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コンセルジュに勧められたブティックは滞在するホテルから徒歩十分も要さないケヤキ通りにあった。 徒歩で行ける距離だからと、雲雀はディーノ部下を連れ立たなかった。 連れてきたくなかったと言った方が正しい。 (群れるのはごめんだよ) 雲雀は晴れた天気の良い道通りを一様に眺めて思った。 ここには面白い形を成したブティックが数多く点在している。 まるでケヤキ通りの景色と建物の外観が一つのアートとして融合しているみたいだ。 丁寧な文字でメモ書きされた店の名称と住所を一軒一軒と照らし合わせてゆく。 幸いにしてコンセルジュがアドバイスしてくれたブティックの多くはこのケヤキ通りに集中していた。 菱形の全面ガラスで建てられたものや、特別な形成術法で硬質なアクリルにドレープをつけたもの。 それらの建造物のなかで最も目を引いたのはケヤキの木を切り落とさずそのままコンクリートの外壁に盛り込んだアクロバテッィクな建物だった。 上質で一流のものをとディーノに指示されたからには、ここで引き返すことは許されない。 面倒だとか、場違いだという考えはとりあえず忘れ、雲雀は覚悟を決めて一つの店のドアを潜った。 店内は白一色、全体的にフロアがチューブ状に膨らんでいて単純に面白い構造を成していた。 「いらっしゃいませ」 洗練されたスタッフが来店したひとりの青年に目を向ける。 その客は一風風変わりな装いをしていて、物珍しそうに店内を見渡す黒髪の青年だった。 身にまとっていた細身のシングルの黒スーツは傍から見てもあちこちがほころび汚れ、よれよれになっていた。 上客を相手にする店にはあまり不似つかわしい客だと思った若い女性スタッフはすぐさま雲雀に声をかけた。 「何をお探しですか?」 その表情はあくまで営業スマイルを保ち、しかし目は相手を値踏みする極めて不躾なものであった。 女性スタッフに顔を向けた雲雀はここに服を買いに来ること以外何があると言わん不遜な態度と台詞で適当にあしらった。 「どのような服を御所望で」 「スーツ。あとは、普段着も」 ゆっくりと闊歩し始める雲雀の後姿を女は冷ややかな目で見つめる。 支払い能力はあるのか、単なる冷やかしではないのかと、慇懃無礼な視線に気づいた雲雀は「なに?」と振り返った。 「ねぇ。スーツはどこにあるの?」 「スーツでしたら、あちらのフロアにございます」 誘導するように女は歩いた。 「こちらでございます」 通されたそこは菱形格子状のファザードを通して、外から店内が見える構造になっていた。 ケヤキの隙間から木漏れ日が降り注ぐ店内に立つマネキンが身に纏ったスーツを上から下までじっくりと眺めて、雲雀は「これちょうだい」と即決した。 躊躇のない判断に女は慌てすぐにサイズを訊ねた。 「知らない」 服を買い求めに来た者の口からでる言葉ではなかった。 「では、サイズを測らせて頂いてよろしいでしょうか?」 サイズの在庫も確認しなければならないからと言う女に雲雀はどこか他人事のように頷き、了承した。 別室に通された雲雀は言われるまま腕を上げ、椅子に腰かけた状態で何通りか寸法を巻き尺で計られた。 雲雀は成人男性にしてはウエスト周りが細く、薄い身体つきをしていた。 「大変申し訳ありませんが、お客様のサイズに合ったズボンの在庫がただいま品切れしておりまして…」 取り寄せるならば数日はかかると説明を受けた雲雀は少々疲れた様子で聞き入れた。 「僕は今すぐに欲しいんだ。ほかに僕に合うものを持ってきて」 選択は君に任せるからと自らはスーツ選びを放棄し、近くにあった椅子に腰かけ大きく欠伸をする。 まるで服選びに興味がないといった様子だった。 これが冷やかし以外のなんであろう、そんな雲雀の態度に女はそれまで積もらせていた不満を滑らせてしまった。 *
