08

 

 

 

 

 

 一年の歳月が流れた。

 春に十五の誕生日を迎えた雲雀は、世の中で言う結婚適齢期を迎えていた。

 ボンゴレの守護者とディーノが並盛谷から去ってからは、そのおてんばぶりは急に途絶え、得物を振るう回数も減った。

 淡い初恋の苦渋に苛まれ、夜になると遥か彼方の王のことを思って枕を濡らした日々もあった。

 一年という月日は過ぎても、雲雀の中に眠る恋は一時も色褪せることがなく、数多の縁談もすべて断わり続けていた。

 その頑なな姿勢には領主も草壁も参ってしまう程で、何度キャバッローネ国のディーノに向けて手紙を出そうとしたことか。

 雲雀がディーノを思い続けている間、大陸は再び大きな戦の渦に巻き込まれていた。

 キャバッローネ国と同盟を結ぶ、国に敵が進軍してきたのだ。

 戦いは一年も続くが決着はつかず、ついに同盟国であるキャバッローネに援軍の狼煙が上げられたのだ。

 現在、キャバッローネ国は着々と戦の準備に追われ、各領国からも兵を召集していた。

 行商をする商人が並盛谷の館を訪れた。

「林檎やオレンジ、珍しい菓子から金の櫛まで何でも取り揃えておりますよ」

 口髭を蓄え裕福な体格をしていた商人は、雲雀や使用人たちの前で商売道具を広げていった。

「綺麗なお嬢様には、この真っ赤な林檎をお一つ、差し上げましょう」

「ありがとう」

 手渡された艶々とした林檎を雲雀は美味しそうに眺めていた。

 口の上手い商人は雲雀の為に、綺麗な帯び紐や、鼈甲で出来た手櫛、絹の織物に、花柄の前掛けを勧めて売った。

 草壁が財布を取り出し、会計を済ませる間、いつものように世間話を始めるのだ。

「近々、ボンゴレ国もキャバッローネ国と共に海を渡って闘いに参戦するという話しを聞きました。敵はミルフィオーネ国。あのジッリョネロを吸収した大国ですぞ」

「まあ、物騒なことね」

 使用人たちは顔を見合わせながら、遥か離れた本国がどのような状況下に置かされているのかを始めて知るのである。

「こんな辺境の地まで、傭兵を集めることはないでしょうが、私たち商いは諸国を渡り歩くことが難しくなっていくばかりです。時に噂によると、ボヴィーノに援軍として赴く旗頭は、キャバッローネの若き王であるそうです」

(え……?)

「キャバッローネ国は漸く王が帰還して、復興を果たしたばかりだというのに。見知らぬ大陸で戦死しなければよいのですが…」

 最後に呟いた商人の言葉に、雲雀は手に持っていた林檎を滑らせ落とした。

「ねぇ。キャバッローネ王とはどんな人?」

「確か、ボンゴレの守護者にも劣らぬ強さとカリスマ性を持ち、人望の厚い優れた王だと聞きました。名はディーノ。アルコバレーノから与えられた称号は跳ね馬でしたかな…。金髪に青い瞳が美しい青年だそうです」

 雲雀は深い絶望感に打ちひしがれていた。

 金髪で青い瞳の王と言えば、ディーノの他にない。

 

 

 

 

 

「あの人が戦に。戦に行く…」

 部屋から出て来ない娘に領主と草壁は共に渋顔をつくっていた。

「こうなってしまうことは、最早時間の問題でした」

 草壁はドアの内側から聞こえる雲雀の声に心底胸を痛めていた。

「旦那様、どうか恭さんに真実をお伝え下さい。このままでは、余りにも気の毒で私はお傍に仕えるのがつろう御座います」

 領主は頑なに隠し続けていた一つの真実を愛娘に伝える決意を固める。

 雲雀が父から手渡されたのは一通の手紙だった。

 手紙の差出人は――――

「ディーノっ」

 涙に濡れた顔のまま、雲雀は手紙を開く。

 この手紙が並盛谷へ送られて来たのは一ヶ月前。

 丁度、ディーノがボヴィーノ国へ赴くと決意した直後のこと。

「許しておくれ、雲雀。私はお前がこれ以上哀しませない為に手紙のことを内密にしていたのだ」

 ディーノが書き綴った文面を読んでいくうちに、雲雀の頬は熱く上気していった。

そして、手紙と共に託された小箱の中には馬の紋様がリングに刻まれた指輪が桐箱に包まれていた。

「ど…して…」

 今頃になってとポロポロと涙を溢れさせ、手紙を胸元で抱き締める。

「これから死ぬかもしれない男の元へ、お前を嫁がせるなど、私には到底出来なかった」

 全ては雲雀の幸せを思った親心だったのだ。

「お父様、馬車の用意を。僕をキャバッローネへ行かせて下さい」

「間に合わぬかもしれないのだぞ?」

「構いません。後悔しません。だから、お願いします」

 領主は、至急旅の支度を草壁に命じた。

 



 

 

―――恭弥のことを一度たりとも忘れたことはなかった。

   この度、俺は海を越え出陣をしなければならない。

   そうしたら急に恭弥のことが恋しくなった。

   あの時、吊り橋を引き返し、

連れて帰れば良かったと、後から後から後悔した。

   今更図々しいが、俺は恭弥に結婚を申し込みたい。

   本来なら、俺が並盛谷へ赴いて指輪を渡すべきだ

が、戦の準備の為、それも許されない。

   こんなやり方は恭弥の気に入らないだろう。

だが、どうか、この想いを知ってほしい。

 

   心から愛しているよ。

恭弥―――

 

 

 

 

 

 走る馬車に揺れながら、雲雀は大切にディーノからの手紙を読み返し、何度も涙を零していた。

 同行する草壁もここまで雲雀がディーノのことをそこまで愛していたとは考えが及ばず、手紙のことを黙っていたことを悔やんだ。

(ああ、僕はなんて馬鹿な事を口にしてしまったのか…)

 ディーノがもし、今まで手紙を送ることを躊躇っていたのならば、それはきっと自分の所為だと雲雀は、幼かった自分の言動を叱咤した。

(間に合って。そして、僕の気持ちを一刻も早く伝えないと…)

 相思相愛だったなんて、時の悪戯とはなんて残酷なのだろう。

(もっと早くにあなたの思いを知りたかった…)

 知っていれば、一年もの年月を憂鬱な思いで過ごすことはなかったというのに。

 気の迷いで抱かれたつもりはない。

 初めて会った時から、互いが強く惹かれ合っていたのだ。

 そう今なら確信できる。

 寂しい夜を彼の思い出に耽り、ひとりで慰めた日々。

体内に注がれた彼の熱さを今でも鮮明に覚えている。

 ディーノに会えるのは、いつも夢の中ばかりで、目覚めた時の虚しさは幾度も味わった。

 声では奏でられない哀しみに憂いだ日々も彼からの手紙によって救われた。

 

 愛しているよ。

 恭弥。

 

 手紙でなく、ディーノの口から言って欲しい。

(もう、何も望まないから…)

 だからと、雲雀は神に祈る。

 彼が出陣する前に一目会って、気持ちを伝えたい。

(僕も愛しています。あなたが帰って来るのを待ち続けます)

 だから。

 死なないで。

 握り締められていた左手の薬指にはディーノから贈られた婚約指輪がしっかりとはめられていた。