カテキョー来る

 

 

 

『これは噂だが、その守護者候補はまだ年端もいかないガキだそうだぜ』

『ガキ? なんだそれ。何かの冗談か?』

 

 

 

 あの日、ディーノは何も知らずに笑っていた。

「因果なものだな…」

 ハンドルを握っている腹心はじっと前を見据えたまま、並盛の町を車で走る。

 後部座席に深く腰掛けたままのディーノは身じろぐこともなく、日本の平穏な町並みを眺めていた。

(ここが恭弥の愛する町か――)

 取り分け大きくも小さくもない、どこにでもあるような至って平凡な町。

 昨晩、リボーンから漸く雲雀のことを聞き出せた。

 彼はこの町の中学校に通う十五歳の少年。

 幼くして孤児となった彼は――次期ボンゴレ後継者である綱吉の慈悲でボンゴレ邸の離れで一人暮らしていた。

 ディーノとの年の差は数えて十七。

 雲雀はリボーンの撃った特殊弾によって、十年後の成人した姿となってディーノの前に現れた。

『俺はお前をヒバリのカテキョーとして考えていた』

 全く、いい迷惑な話だった。

 二ヶ月間、ディーノと過ごした記憶を雲雀は覚えていない。

 記憶が無い分を差し引いてもこの年の差は絶望的だなと、独自に調べさせた雲雀に関する調査書を手で叩いてせせら笑う。

(どうすりゃ、いいんだよ…)

 我ながらに往生際が悪いというか、未練がましいというか。

 一度は諦めた気持ちだというのに。

 雲雀は家庭教師になるかも知れないディーノに興味を持った。

 それはもう、今にも潰しにかかる勢いで会いたがっていたので、リボーンは仕方なく特殊弾を使用し、ディーノのいるオフィスへと連れ立ったのだ。

 だが途中、雲雀はリボーンとはぐれ、あの爆破事件が起こった。

『あの爆破は事故でも、おめぇを狙ったもんでもねぇ』

 淡々と告げられた師の言葉を思い出し、身の毛がよだった。

『あれは、雲の守護者候補であるヒバリを狙った大掛かりな犯行だ』

 雲雀の命を狙った黒幕の目星はついている。

 東京湾にあがった水死体の身元を割り出し、ボンゴレ側ははっきりと確信を掴んでいる。

チャリティーコンサートの襲撃も然り。

一筋縄ではいかない相手をボンゴレは脅威と認め、時期尚早と思いながらも不在だった守護者を擁立させるため動き始めた。

いずれはボンゴレを含め、同盟ファミリーの脅威になるかも知れないとディーノは思った。

 出る杭ならば、早いうちに叩き潰すに限るが、穏健派のボンゴレトップが大義名分も無く云と頷く筈もない。

まずはヒバリを鍛え、正式なボンゴレ雲の守護者とし、来るべき敵を満身創痍で迎え撃つ。

 その為にお前を呼んだのだとリボーンは言った。

 鍛える期間は十日間。

 試練の場所と日時は追って知らせると。

 ハーフボンゴレリングはいま雲雀の手元にある。

(十日…か)