* * 今日は流石に公園で日光浴を楽しみながらの昼食をとるゆとりはなかった。 緻密に組まれたスケジュールのため、車での移動する僅かな合間に彼は部下が買ってきてくれた昼食をとる。 紙袋の中には生ハムとマリボーチーズの挟まったフィローネ、紙コップに注がれ蓋をされたドリップ珈琲が今日の昼食だった。 贅沢を言っている暇はないなとディーノは苦笑し、ビニールの封を切ると携帯用のおしぼりで手を拭いた。 それから、まだ温かいフィローネを掴む。 (恭弥の奴、買い物は済ませているんだろうか…) 車の振動で珈琲を溢さないよう細心の注意を払いながら、ディーノはフィローネに齧りついた。 「ロマーリオ。マイケルからの連絡はあったか?」 「まだだ。メールの一つもないぜ」 運転を務める腹心に問うてみれば、雲雀のお守りを言いつけた部下からの連絡はまだ一度もないという。 「おかしいな…」 よく気の利く若い部下のことを思い出しディーノは内心首を傾げる。 「そんなに恭弥のことが気になるのなら、連絡をしてみたらどうだ?」 それは最もな意見だった。 午前中は一件目の商談が昼まで長引き電話をする暇もなかった。 昼食時間を兼ねたこの移動中に連絡をとるつもりでいたディーノは上着のポケットからメタリックなカラーの携帯電話を取り出した。 三コール内に部下は電話に出た。 「マイケルか。俺だ。買い物はどうだった?」 『それが、ボス…』 電話口で言葉を濁す若い部下の口調にディーノは眉根を寄せる。 そして、恭弥に何があったかと訊ねた。 『恭弥が部屋から一歩も出て来ないんです。午前中、散歩をすると出かけて、それから三十分もしないうちに帰ってきてから様子がおかしい』 「…どんな風にだ?」 『顔には表わしませんが、あれは酷く落ち込んでいる様子です。昼飯も部屋の前に置かれたまま、手もつけません』 「食事をとってねぇのか?」 それは尋常ではないと、気まぐれで勝手な猫のような顔を見せる子を思い浮かべる。 『どうするボス?』 お手上げだと根を詰めている部下の声にさすがのディーノも黙り込んでしまう。 だからと言って困惑する部下に何も指示をしないわけにはいかず、携帯電話を持ったままディーノは窓の外を見つめ考えあぐねた。 「マイケル、お前は引き続き恭弥のことを見張っていろ。片時も目を離すな。あいつは今、記憶を失っていて精神的にも不安定だ。何かあればロマーリオの携帯に連絡しろ。いいな?」 『si』 部下は従順に返事をし通話を切った。 「恭弥の奴、一体どうしちまったんだ…」 もう食事どころではなくなってしまった。 携帯電話を上着のポケットへ仕舞うと、頭を抱えディーノは瞑目する。 そんな主の様子をバックミラー越しに見ていたロマーリオは「尽々、悩みの種が絶えないな」と同情の声を寄越す。 「ロマ、昼からの商談――」 「だめだ。キャンセルはきかねぇ。あんたも知っているだろう。日本人は義理と信頼を重んじる。約束も果たせねぇ奴は信頼に値しないと思われるぜ?」 「わーってるって」 わかっているなら子供みたいな我侭は言うなと釘を刺され、ディーノは今日ほど勝手の利かない拘束された我が身を恨んだ。 自分がトップでいる限り私情は持ち込まないと決めていた筈なのに、雲雀に出会ってからというものその確固たる決意は揺れる嵐の海を漂流している。 「恭弥のことが心配なら、死ぬ気で仕事を終わらせることだな。昼からの商談は二件。あんたの采配で迅速に纏めりゃ、夕方までにはホテルへ帰れるだろうよ」 「…こんの。他人事みたいに言いやがって」 しれっと言ってのける腹心に恨み事を募らせるも、確かに通り的には適っているのでそうするしかないと決意を固めた。 それからのディーノ働きぶりを同郷の者が見れば、「彼、本当にイタリア人?」と誰もが口にするくらいの勤勉ぶりだった。
部下たちも初めて見る主の本気を垣間見て、「人が変わっちまった」と呟く者もいたとかいないとか。
全身に意欲のオーラが漲るディーノに商談相手の日本人もすぐに好感を抱き、次々に商談は成立していった。
「さすがボス。予定時間を二時間近く縮めやがった」
「そんなに恭弥って子がいいのかねぇ」
「うーん。確かに恭弥は大和美人だが相手は男だぜ。ただの親心だろう?」
缶珈琲を片手に一服していた黒服たちはそれぞれが思い思い好きなことを口にしていた。
そんな彼らを視界の端で眺めていたロマーリオは「いい気なものだ」と紫煙を燻らせ、コンビニから出てきた当主を出迎えた。
彼の手にはビニール袋ぎっしりに品物が詰め込まれていた。
「何をそんなに買ったんだ?」
あんたひとりのおやつにしては多すぎるなとからかう。
後部座席側のドアを開けたロマーリオにディーノは「恭弥にだよ」と答えた。
「結局、何にも食べてないんだろ。恭弥のバカは…」
雲雀の一件以来、定期的に連絡を入れるうになったマイケルのメールには、変化なしのメッセージが虚しく続いていた。
運転席に落ち着いたロマーリオは当主の意を汲み無言で車を発進させた。
