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「あなた歳は?」 「三十二」 「ワォ…」 「なんだよ、その反応」 これでもまだまだ現役なんだぜと不本意そうに若さをアピールする姿が可笑しくて、雲雀は口許を緩めた。 「そうだね。見た目は悪くないよ」 「悪くないって、お前なぁ…」 実年齢よりも若く見られることは喜ばしいことではないかと言う慰めの言葉も傷心したディーノの心には届いていないようだった。 「恭弥は知らないが、これでもイタリアでは、一目置かれているんだぜ」 襟元まで伸びた金髪は柔らかで、少し癖ついていた。 高い鼻梁はすっきりと伸びていて、目許はあくまでも優しく、容姿全体から大人の落ち着きと余裕が漂っている。 見れば見るほどそれぞれのパーツが完璧にできていて、眩いくらいの美貌を雲雀はいまだ嘗て見たことがなかった。 それに付け加え、柔らかな物腰と気さくな言葉遣いが、初対面の雲雀にも妙に親近感を与えている。 「ふぅん。人って見かけにはよらないんだね」 公園を出てすぐに拾ったタクシーの中で、今度はディーノの方が質問攻めに合っていた。 ディーノは簡単に自己紹介も含めて自らの素性を明かしてくれた。 彼はイタリア生まれのイタリア育ち、会社経営者で日本にはビジネスで来日しており、今はホテルに定宿していると。 オフィス街を通りかかったのは昼食を終えて職場へ帰る途中だったそうだ。 「へぇ。それじゃあ、僕とあなたが出会ったのは本当に偶然だったんだね」 「運命の出会いだったかも知れないぜ?」 からかい半分で言ってやると、隣のシートに座っていた雲雀が瞳を大きく瞬かせていた。 (あ、やべ。恭弥はこういう冗談が通じない相手だったんだ…) 相手は気難しい日本人だというのについ、いつもの口説き癖が出てしまった。 怒らせてしまったことに後悔の念を抱く頃、「そうだね」と彼が頷いたので、逆にディーノの方がやり込められてしまった。 「あなたに会えたのは、運命だったのかも知れない」 「恭弥…」 細められる目尻。 見れば見るほど彼は美しく、まるでこっちが逆に口説かれているような口まわしだった。 「こうして、命があることに感謝しているしね」 (ああ、そっち方向でね) 期待感にざわついた胸はすぐに氷河期を迎えた。 まるで意のままに心拍数を弄ばれているようだ。 「なに?」 おかしなこと言ったと不思議そうにこちらを見る視線。 出会ったときの素っ気無さは今も変わりないが、警戒心はすでに解かれていて、雲雀なりの親愛の情がうかがわれる。 「傷、まだ痛むの?」 彼のこめかみには赤い一筋の線が刻まれている。 秀麗な顔を歪ませ問う雲雀を安心させるかのようにディーノはやんわりとかぶりを振るった。 「恭弥が手当てしてくれたお陰でどうってことないぜ。それに、うちには医師免許を持っている部下がいるから、帰ったらそいつに診て貰うさ」 きっと唾でもつけておけと言われるだけだと、これ以上、雲雀が気負いすることないよう笑ってみせた。 見たことのない街並み。 見るものすべてが珍しいのか、タクシーを拾った後の雲雀は興味津々の眼差しで張り付くように窓の外を眺めていた。 (どうやら、記憶がねぇっていうのは嘘じゃないみたいだな…) 目を見ればわかる。 雲雀の瞳は目に映るものの情報を知識や映像として次々と、乾いたスポンジのように吸収している。 わからないことがあれば遠慮なくディーノに訊ね、子供のような純真な反応と表情を惜しげもなく見せていた。 もし、これが全て演技だとすれば、雲雀はかなりの曲者か一流の役者だ。 「ここがあなたの滞在しているホテル?」 「ああ。来日の際はいつもここを利用している。勝手がいいからな。ほら、あこから三階分、全部キャバッローネで貸しきっている。ここからでも見えるだろう?」 そう言ってディーノは高層ホテルの最上階を指差した。 本当かいと思わず雲雀の目が見開かれた。 ディーノが指差したそれは、周辺に建ち並ぶ高層ビルのなかでも最も立派な造り構えをしており、蒼白い概観と白い窓ガラスが印象的なホテルだった。 ホテルの正面玄関にタクシーが停車すると、間を置かずして若いドア・マンの男が近づき、ディーノたちを出迎えた。 気前良く札を渡しつり銭をチップ代わりに持たせたディーノは「さあ、行くか」と雲雀の背中を促せた。 「お帰りなさいませ。ディーノ様」 今日は随分と早いお帰りでとにこやかにドア・マンの男が訊ねると、ディーノは苦笑いを浮かべて白昼にオフィス街で起こった爆破事故のことを話した。 「その事件ならテレビでも賑やかに報道されていましたよ。