 短いようで長いなと、ディーノは嘆息をつく。

 その間、雲雀を好きにしていいとリボーンは言ったが、たった十五歳の子供をどう扱っていいのかわかるはずもなく。

 迷いを抱えたままディーノは家庭教師になることを引き受けた。

『リボーン。最後に一つ聞く』

『なんだ?』

『どうして、恭弥を俺の元に置いた?』

 師に問い詰めたときのことを思い出す。

 そのときのリボーンの顔は、垂れ眉を更に垂れさせて、複雑そうにしていた。

『あいつは生れて此の方、自由ってモンを知らずに生きてきた。常にボンゴレに縛られ、守護者候補として並盛という名の檻に閉じ込められてな』

「……」

『ツナはそんなヒバリを以前から不憫に思っていた。僅かな時間でも自由に飛びまわれる喜びを知ってほしかったんだろうな』

 自由が、外の世界がどんなものなのか。

『お前のいるキャバッローネなら、万が一、不足な事態が起きても安心だと思いヒバリを預けた。まさか…、おめぇと愛し合う関係になっていたとは予想外だったがな…』

リボーンは困ったように笑い、それ以上、蒸し返す行為はしなかった。

「着いたぜ。ボス」

 ロマーリオの一声でディーノの意識は浮上した。

 並盛中学校と掲げられた門を潜り、車は来客用の駐車場に止まった。

 エンジンを切るとロマーリオは徐に口を開いた。

「俺はあんたのことを信じてるぜ」

「ロマーリオ?」

 何をやぶからぼうにとバックミラーに映る困惑した様子の年若い主に向かって言った。

「ボスのやりたいようにすればいい。あんたはまだ十分若い。その歳ですべてを諦めるにしては勿体ねぇと俺は言ってるんだ」

「…なに言ってんだ。ロマ」

 いつになく弱気な主に年長者は更に言葉を重ねた。

「恭弥のことまだ吹っ切れてねぇんだろ? 諦めたくねぇんなら、また一から恋をすればいい。きっと、恭弥はいくつになってもボスの気持ちに応えてくれるはずさ」

「……」

 今日ほど、部下の言葉に救いを感じたことはなかった。

「グラッチェ。心配をかけて、すまない」

「ボース。俺は本気で言ってるんだぜ?」

「はは。冗談はよせよ。一体、いくつ歳の差があると思ってるんだ。ロマーリオ」

 努めて明るく振る舞うディーノに腹心は眉根を寄せた。

「歳の差なんて、愛の前じゃ、関係ねぇだろう?」

「年齢だけの問題でもない。恭弥には…記憶がねぇんだ。俺と過ごした記憶が……」

 それが一番痛ぇとディーノは低く呟く。

 雲雀と雪上で再会して以来、余程、思い詰めていたのだろう。

 部下にまで心配をされて情けないなと自身に叱咤し、ディーノは身に気合いを入れて車から降りた。

 

 

 

 

 

 ノックもなく応接室の引き戸は開かれた。

その日、雲雀は終始上機嫌でいた。

今朝方、ボンゴレ門外顧問である家光からハーフボンゴレリングが届けられたからだ。

「お前が、雲雀恭弥だな」

 部外者は突然やって来た。

 混じりけのない蜜色の金髪に甘いはしばみ色をした瞳。

 カーキ色のファーのついたN-3Bのコートを羽織り、ラフな柄のロングTシャツにカーゴパンツの井手達。

 歳は相当上だ。

 随分、若作りしていないかと実年齢を勘繰りながら、キラキラとして容姿を含めて、身なりが派手な外国人だと思った。

「誰?」

 微かに顎を傾けて、静かに問い返す。

「俺はディーノ。ツナの兄貴分で、リボーンの古い知り合いでもある」

 ツナとは綱吉の愛称であり、彼をとり囲う群れたちがよくその名を口にしていたことを思い出す。

「へぇ。だったら、強いんだ?」

 あなたと、応接室に備え付けられたソファに品良く座っていた雲雀は初めて興味の色を浮かばせる。

「お前の持っている雲の刻印のついた指輪について話しがしたい」

「そんなの、どうでもいいよ」

 興味ないと言い放ち、雲雀は立ち上がった。

「あなたを噛み殺せれば」

 どこに仕込んでいたのか、片方のトンファーを取り出した雲雀にディーノは成程なと頷く。

 師の言うとおり、彼はかなりの問題児のようだ。

 その証拠に目の前に立つ少年は好戦的な光を湛え、ディーノを見上げている。

 改めて雲雀を頭の先から爪先まで見つめ直す。

 背丈などは当然のことながら大人の頃に比べて低いし、体だってまだちゃんと出来上がっておらず、更に華奢な印象が増していた。

しかしながら、その顔にはディーノが嘗て愛した者の面影が残っていた。

凛とした眼差しに赤く薄い唇。

 大人の雲雀は鼻筋がすっきりと通っていたが、子供時分は随分と鼻が低くかったのかと新たな発見を見つけ、不意に嬉しくもなる。

(ほっぺなんてまだぷくぷくであどけなくて可愛いな…)

 声も高いし、口調もどことなく幼い。

 対峙して数分も経っていないというのにディーノの胸には次から次へと湯水の如く、雲雀への想いが溢れ出ていた。

 忘れなくてはならない想いなのに、なんて皮肉なことだろう。

「いいだろう。その方が話しが早い」

 そう返して、ディーノもまた腰に携帯していた黒革の鞭を取り出し笑ってみせた。

 ふたりは場所を学校の屋上へと移動させた。

(おいおい、いきなり殴り合いかよ…)

