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精根尽きたあとは、とても食事をとる気分ではなかった。
ホテルを出発する前、雲雀は二日ぶりに並盛中の制服に袖を通した。
やはり、この恰好が一番、身も心も引き締まる。
用意はできたかと訊ねるディーノに頷くと、正面玄関にまわされた黒塗りの車に乗った。
勿論、ディーノも雲雀と同乗する。
ぼんやりとする雲雀を横に座らせ、ディーノは四六時中様子を窺っていた。
「恭弥、その…調子はどうだ?」
食べられそうかと、遠慮がちに問う男に雲雀はいまだ口の中の違和感がとれないと不機嫌そうに唇を尖らせる。
「俺が無茶させたせいだよな。ほんと、すまねぇ…」
詫びるディーノを尻目に運転手を務めるロマーリオと警護役のボノはニヤニヤとしていた。
既に黒服たちの間では、雲雀はディーノにハメられ寄りが戻ったことになっていたのだ。
「ボス、恭弥はまだ子供なんだ。幾ら可愛いからって、あんまり無茶させんなよ。壊れても知らないぜ」
「ば…。てめーら、蒸し返すようなこと口にするんじゃねぇ!」
「うるさい」
静かにしてと、一つ欠伸を噛みしめながら、眠たそうにしている雲雀を見やってすぐにその身を引き寄せた。
「眠いんだろう? 楽にしろよ」
「余計なことしないで」
嫌がるじゃじゃ馬の髪を梳いてやったり、低い鼻筋などにキスをしてやって手懐け、最後に大人しく膝の上に頭を落ち着かせた。
そして、予め車中に用意していた薄手のブランケットを掛けてやった。
「これであったけぇだろう?」
「…本当に余計なことだよ」
ツンと横を向いたのはほんの数秒だけで、それから雲雀はすぐに目を閉じてすっかり大人しくなり、ディーノは口許を綻ばせた。
「少し眠れ。おやすみ恭弥…」
意識を手放す瞬間までディーノは太陽の木漏れ日の笑顔を降り注いでいた。
「ボス、猫可愛がりし過ぎだぜ」
「そうか?」
ロマーリオに指摘されて、初めて気がついた。
「猫か…」
我儘で気まぐれで、可愛くて仕方ない。
たったひとりの存在にここまで振り回されるなんて、家庭教師を引き受けるまで思いもしなかった。
高速道に乗った車は下り方面をひたすら走る。
変わり映えのない風景と起伏のない安定した道路を走るためか、雲雀の眠りの妨げをするものは少なかった。
前後を走る黒塗りの車と定期的に連絡を取り合いながら、互いの状況報告を怠らなかった。
定時連絡以外のときは努めて雲雀を気遣い、会話は必要とあれば小声で最小限に留めていた。
「ボス、次のサービスエリアで休憩をとりたいんだが」
「そうだな」
そろそろ、この窮屈な空間に息が詰まりそうだったとディーノはロマーリオの提案に頷いた。
次のサービスエリアまで一キロを切った頃、それまでディーノの膝枕でスゥスゥと眠っていた雲雀の目がパチリと開いた。
「お腹すいた」
久方ぶりに空腹を訴えてくる子供に「いいタイミングに起きたな」とディーノは満面の笑みでぷにぷにの頬を撫でた。
「気安く触らないで」
「いいだろう。減るもんじゃねぇし。それより、次のサービスエリアで小休憩だ」
ディーノの言葉にロマーリオは右方向にウインカーを出し、一路車は休日の旅行者でごった返すサービスエリアへ到着した。
「ボス、停車位置をよく覚えてろよ」
周辺には似たような色の車が多く停まっていた。
車から降りたディーノは新鮮な澄んだ空気を胸一杯に吸い込んだ。
「んー。気持ちいいな」
清々しく、周囲の山々を見渡し伸びをするディーノ他、黒服たちに雲雀は「群れてる」と不満を口にした。
「仕方ねぇだろ。日本の休日のサービスエリアなんてこんなもんだろう?」
ボノがのんびりと答えると雲雀は益々、顔つきを険しくさせた。
「どうする。ボス?」
我儘なボンゴレの大事な預かり子を誰が面倒見るかなんて、聞くまでもなかった。
「ほんの少しだけ、我慢してくれねぇか? 腹減った分、美味いもん喰わせてやっから」
本当かなと疑いつつも、無理やりディーノに連れられて人混みでごった返す施設内へと向かった。
「俺から離れるなよ」
やたらと保護者面をする財布代わりの男に「そんなヘマはしないよ」と雲雀は憮然と返した。
食堂もレストランも空席はなく、店の前に人の列ができていた。
待てそうかと訊ねるディーノに「群れてる」と唇を尖らせるので、これは無理だなと諦めた。
そうなると選択肢は必然と狭まってきた。
ディーノは人混みから遠ざかるように雲雀を引っ張って、比較的列のない露店に連れて来た。
「なんでも好きなもん買ってやるよ」
「もとより、そのつもりだよ」
だから雲雀は遠慮することなく、あれが食べたい、これが食べたいと指をさした。
