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虹蔵不見 すっかり寒くなったなと、首を亀のようにすぼませ男は灰色に曇る空を見上げた。 今日一日曇り空が続くと言った天気予報のことを思い出す。 「ロマーリオさん。珈琲、買ってきました」 黒スーツを上下に身に纏った青年がこちらに駆けて来る。 キャバッローネ最年少のマイケルはイタリア人にしては小柄な青年だった。 体の線が細いため、武道派のイワンやボノたちには劣るものの、頭の回転の速さと勘の良さには光るものがあった。 それに加えて整った容姿。 その顔は天からの授かり物だとディーノは褒めていたけれど、潜入調査では専ら女方役ばかりまわってきていたのでロマーリオは常々難儀な顔をして生まれてきたものだと思っていた。 でも、そんな彼にも転機は訪れた。 日頃の彼の働き振りに目を留めていたディーノは、年若いマイケルを最年少で日本行きの精鋭団に加えた。 初めて訪れる日本の地に当初は遠足気分でどうなるものかと気を揉んでいた。 本来の目的であるディーノをサポートし、護衛するという仕事を忘れぬよう目を光らせていたものだがそれも杞憂に終わった。 ディーノの恋人である雲雀のお目付け役を命じられてからというもの箔がついたというか、自信を持って仕事に挑んでいるように思える。 「気が利くようになったな。マイケル」 「どもっス」 ガードレールに腰かけ、プルトップ式の缶を開けるマイケルはクリームたっぷりのカフェオレを一口呷った。 「ボスたち、まだ当分かかるんですか?」 「そうだな。食後の珈琲もまだのようだし」 テーブルの上の皿を窺いロマーリオは答える。 食べろといえば一分で食事を済ませることができるディーノが相手のペースに合わせて食事を楽しんでいることは一目瞭然のことだった。 「恭弥のスケジュール通りなら、昼食は十二時から一時間きっかり。あと十五分で片はつく」 正確に時を刻む腕時計の針を眺め、ロマーリオたちは食後の珈琲で一服をつく。 こうして寒空の下、護衛をしながら食事を済ませることには慣れっこだった。 むしろ、待機中に食べ物にありつけることは有難いことだとも思う。 ディーノと雲雀が昼食を楽しんでいる店は都心から少し離れた、商店街に軒を連ねるこじんまりとしたロシア料理店だった。 以前、日本を訪れたディーノが道に迷い、雨と空腹で困った時に訪れたのがこの店だという。 ロシア人夫婦が切盛りをしているこの店のボルシチと黒パンが美味かったのだと雲雀に話し聞かせたところ、本日の昼食場所が決定したそうだ。 「ボルシチを食べたことがねぇって聞けば、ボスも親心が出るってもんだ」 「世界三大スープに数えられていますからね。食べたことがない方が珍しいと思いますよ」 店内は十人も座れない手狭さだった。 ディーノや雲雀のほかにもこの店の味を贔屓にしている常連客たちが数人訪れていたので、ロマーリオとマイケルは同伴することを諦めた。 第一、こんな小さな店に黒服がふたりも居合わせれば店内の空気が気まずくなるというものだ。 店内の窓辺の席で膝頭を向け合い腰かけているふたりを外から監視しつつ、ロマーリオは紫煙を灰色の空に燻らせた。 本来ならば、社長と秘書である立場に線引きをさせるつもりでいた。 だが、ディーノが雲雀に手を出してしまった。 (あれが愛人だったら、すぐさま手切れ金を渡してボスの前から追い出していたところだった) ディーノは時間の許す限り雲雀を手元に置きたがり、共に過ごそうと精力的に仕事をこなすものだから、こちらもおいそれと口を挟むことができない。 皮肉なかたちだが、いまやキャバッローネの命運はあの小生意気な東洋人の態度一つでどうとでも傾く。 