 ロマーリオは腕組みをしながらコンクリートの壁に凭れかかり、内心冷や冷やとしていた。

「いくよ」

 トンファーを身構える雲雀にディーノは「いいぜ」と答えた。

 タンと軽やかに相手の懐へと滑りこんでいく雲雀の俊敏さに目を見張った。

「おっと」

 一撃を繰り出す攻撃をディーノは一歩後退することでひらりと交わした。

 雲雀は攻撃の手を休めることなく、怒涛の勢いで腕を振いトンファーを慣れた手つきで操る。

 珍しく防戦の一方だなとロマーリオが固唾を飲んでいると、次の瞬間、ディーノ腕が動いた。

 両手で短く鞭を持っていたディーノは雲雀が繰り出した渾身の一撃を鞭で受け止めたのだ。

「やるね」

 あなたと、感心する口調で雲雀は右足を高く蹴りだした。

「そう来るか」

 上半身だけではなく、下半身も使えるのかと、彼の脚の動きを見極めながらディーノはまたひらりと蝶のように舞って受け流す。

「ちっ」

 なかなかヒットしないことに痺れをきらし始め、攻撃する間合いが詰まって来た。

 それこそ、数センチ、髪の毛一本という際どい距離でディーノはのらりくらりと雲雀の攻撃を避けていた。

 マフィア界でもディーノとまともに渡り合える兵はそうそういない。

(なにせボスは、あのリボーンさんに鍛えられたんだからな)

 強いと言っても雲雀はただの生意気なガキに過ぎない。

 実力は雲泥の差で、ディーノが手加減をしていることは一目瞭然だった。

「ボティがお留守だぜ」

 初めてディーノが攻撃を仕掛けた。

 勿論、手加減はしてあるが、脇腹にヒットした一撃は確実に雲雀の攻撃の手を緩めさせた。

 攻撃から防御へと身を転じさせる。

 態勢を持ち直すため、一旦退いて距離をとろうとすることをディーノは許さなかった。

 鞭は決して放たれることはなく、ディーノはその柄を使ってまるで雲雀に指南するように急所を教えていく。

 指南されるたび、雲雀の体はぐらつき、その表情を険しくさせていった。

 まるでディーノに相手にされていないことは、並盛で最強を謳っていた彼にとって屈辱的なことだろう。

 もし、雲雀がボンゴレの守護者候補でなければ、猿山の大将でも構わなかった。

 井の中の蛙のままで一生を終えてしまっても。

(だが、選ばれちまったのなら仕様がねぇ…)

 雲雀には外の世界を知って貰わなくては。

 自分が井の中の蛙であることを自覚させ、井の中から這い上がって貰わなくては困る。

「闇雲に突っ込むだけじゃ、俺は倒せないぜ。頭で考えながら攻撃をしろ」

 上から目線でものを言われ、完全に切れたようだ。

 人の話を聞かないじゃじゃ馬には身をもって教えるしかないなと、溜息をついた。

 

 

 

 

 