休日の露店は活気があった。マフィアのボスらしからぬ甲斐甲斐しさで雲雀に尽くす主の姿を部下たちは面白そうに見守っていた。
完全に尻に敷かれいてるなとか、さすがのボスも恭弥には頭があがらねぇと囃したてられる。
何とでも言うがいい。一度は諦めた子がいまこうして傍に居てくれる。
それだけでも、神に感謝すべきだ。
更に雲雀は大人の男の抱え持つ肉欲にも小さな身体で応えてくれた。恐らくは無意識でのことだろう。
過去に愛されていた記憶が身体に深く刻み込まれていて、性を知らない少年の雲雀は簡単に落ちてしまっただけのこと。
まだ肝心な気持ちの部分を直接、雲雀からは確かめてはない。
その分の不安はいまだ拭いきれていなかったが、ディーノは折を見て雲雀の心に問うつもりでいた。
「たくさん買ったな。恭弥?」
振り返ると、隣に雲雀の姿はなかった。
「恭弥?」
血の気が引いた。ディーノは慌てて周囲を見渡した。
「恭弥! 恭弥っ!」
長身を活かして雲雀を探すが、一向に見つからない。
途中、手を引いて歩く親子連れの姿を見て、どうしてそうしてやらなかったのかと深く後悔をした。
「どうしたボス」
駆け付けた部下にディーノは雲雀と逸れてしまったことを告げた。
「誘拐されたのかもしれねぇ…」
「ボス、そいつは早まった判断だぜ」
「だが、あいつは雲の守護者。現にこの前も命を狙われたんだぞ!」
「冷静になれよボス。とにかく、今は手分けをして恭弥を探そう。なに、すぐに見つかるって」
ポンと肩を叩かれたが、ディーノは容易に頷くことができなかった。
脳内では最悪なケースばかりが浮かんでは消えて、マフィア界でタフと呼ばれる男の心臓を締め付けさせた。
(恭弥…、恭弥……っ)
もう二度と手放さないと決めたばかりなのに。
(こんな別れは嫌だ)
三百六十度、人混みを見渡し最愛の子を探した。
いつしかディーノの足は人混みから遠のいて行った。もし、自分が雲雀ならばと彼の気持ちになって考えることにしたのだ。
サービスエリア内にあるアスレチック付近のテーブル付きの木製ベンチに一人佇む黒髪の少年がいた。
「恭弥っ」
お前と言いかけて、ディーノは猛ダッシュで雲雀の元に駆けつけた。
彼の姿を見つけるなり、ベンチから立ち上がり顔を頼りげのないものへと歪ませた。
「遅いよ!」
勝手に消えて行った弟子を叱るつもりが、逆にディーノが叱責を受ける羽目となった。
「きょ…や…?」
「あなたがいると思って、振り返ったら誰もいなくて…。どこもかしこも群ればかりで気分は悪しい、お財布のあなたはいなくなるし最悪だった」
顔色が優れない雲雀は見るからにフラフラとしていて、よろめきかかったところでディーノに支えられた。
「大丈夫か恭弥?」
寒空の下、病人の雲雀をひとりにさせた保護者としての責任。
それが雲雀にとってどれほど不安なことだったのだろうかは計り知れない。
「すまねぇ。不安にさせちまって」
本当にごめんと詫びる男に、雲雀は尚も強く出た。
「僕のこと大事なら、ちゃんと見ていなよ」
「恭弥…」
自惚れでも意図的でもなかった。
雲雀の口は常に真実しか言わないのだから。
暫くの間、驚きに目を凝らしていたディーノだったが、無自覚にも目の前の子供はきちんと自分の気持ちに気づいてくれたことが嬉しくてならなかった。
「ああ。そうする」
ギュと抱きしめて、興奮している様子の雲雀を安堵させるように口接けた。
「恭弥…、ああ…。もう俺の傍を離れないで…」
こうべを垂れ、その薄く白い手の甲をすくいとると彼は真摯な眼差しで祈るかのように述べ、この世にたったひとりしかいない子に縋った。
「なにをそんなに怯えているの?」
ガラス玉の瞳で男を映し出す。
「…別になんでもねぇよ」
ディーノは柄にもなく取り乱してしまった自分を恥じ、それからすぐに携帯電話でロマーリオを呼びだし雲雀の容態を診させた。
「熱は上がってねぇし、特に異常はねぇぜ。ボス」
「そうか」
「だから平気だって言ったんだ」
安堵するディーノとは逆に雲雀は鼻もちならない高言でうざったそうに眉根をつり上げた。
相変わらずの過保護ぶりにロマーリオもこれ以上口出しはせず、ふたりきりにしてやった。
ベンチに腰かけると、雲雀はディーノから買い与えられた苺と生クリームがたっぷりのクレープを食む。
もう口内に違和感は残っていないらしい。
小さな口いっぱいに頬張る姿はとても愛らしく、年相応に映った。
どんなに高飛車で気位が高くとも、この子が可愛くてならない必要なのだとディーノは思った。
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