雲雀の美貌にすっかり骨抜きにされてしまった主に頭が痛い。 たった一人の相手にメロメロになるなんて、イタリアにいた頃には想像もつかぬ光景だった。 いつだってディーノの周りには華やかな女たちが取り巻いていて、決して放ってはいられなかった。 (だらしなく笑っちまって…) あれでは、別れのときが余計に辛くなる。 国に残した愛人が泣くぞと嘯き、もう一度腕時計を見た。 「知ってますか。富士山に初雪が観測されたって」 「じき東京にも雪が降るんだろうな」 「恭弥が今日は小雪っていう季節だって、ボスに教えていましたよね」 日本の四季には様々な呼び名があり、情緒深いものだと感心する。 マイケルは純粋に日本に関心があるのか、見聞きいる事柄のすべてに興味を抱き感嘆していた。 マフィアにしては繊細な心の持ち主で奇特だと常々思う。 そんな彼だからこそ、ディーノに気に入られたのかも知れない。 次世代のキャバッローネの一翼を担わせるに相応しい若者をディーノは探しているのだろう。 ポツポツと会話を交わすうちにロシア料理の店では食後の珈琲が運ばれてきた。 シュガーポットがある方に座っていた雲雀は「砂糖幾つ?」と聞いているのか、ポットの蓋を開けてディーノの方を見ていた。 眺めていれば自然とふたりの会話が頭に浮かんできてしまって、思わずロマーリオは口許を綻ばせた。 雲雀が女なら迷わず、ディーノの花嫁として押すことができたのだが、如何せん彼もまた立派な男。 世の中は決して上手くはまわっていないのだなと、嘆息をつく。 「あのふたり、ほんと仲がいいっスよね。俺達の方がボスとの付き合いは長いっていうのに」 呟いた言葉に邪気はなかった。 ふたりの濃密な関係を知ってしまったロマーリオには「そうか?」と話しを横に逸らすことしかできない。 「大体ボスはブラック派なのに…ほら」 そう言って指摘する先には、指を三本立てている上司の姿があった。 珈琲に三杯も砂糖を入れるなんてありえねぇと、目をまん丸とさせる部下に年長者は「ボスは人の好意を無下にできねぇんだよ」と適当に言葉を紡いで宥めてやった。 「エスプレッソならともかく、珈琲ですよ?」 「よしよし、わかった。わかった」 目敏いマイケルもまたふたりの只ならぬ関係を薄々と感じているのだろう。 尊敬するボスを雲雀に独り占めにされて寂しいのだろう。 「そんなに泣くな。国に帰れば、ほら…」 お前に熱心な奴がいるだろうと、名前を口に出そうとして「冗談じゃない」と年上なのに怒鳴られてしまった。 「まぁ、なんだ。ボスもお前も、世の中うまくいかねぇってことだ」 外気で生ぬるくなった缶珈琲を片手にマイケルはもう一度、ディーノと雲雀の方を見る。 こうして改めて見ると、窓辺に腰かけるふたりはまるで一つの絵画のように綺麗に額縁にはまっていた。 「仕事は捗っているようだな」 山積みになった書類の山を最近見かけないなと感心する腹心にディーノは「まぁな」と書面から視線を上げて答えた。 執務中のディーノは眼鏡をかけることがしばしあった。 視力は然程悪いものではなかったが、小さな数字を追いかけ、あちこちに散らばっている部下たちの顔を見極めるのに眼鏡はいつしか手放せない仕事アイテムの一つとなった。 スクエアな眼鏡はディーノを理知的な男へと更に磨き上げてくれる。 (守る者が一つ増えただけで、こうも変わってしまうものかね…) 書類を片付ける処理速度は日本へ渡る前の倍は早くなった。 「恭弥のお陰かな。あいつ、仕事の段取り組むのが上手いんだ」 全面ガラス張りの執務室には勿論、防弾用のシールドが施されていた。 ここからだと社長であるディーノの仕事ぶりも、部下の仕事風景も互いが干渉し合える。 