「よし、今日はここまで」

 西側のフェンスに夕日が溶け込んでいる。

 薄暗くなりはじめた周囲を見回し、ディーノは最後にひと振り華麗に鞭を放って、雲雀が手にしていたトンファーを弾き落とした。

 重い金属が転がる音がし、武器を失ったというのに雲雀は「まだだよ」と気丈に言葉を発した。

 負けを一切認めぬ、闘争心漲る瞳にディーノはかける言葉を忘れかける。

 戦闘マニアというか、気位が高いというか。

 この手のタイプは兎に角、扱い辛いという経験がディーノのなかにあった。

 小さな体を激しく上下にさせて息をしている。

 頬や腕、制服のあちこちが埃と傷だらけになり、見ているこっちが痛々しく思えてならない。

「駄目だ。続きはまた明日だ」

「そう言ってあなた、僕から逃げる気だろう?」

 逃げるという言葉にディーノはハンと笑った。

「リボーンから頼まれたんだ。俺は逃げも隠れもしねぇよ」

 みっちり十日間鍛え抜くつもりであることをディーノは堂々と揺るぎない態度で示してみせた。

「そんなに疑うのなら、四六時中、俺を見張ってろよ」

 冗談のつもりで放った言葉に雲雀は瞳を大きくさせて、不意に構えを解く。

 不味いことを言ったと気づいたディーノは「あー、いまのは」と誤解を解くよう右手を掲げると、雲雀はそれを無視してコンクリートの上に落ちた学ランを拾い上げる。

「おい、人の話を聞けって」

「なにを?」

 埃を払い落し、雲雀はそれを肩から羽織る。

 どうやら、その着流しスタイルは雲雀のポリシーらしい。

 可愛いもんだなと、思わず目元を綻ばせるディーノを不思議そうに見上げたのち、雲雀は「行くよ」と控えていた眼鏡に声をかける。

「お腹が空いた」

「そうか。だったら、ボスにおねだりすることだな。何か喰わせろって」

 うちのボスは羽振りがいいんだと笑いながら答え、ディーノに向かって片目を瞑ってみせた。

「ねぇ、お寿司が食べたい」

「ス、スシか?」

「僕、群れのいる回転寿司には行かないから」

(ロマーリオっ)

 余計なことを教えるなと訴えるはしばみを受け流し、ロマーリオは「さて、腹ごしらえをして帰るか」と雲雀を促す。

「帰るって、どこに?」

 昨日はボンゴレ邸に宿泊したので、今日もそうするのかと問うとロマーリオは違うなと勿体ぶるように否定した。

「それは、行ってからのお楽しみだ」

 それもボスに訊けと、またこちらに視線を投げかけてくる男を心底恨んだ。

 人の気も知らないで。

「ホテルに帰ったら、傷の手当をするからな。腫れて使い物にならなくなったら、大変だからな」

勝手に話を進められ、ひとり置いてけぼりを喰らわされるディーノは腹立たしさを滲ませていた。

だが、子供の純真な眼差しと期待に応えないわけにはいかなかった。

ディーノは上手く言い包められて、雲雀を高級寿司屋へと連れて行く羽目となった。

値札のかかっていない寿司を遠慮することなく注文し、たらふく食べる姿は一層清々しかった。

聞けば雲雀はヒラメのえんがわやカンパチが好きらしい。

そんなこと、恋人だった頃の彼は一言も言わなかったなと、また新たな発見をしてディーノは苦く笑った。

初対面である彼に寿司を奢ったことは有効的に働いた。

食べている時の雲雀は機嫌が良く、殺気立っていないのだ。

小さな腹にすべてをおさめると、今度は「眠い」と言ってそのまま隣のカウンター席に座っていたディーノの肩に倒れ込んで、周囲を驚かせた。

それまで張り詰めていた糸が途切れたようで、スウスウと規則正しく寝息を立てている子供をディーノは横抱きにすると、その足で車まで運んだ。

「いい気なもんだぜ」

「寝る子は育つと言うじゃねぇか。ボス」

 何様のつもりだと、如何にも迷惑そうな素振りで言いつつも、その目はどこまでも優しく、愛おしい者の前髪を梳いていた。

「恭弥はボスの恋人だろ?」

 運転をしながら告げる腹心に「止してくれ」と切なげに呟いた。

「俺はもう恭弥の恋人じゃねぇ。ただのカテキョーだ」

「ボス…」

 天空にそびえ建つ塔になぞられたホテルに到着すると、ディーノは躊躇うことなく再び雲雀を抱き上げて最上階の部屋へと向かった。

「お帰りなさいませ。ディーノ様」

 通り過ぎるたび、ホテルスタッフたちが足を止め、恭しく頭を下げていく。

 その誰もが彼が腕に抱えている小さな客人を見つけて、一様に声を失わせていた。

 なんと愛らしい少年か。

 髪は艶やかな鴉色で、頬は陶磁器のように白く、薄く引き結ばれた唇は野苺のように赤く血色がよい。

 ディーノとどんな関係であるのかと興味を注ぐなか、傍に控えていたロマーリオが今日から十日ほど子供を預かるようになったことを知らせた。

 部下がフロントで手続きをしている間にも、ディーノの足は着実に最上階を目指していた。

 エレベーターに乗り込み、見事な夜景をガラス張りの箱から眺めながら、漸く安堵して息をひとつついた。

 この腕の中で眠る子供はボンゴレの雲の守護者候補だ。

 いつなんどき、敵に襲われるのか予想もつかない。

(まだ、たった十五の子供だぞ…)