午後五時前にホテルへ到着すると三階まで吹き抜けのアトリウムロビーを突き進み、最上階のスイートルームを目指す。
部屋の前にはお守りを命じられたマイケルが主の帰りに瞳を輝かせた。
「ボス!」
栗毛の若い青年は泣きそうな声をあげるとディーノは苦笑し、「ご苦労だった」と労いの言葉をかけてやった。
「恭弥は?」
「部屋にいます」
足早に重厚な絨毯が敷き詰まった廊下を歩き、ディーノは誰もが恐れて触れなかった岩戸を開いた。
「恭弥、いま帰ったぞ」
ここは敢えて、堂々とした方がいい。
ディーノはいつもと変わらぬ調子で部屋に入っていく。
「恭弥―」
姿を見せぬ黒猫。
広いリビングを抜け、奥の寝室へ。
寝室の端にあるゲストルームのドアの前には冷え切った膳が手付かずのまま置いてある。
それを見やって、ディーノは嘆息をついた。
困ったものだなと首筋に手をあて、それからゆっくりとした歩みでドアの淵へと右手を添えた。
「恭弥」
一体どうしたんだと優しく問い質す。
「買い物をすると約束しただろう。約束を破るなんて義理堅い日本人のすることじゃねぇ。なにがあったんだ?」
わけを聞かせてくれ。
怒ってはいないからと言葉を続けると、ドアの向こうから声が微かにした。
それをとりこぼさぬよう、ディーノはドアに耳を押し当てる。
「あなたの言いつけ通り、買い物に行ったよ。行ったけど…」
「うん?」
焦らず騒がず、静かに次の言葉を待った。
「侮辱を受けた。もう、ごめんだよ。あんな店…」
震える声にディーノは堪らずドアノブに手をかけた。
鍵はかかっていなかった。
マイケルが侵入を果たさなかったのは、雲雀がディーノにとって大事な客人であるからだ。
(それならそうと、言ってくれよ…)
ディーノはてっきり雲雀は天の岩戸を実践しているのとばかり思い込んでいた。
「入るぞ」
ディーノは部屋の主としての権利を主張した。
彼が目にしたものはシングルベッドの上で塞ぎこんでいる黒スーツ姿の雲雀だった。
「お前、その格好…」
昨日買ってやったスーツはどうしたと、言いかけると雲雀はごねた子供のような表情をみせた。
「どんな格好をしたって、僕の自由だ」
黒の方が落ち着くという何の根拠もない言い訳に、どうしたものかと軽い眩暈を覚える。
絨毯の上には空になったミネラルウォーターのボトルが転がっていた。
ゲストルームには冷蔵庫が備え付けられている。
水やお茶、炭酸飲料、ミニチュアボトルのウイスキーといった手合いのものが常備してあるので、何も口にしなかったわけではないようだ。
「腹、減ってんだろ? 喰えよ」
差し入れだと手渡されたビニール袋はそれなりに重かった。
「日本人はやっぱ和食だろ」
ちょうど恋しいと思っていた日本食。
雲雀はビニールに包まれた鮭おにぎりを手にした。
「それがいいのか?」
「うん…」
なんだやはり空腹だったのか、雲雀は大人しく彼が差し入れてくれたおにぎりを食べ始める。
その食べぷりをディーノは満足そうに、脇にあった丸椅子に腰かけ見守った。
彼はなんというか、見た目はもう充分に成人した大人なのに中身はまるで子供だ。
今日一日、散々彼に引っ掻きまわされたディーノはことなくて良かったと押し寄せた疲労感にタイを緩めた。
いつまでそうしていたのか、漸く食べる手を止めた雲雀を見計らって「出掛けるか」と、その手をとった。
「どこの店だ?」 「どこって…」 車をまわすという部下の制止を振り切って、ディーノは夕暮れの街を雲雀とふたりで歩く。 散歩途中に立ち寄れる店などたかが知れていた。 ケヤキ通りに連なる店の一つの前で雲雀の足は止まった。 「ここか。恭弥に恥をかかせたっていう店は」 「いいよ。もう…」 二度と行きたくないと心に決めて出て来たのだ。 俯き加減に入店を拒む雲雀に「大丈夫」とディーノは特上の笑みを浮かべ、その浮かない顔を覗き込む。 「今は俺がついているだろう?」 「ディーノ…」 夕方の店内は仕事帰りのサラリーマンや若者客で賑わっていた。 「いらっしゃいませ」 混じりけのない金髪を目にするのは珍しかった。 マネキンにも引けを取らない長身にモデル並みの容姿をしたディーノの来店はそれまで白と黒のモノトーンに限定されていた店内を輝かせるに十分な色だった。 「今朝、こちらでスーツを買いにきた者の連れだが」 「は、はい」 堂々とした態度、流暢な言葉づかい、接客に応じた男性スタッフは店内を見回すディーノの視線が気になってならない。 