それで、お怪我はありませんでしたか?」 「幸いにして、この通り。心配には及ばない」 傷のことは伏せておき、ディーノは笑顔で答えてみせた。 多少なりとも負い目を感じている雲雀の肩を抱きエスコートするとフロントへと向かった。 「お帰りなさいませ」 「何か俺宛に伝言は?」 「いえ、承ってございません」 チェックインの手続きを済ませるついでに雲雀の部屋の用意を頼んだ。 「お部屋のクラスはどうなさいますか?」 「一番安い部屋でいいよ」 横から口を出してきた雲雀に待てと制する。 「やっぱいいわ。俺の部屋に使っていないゲストルームがあったよな。そこを使うことにする」 「畏まりました」 用件を満たすとディーノはルームカードを受け取ってフロントを離れた。 「ちょっと、余計な気使わないでくれる?」 情けなんて不要だと雲雀が言いかけると、有無を言わせぬ柔和な面が向けられ、言葉を詰まらせた。 「記憶喪失のお前をひとりになんてできるかよ。恭弥のことは俺が責任を持って面倒見る」 「……」 そう決めたんだと意志の強そうな双眸で見つめられ、雲雀はふいに顔を反らせた。 「恭弥」 頬は少し熱い。 あんな目で見つめられたら心をすべて見透かされてしまいそうだ。 気持ちを落ち着かせてから一つ頷き、それを確認したディーノは嬉しそうに微笑した。 アンティーク調に統一されたアトリウムロビーには国際色豊かな老若男女で賑わっていた。 扇状に八基のエレベーターが設置された一つに乗り込むと、背後に迫るガラス越しの風景に目を奪われた。 隣に立つディーノに気づかれないように息を呑み、眼下に広がるジオラマを眺めた。 各階を知らせるランプが最上階を表示すると、ドアは音もなく静かに開かれた。 「ここは俺専用の階だ」 「全部あなたの部屋?」 嘘でしょう? 一歩、右足から踏み込めば、絨毯の重柔な感触に思わず足元からバランスを崩しかけた。 よろける雲雀を背後から受け止めたのは男の逞しい二の腕で、首を巡らせた雲雀は必然的にディーノと目が合った。 ディーノからは清涼感のあるフレグランスの香りが仄かにした。 目を閉じればインスピレーションが光の放射状に広がる。 青々とした白樺の小道と囁く鳥の囀り。 白樺の小道の出口に立っているのは、背いっぱいに太陽を浴びて微笑んでいる彼―――― 雲雀は慌てて離れた。 「疲れてる恭弥?」 「別に…」 いわゆるスィートルームと呼ばれる豪奢な装いと贅を尽くされた家具や調度品。 だからといって嫌味に感じないのは、茶を基調とした和みのテイストを取り入れたためか。 室内は利用するゲストに安らぎを与える空間となるよう設計されていた。 「キッチンもあるんだね」 簡易キッチンやバーカウンターを見つけて、雲雀は感嘆した。 それにしても、広いなんてものではなかった。 あまりの広さに呆気にとられながら雲雀は部屋の隅々までを歩き、見渡した。 「どう。気に入った?」 「……僕の部屋は、どこ?」 「さぁ。どこでしょう」 意地悪な答えだった。 そういえば自分はまだ彼という人と成りをよくは知らない。 こちらが振り返れば、きっとじっと楽しそうに眺めていることだろう。 そのくすぐったい絡みつくような視線から逃れるためにも雲雀は自分の部屋を探した。 リビングの奥の部屋は予想通り寝室となっていた。 キングサイズのベッドが一つ、部屋の中央に据えられてベッドメイキングされた上掛けの上には真っ赤な正方形のクッションが斜めに立てかけられていた。 「ここでもないようだな」 「……」 寝室のすぐ脇に扉があった。 勘が働いた雲雀はその部屋脇にあるドアノブに手をかけた。 カチャリと音がして、蔓と花の装飾が施されたドアが開かれる。 ディーノが使用する寝室とは比べ物にならない狭さだったが、逆に雲雀ひとりが過ごすには丁度良いと思った。 ゲストルームには南側に窓があり、眼下を見下ろすと都心の街並みを一望することができる。 「いい眺めだろ? ここからの夜景はもっと綺麗なんだぜ」 背後には出入り口を塞ぐようにディーノが立っていた。 「まぁね…」 適当に返事をする。 「寝起きはこのゲストルームを使うとして、日中はリビングを好きに使ってくれて構わない。手狭で申し訳ないが我慢してくれ。一緒の部屋の方が目も行き届くし、何かあった時もすぐに対処できる。必要な物があれば用意させるから、遠慮なく言ってくれ」 「うん」 そうさせてもらうよと、雲雀は返事をした。 どこが手狭なものか。 ディーノと一緒の部屋であること以外、なにも不服はなかった。 「ボス!」 一通り、部屋を案内し終える頃、来客は現れた。 