 その小さな肩に背負うべき未来を思うと、ディーノの気は重い。

 まるで鉛を呑みこんだくらいに。

 そういう経験がディーノにもあったからだ。

 十三で跡目を継ぐことになったとき、自分はどうやって未曾有の危機を乗り越えていったのか。

(そうだ。あのときの俺にはファミリーの皆が、リボーンが傍にいてくれたな…)

 辛い時、悲しい時、嬉しい時を共に過ごして肩を寄せ合った。

 人は決してひとりでは生きていけないと、そのときディーノは知ったのだ。

 だからこそ、家庭教師の大切さを知っている。

 今度は自分が雲雀を支え導いてやらなくてはと、嘗ての恋愛感情は抜きにして男は健やかに眠る幼い子供の寝顔を見つめ、そして誓った。

「俺がお前を鍛えてやるよ。恭弥――」

 なにがあっても、どんなことが起ころうとも、最後まで決して見捨てやしない。

 それがカテキョーというものだと、嘗ての師は身を持って教えてくれたのだから。

「お帰り、ボス」

 エレベーターの扉が左右に開くと、通路でたむろっていた部下たちが一斉にこちらを見て笑いかけた。

 情報はすでに行き渡っている。

 ディーノが目に入れても痛くないほど大切にしていた人が今夜、この部屋に戻ってくると。

「きょーや?」

 一目散に駆けて来た年若い部下、マイケルは久方ぶりの再会に綺麗な顔を綻ばせ近づいて来た。

 そして、ディーノ腕の中で眠る小さき人を見下ろした。

「ボス、これは…」

 変わり果てた姿に思わず絶句する。

 一回り若返ったような幼い容姿に何か起きたのかと問わずにはいられなかった。

「マイケル。これが、本来の恭弥だ」

 まだ十五歳の幼い子供。

 それが恭弥だと、その場にいた一同にディーノは包み隠さず告げた。

「恭弥にはここで過ごした記憶がねぇ。だからお前ら、恭弥を迷わせることは言うな。初対面の相手として接しろ。いいな。これは命令だ」

「……」

 イワンもボノも、その他の者たちもディーノの言葉を静かに受け止める。

 特に異論者がいないことを確認するとディーノはマイケルにスィートルームの扉を開けさせ、中へと入った。

「手伝います」

 両手が塞がっているディーノの代わりにマイケルが動き回った。

 相変わらず、気がきくなと彼の細やかさに感心しながらディーノは寝室へと向かう。

 ディーノより先に寝室へと向かったマイケルはドアノブを回して扉を開ける。

「エアコンの温度を一度、上げてくれないか?」

 今晩は少し寒いからなと雲雀の顔を見つめ、言う主にマイケルはサイドボードの上にあったリモコンを操作する。

 スィートルームには寝室にディーノが使うキングサイズのベッドと、隣接するゲストルームにシングルサイズのベッドが一つずつあった。

 嘗て、ここへ拾われてきたばかりの雲雀はゲストルームのベッドを使用していたが、ディーノと恋仲になってからはベッドを取り払われ、寝室のキングサイズのベッドのみを使うようになっていた。