執務机のある背後には大きな川が流れていた。 対岸は見通しのよい小高い遊歩道が広がっており、こちらを誰が見ているか一目でわかるようになっていた。 「恭弥のお陰で一日八時間労働だぜ。ホテルでも飛び入りの仕事が入らない限り、ゆっくり寛げる」 「あいつにそんな才能があったなんて、驚きだな」 「だろ」 「おまけにボスの手綱も上手く操っているようだし」 「言ってくれるな。ロマーリオ」 あれが女だったら間違いなくボスの花嫁候補に入れていたと試すかのように言えば、ディーノは複雑な胸中を悟られないよう苦笑いを浮かべる。 「俺は恭弥が傍にいてくれるだけで十分だ。ほかに何も望んじゃいねぇよ…」 「あの坊や以外、誰も娶るつもりはないのか?」 「…そうだと俺が答えたら、お前は賛成してくれるかロマーリオ」 革張りの座椅子を回転させ、じっと下からこちらを見上げるはしばみに、鎌などかけなければ良かったとロマーリオは後悔した。 こうなってしまえば、誰が何と言おうとディーノの気が変わらないことを長年連れ添ってきた腹心は知っている。 (跡取り問題は、あとでどうにでもなるか…) ロマーリオは別件だと言って手に持っていた一枚の報告書を執務机に置いた。 その報告書を持ち上げ、ディーノは黙ったまま文面に目を落とした。 「これは…」 思わず言葉を詰まらせた。 「東京湾に浮かんでいた水死体の身元、間違いなかったぜ」 「……」 急に険しくなる上司の表情にロマーリオは嫌なことが現実になったなと嘆息をつく。 「あの爆破事故との関連性は?」 「無いとは言い切れねぇ。あいつらが血眼になって捜している標的が日本にいるとしたら、更に確率は上がるだろう」 「ボンゴレの雲の守護者か…」 「いや、まだ守護者候補と言った方が正解だな」 報告書を机の上に投げるとディーノは「一体、どんな奴なんだ」と想像力を駆け巡らせる。 「これは噂だが、その守護者候補はまだ年端もいかないガキだそうだぜ」 「ガキ? なんだそれ。何かの冗談か?」 そんなのでボンゴレは大丈夫なのかと笑うディーノに腹心も「そうだな」と賛同する。 「どの道、蚊帳の外の俺たちには関係ない話しだぜ。ボス」 カチャリと執務室のドアが開いた。 つい外野を忘れて言い合っていたふたりは思わず、入室して来た相手を見やった。 トレイにティーカップを乗せた雲雀は深刻そうにしているふたりを見て、「お邪魔だったみたいだね」と部屋を出て行こうとする。 壁掛け時計の盤面を見れば、午後三時きっかりを示していた。 (もう、そんな時間か) 慌てて雲雀を呼びとめようとするディーノの姿を横目にロマーリオは「確かに報告書は渡したぜ」と告げて去って行く。 すれ違い様、雲雀を見やり「ボスの傍にいてやれ」と耳打ちをして、漆黒のスーツの裾を翻した。 「僕なんか、いない方が良かったんだろ」 「どうして?」 そんなこと言うのとディーノは年下の恋人に微笑みかける。 「だって、あの眼鏡と大事な話をしていたんだろ」 「俺も今はメガネだぜ?」 茶化すように眼鏡のフレームを両手で上げてみせる男に雲雀はフンと息をつく。 馬鹿にしないでと、両手に持っていた盆の縁を握りしめ、そっぽを向く。 一方のディーノは子供の感傷だなと舌を巻きつつ、こっちにおいでと可愛い恋人を手招いた。 「キャバッローネ自慢の、美人秘書が淹れてくれた珈琲が飲みたいな」 仕事をしている間の唯一の楽しみといえば、この愛くるしい秘書とのささやかなやりとりくらいだ。 蕩けるような笑顔をくれるので、釈然としないまま雲雀は彼のために淹れたティーカップを傍に置いた。
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