上下黒スーツに身を包んだ中肉中背、大柄でも小男でもない口許に髭を生やした眼鏡の中年男。 年の頃は四十台後半といったところか。 遠慮なくこの部屋に入って来た男をディーノは「ロマーリオ」と、にこやかに迎えた。 「無事だったか。ボス」 部下に連絡を入れることをすっかり失念していたディーノは、心底心配した様子の彼に罰悪く微笑む。 「オフィスに連絡を入れても誰も出ねぇ。携帯はあの混乱で繋がらねぇ…。これは、いよいよ本気で事故に巻き込まれたのかって心配していたんだぞ」 「心配かけて悪かった。ほら、俺はこの通りどうってことねぇ」 軽やかに笑ってみせるディーノに「その傷は?」とすかさず、顔を指差されロマーリオは追求した。 「これは、あれだ。野良猫と戯れようとした時にできた引っ掻き傷だ。うん」 「そうか」 まるで自分に言い聞かせるかのような説明にロマーリオは半信半疑に上司とそして雲雀を見やる。 追求する気も萎えたロマーリオは大きく溜息をつくと、「とにかく、無事で何よりだ」と小さく呟いた。 そして、今頃その存在に気がついたように雲雀を見やった。 「で、その連れは?」 慇懃無礼な視線に雲雀の表情は瞬く間に不機嫌なものへと一変した。 「こいつは、雲雀恭弥。あの爆破騒動で知り合った」 「それで?」 警戒感の表れか、険しい表情のままロマーリオは雲雀を睨み続けていた。 職業柄仕方ないといえばそうなのだが、ディーノはどうにか誤解を解こうと弁を振るった。 「こいつ記憶喪失みてぇなんだ。他に行く宛てもねぇっていうし、だから…」 「だから、ここへ連れてきたと?」 「お、おう」 長年連れ添っていたからこそわかる。 ディーノは困っている者を見て見ぬふりができない。 それこそ、道端に子猫が捨てられていたら、新しい飼い主を見つけ出すまで決して手放そうとはしない――そんな奴なのだ。 (だが、人間を拾ってきたのは初めてだな…) どうしたものかと、ロマーリオは一風変わった雰囲気を醸し出している細面の美しい容姿をした青年を見下ろした。 「ちょっといいかボス」 「ああ」 二人だけで話がしたいと言うロマーリオの意を汲み取り、ディーノは雲雀をリビングルームに残すと、一路自分たちは一部屋離れた寝室へと篭もった。 厚手のドアを閉めるなり、「あんたなぁ…」とロマーリオは小言モードに入る。 「それで、爆発の原因は?」 ディーノが口にした内容は穏やかではなかった。 「警察の発表では何者かによる爆弾テロではないかと言っているが、まだはっきりとしたことはなんもわかっちゃいねぇ。今はどこのチャンネルをつけても今回の爆破事件のことで大賑わいだ」 「だろうな…。オフィスにいた部下たちはどうした?」 「無傷だ。但し、オフィスの方はかなりのとばっちりを受けているがな」 「そうか」 安堵の心地でディーノは息をつく。 「あの爆破がキャバッローネのオフィスから然程離れていない距離だったから、余計に驚いたぜ」 「そうだな。今回の件は妙に後ろ髪を引かれる思いだ」 偶然の産物であったのか、はたまたそうではないのか。 ディーノの思考を誰よりも理解している腹心は唇を弓形につり上げた。 「手の空いている奴らに情報収集をさせている」 「相変わらず手際がいいな」 「長年、あんたの下で働いはいねぇよ」 当然だと言わんばかりの口調でロマーリオは眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。 「それよりも、ボス。その傷は――」 「恭弥を庇った。傷も浅いし、二、三日で治るだろ」 やっぱり名誉の負傷だったのかと嘆息をついた。 あんたの顔は商売道具の一つだということを忘れたのかと、ロマーリオは苦渋しながら言う。 「この通りだロマ。無理を言ってることは重々わかってる。記憶が戻るまでの間でいい。恭弥の面倒を見たい。協力してくれ」 眼前で両手を合わせ懇願する上司に、フゥと息をつく。 「そんなにあの日本人のことが気に入ったのか?」 「ば…。そんなんじゃ、ねぇ…」 不純な動機であるものかと語調を強めるディーノに「どうかな」とロマーリオは疑いの眼を向けたまま。 「…わかったよ。あんたがそこまで言うのなら、俺達は従うまでだ」 「ロマ」 そのひと言で瞬時に明るく表情が一変した。 「ただし、条件がある」 「なんだ?」 「もし、恭弥がボスの厚意を裏切った時の話しだ――――」 「ばかか。おめぇ…」 恭弥に限ってそんなことがある筈がないとディーノは確固たる確信をもって部下に告げた。 こうして雲雀はいいように言い包められてディーノとの同棲生活が始まるのでした(はぁと)。 |