 今回、ディーノはどちらのベッドに雲雀を眠らせるのか。

 ゲストルームへ通じる扉の前でマイケルが立っていると、ディーノは少し迷った挙句、最後に自分が使っている寝室のベッドの上へ子供の身を横たわらせた。

 どうしてか、そのことにマイケルはホッと息をついた。

「マイケル、お湯とタオルを用意してくれ。これじゃあ、風呂に入らせることもできねぇからな」

 薄汚れたままの雲雀の身なりを気にしているディーノにマイケルはすぐさま返事をして部屋を後にする。

 部屋を出ると、ふたりの様子が気になっていた黒服たちが挙ってマイケルを取り囲んだ。

「ボスの様子はどうだった?」

「恭弥は勿論、ボスのベッドで寵愛されるんだろう?」

「中学生とはいえ、ハメられねぇ身体じゃねぇんだ。諦めるのはまだ早ぇってもんだ。そうだろう、なぁ?」

「歳の差がなんだっていうんだ。この野郎っ」

 矢継ぎ早な質問攻めに「落ち着いて」とマイケルは声を張り上げた。

「ボスはまだそこまで考えてはないっスよ。とにかく今は恭弥を鍛えて、雲の守護者に仕立て上げることが先決なんだ」

 先輩たちが焦る気持もわかるけれどとフォローし、それからディーノの代わりに時間を持て余している彼らに指令を伝えていく。

「恭弥の衣服を誰か、ボンゴレ邸から持って来て。あと傷の手当てが必要だから、ロマーリオさんを呼んで。それから、ボスに何か温かな飲み物を」

 俺はお湯とタオルの用意をしてきますと告げて、小柄な体を翻した。







 顔への傷は最小限に留めていた。

 極力傷つけぬようじゃじゃ馬を指南するのは、どれだけ卓越した腕を持った者でも至難の技だろうと手当をしながらロマーリオは感服した。

「傷の手当は終わったぜ」

やっと聞き取れるくらいの小声でロマーリオは言った。

汚れを拭い、寝間着に着替え終わった雲雀は寝息を立て大人しく眠っている。

子供のあどけない顔を見下ろし、ディーノは「遅い時間にすまなかったな」と小声で感謝の意を述べた。

 夜になり幾分、気分が落ち着いて来たのか、主の顔は穏やかであった。

 ささくれた様子など微塵にも残ってはいない。

 何がそうさせたのかロマーリオは少し考えた。

答えはすぐに導き出された。雲雀の首からはネックレスが垂れ下がっていた。

 鎖に通されているのは、かの有名なボンゴレリングの片割れ。

 それともう一つは、嘗てディーノが大人の雲雀に贈った婚約指輪だった。

(なぜ、ボスが贈った指輪が小僧の手元に?)

 ディーノと共に過ごした二ヶ月間の記憶が不要な産物ならば、記憶ごと指輪を捨て去るべきだ。

 だがこうして現に雲雀はディーノとの愛が詰まった指輪を肌身離さず持ち歩いている。

「一体、これはどういうことなんだボス?」

「さぁな…」

 その指輪は子供の指には余るものだった。

 失くさないようネックレスに引っかけさせ、誰かが入れ知恵をしたのだ。

 皮肉げにディーノは笑い、暗く落とされた明かりの下で鈍く光りを灯らせているシルバーリングの輪郭を撫で上げた。

(こんなことさせて。反則じゃねぇか、リボーン…)

 俺にどうしろと。

 揺れる思い。まるでディーノは漂流する小舟の上に立ち尽くしているような気分だった。

「ボス、もう今夜は遅い。よく休め。時間は待っちゃくれねぇぜ」

「ああ…」

 ディーノはすでに疲労困憊で、頭の方もこんがらがっているはずだ。

「おやすみ。ボス」

 寝室から出て行く部下の背中を見送り、ディーノは糸がプツリと切れるようにベッドへ横たわった。

「恭弥…。お前は本当に恭弥なんだな?」

 眠る子の横顔を這うように見つめ、あぁそうだと確認する。

 なんて変わり果てた姿になって。

 指一本でも素肌に触れれば犯罪だなと、ふっくらとした子供独特の柔らかな輪郭を見つめ溜息をつく。

 

(愛しているんだ。今でも――)

 

 この想いだけは変わらない。永遠に。

 忘れることなんか出来ない。出来るわけがない。

 あれだけ深く愛し合った人をどうして神は遠ざけてしまったのか。

 運命はあまりにも過酷だ。まるで、試練に試されているかのようだ。

「俺は、この小さな命を守りたいだけだ――」

 ただ、そのために家庭教師を引き受けたのだと、ディーノは自身に言い続けた。

 

 

 






 ディノヒバ伝説のシーンを書いちゃいました☆(←応接室にディノさんが初めて現れるヤツ)
 最後に一言、ディーノさんの本音がこぼれました。
 全身全霊、一生懸命愛した人をそう簡単に忘れられるわけがない。
 前途多難そうなディーノさんと何も知らない雲雀の修行はこうして幕を開けるのでした。南無〜。