している。

「慎みも何もないね…。今すぐ、消えて」

あからさまな欲望を見せ付けられ、少年はうんざりした様子で僅かに頬を赤らませた。

オークの生殖範囲は牝である人間の女、時には未熟な少年も含まれるという被害状況を耳にしたことがある。

ディーノはまずいなと思いつつ、やり取りを傍観し続けた。

「噛み殺す」

一対三と圧倒的に不利な条件にも関わらず、少年は恐れることなく武器を構えた。

一匹のオークが辛抱堪らずに襲い掛かるが、それを少年は薙ぎ払う。

トンファーの扱い方は素人レベルではなかった。

かなり使い慣れている。

知能の低いオークたちは自らの欲望に忠実で危険を顧みない。

体毛で覆われた厳つい腕を伸ばし、何とか少年を捕まえようと躍起になる。

一方の少年もすぐさま応戦をする。

空振りさせた隙に少年はオークの一匹を一撃で押し返した。

赤黒い血が飛沫のように飛び、少年の白い衣を返り血で汚す。

オークは痛みにのた打ち回り、怒り狂ったように醜い悲鳴を上げる。

そして、我武者羅になって突進して来るオークの急所を少年は見落とすことなく、一突きで仕留めた。

あれは痛そうだと、見ていたディーノは同情した。

ドサリとオークが絶え、同胞のオークたちは更に興奮を露にさせた。

勇猛果敢な少年もオーク二匹がかりだと、不利というものだった。

前後から突進され、その衝動から少年は手にしていた得物を岩肌下方へと滑らせた。

無理矢理に地へ押さえつけられ、水気を吸っていた衣は乱暴に剥ぎ取られる。

「離せっ」

抵抗をし、バタつかせる細い両脚を一匹のオークが左右に押し広げた。

「こいつを見ろよ。両性器具だ。こりゃ、珍しい!」

「無礼な…っ」

彼らの習性など、犯して殺すしかない。

欲望と本能の赴くままに生きている彼らには人の慈悲などという感情は存在しなかった。

どんな結末が待っているのかなど、少年は考えたくなかった。

汚されるくらいならば、この舌を噛み切って命を絶つ。

はずだったが、実際は顎に力が入らない。

どんなに粋がっても、所詮は子供だ。

情けないと、無遠慮に乳房を掴まれながら唇を噛み締めた。

恐怖と絶望に言葉を失い、濡れた黒髪を四方に散らす。

それからの記憶は恐怖の為、遠のいて――――