「もう一度、同じものを見せてはくれないか」 「かしこまりました。少々、お待ちください」 男性スタッフはすぐに店の奥へ消え、女スタッフを連れて来た。 その女の顔をみるなり、雲雀は表情筋を強張らせ俯く。 「忙しいところを失礼。案内をよろしく頼む」 「はあ…」 その場から一歩も動けない雲雀の腰に腕をまわし、「行こう」と小声でディーノは促した。 通されたフロアには所狭しと色様々なスーツが飾られていた。 「恭弥は黒のスーツが欲しんだよな」 そうなると選ぶのは格段に楽だなと、ディーノは明るく微笑む。 ザッと辺りを眺めて、その中から一番上質な黒スーツを手にした。 「お目が高いですね。お客様。そのスーツは当店でも入荷するのに苦労した代物でして」 ディーノが手にした物はリネンとレーヨンの混紡生地で、一つボタンにピークドラベルの程よいモード感を醸し出したスーツだった。 「サイズも恭弥に丁度良さそうだな。試着してみるか?」 スーツ一式を女に持たせディーノは雲雀をフィットルームへと連れて行く。 「着たら、一度見せてくれ」 そう言ってディーノは自らの手でカーテンを閉めた。 フィットルームの全面に張られた鏡を前に雲雀は小さく息をつくと、草臥れたスーツのボタンに手をかけ始める。 ディーノがついてきてくれているということもあってか、心はそんなに重くはなかった。 選んでくれたスーツも肌に合う心地よい素材で悪くはない。 「着替えたか?」 カーテン越しに彼の声がして、雲雀は「うん」と答えた。 「どうだ。恭弥?」 雲雀がカーテンを開ける前にシャと短い音と共にカーテンが開いた。 そんな真似をするのはディーノのほかない。 唖然としている雲雀を吟味するようにディーノは頭の上から爪先まで眺めた。 「ちょっと…」 じろじろと見ないでくれると頬を赤らめ、雲雀は視線のやり場に戸惑う。 「ん。袖の長さも丁度いいみたいだな。ほら、くるっとまわって見せて」 言われるままに雲雀はその場で一周してみせた。 色は遠目に見ればリゾットダークだが、近づいてみるとダイヤモンドのマイクロ柄になっていた。 ウエストは適度に絞られ、ボタン位置が高めなっていることからウエスト位置が高くなる。 ポケットは玉縁使用となっていることでウエスト周りがすっきりとまとまり、細身な雲雀のために誂えたような品だった。 「似合うじゃねえか。気に入ったぜ。これを貰おうか。他にも恭弥のサイズに合うスーツを選りすぐってくれ」 次はシャツだなと、幾つかの注文をつけてディーノは女店員にシャツを持って来させた。 「こちらのシャツは最高級のコットンを使用した大変高級感のあるものでございます。襟はスナップボタンダウンになっております」 「そいつを一着、襟タイプが違う白を二着。あと、グレーと紫を一着ずつ。恭弥、こっちに来い。お前に似合うネクタイを探そう」 気後れする雲雀をフィットルームから引っ張り出して、ディーノはネクタイが掛けられた棚の前で目に入った物を手に取った。 「やっぱ、マローネ色は外せねぇな」 階段状に幾何学模様の入ったマローネ色のネクタイは落ち着いた大人の男を演出するには持ってこいだった。 光の角度で様々な表情に変化するそれ。 ボリューム感のある肉厚のシルク百パーセントのネクタイはハンドメイドの品だった。 その他にもチャコールブラックやネイビーと数本のネクタイを選び、また女店員に渡した。 「あとはベルトとポケットチーフに靴下…。靴はいい店を知っているから、そこに連れて行ってやる」 肝心の支払いのことを気にしていた女店員にディーノは目配せをして、雲雀にカードを提示させた。 「このカードが紛い物かどうか。使ってみればわかることだ」 「そんな…」 「だが、あんたは実際、恭弥の身なりを見て疑った」 「……」 「とんだ上客を掴み損ねたな。この店は」 選ばれし者にしか持つことを許されないブラックカードを目の当たりにして女は言葉を失った。 自分はなんて大それたことをと、自分が仕出かした大罪を心から後悔した。 実際、こんな店はあってはならないのですがネタとして。 タイトルを「ディーノさんは心配性」に変えようかと悩みました。 一見、優雅に昼食をとっているように見える彼ですが、多忙極まりないスケジュールのなかでは食事も疎かになるみたいです。 ディーノさんの荒れた食生活は今後飛躍的に解決されていきますので、ご安心下さい。ちょっとした予告も兼ねさせて頂きました。 それにしても甘すぎる。ディーノさん(萌)!! |