午後から並盛一帯は雨模様に見舞われた。

(これじゃあ、屋上は使えないな…)

 カツカツと黒板にチョークで文字を刻む音、ノートに鉛筆を走らせる物静かな音に混じって、ポツポツと雨粒が零れ落ちる音がする。

 五限目の授業をおぼろげに聴きながら、雲雀は教室の窓から外の風景を眺めていた。

 授業の終わりを告げるチャイムがスピーカーから流れると、雲雀は足早に応接室へと向かった。

「よぉ。ちゃんといい子で勉強してたか?」

 おちょくるような口調が気に喰わなかった。

「…余計なお世話だよ」

 とりつく島も与えずに雲雀は仕込みトンファーを振り翳す。

「おい、待てって恭弥」

 ここでやるつもりかと、それまで優雅に腰かけていたソファから立ち上がると、ディーノはきかん坊に向かって声を荒げた。

「あなた、この雨のなか、外でやるつもり?」

 それでいいのなら僕は構わないけどと、構えを解かずにいる教え子にディーノは益々難色を露わにさせた。

 確かに今朝、雲雀が登校する際に約束を交わした。

 放課後、屋上でやり合おうと。

「人の話は最後まで聞けって。今日は体育館を貸し切った。修行は一日たりとも怠らねぇ。わかったなら、移動するぞ。恭弥」

 時間が惜しいと、ディーノは得物を収めるよう雲雀に言って聞かせた。

 それからディーノと雲雀は車で並盛の町を移動して、廃校となった体育館で思い切りやり合った。

 雲雀は昨日のリベンジと言わんばかりに喰らいついて来て、その急激な成長ぶりにディーノは顔を綻ばせた。

 思いのほか教え子は呑み込みが良かった。

 昨日、ディーノが指摘した点を見事克服し、二度と同じ過ちを繰り返さない。

(この調子なら…)

 九日後に迫る試練の日までに上手く雲雀を鍛え上げることができる。

 そう強くディーノは確信を掴んでいた。

 小休憩を挟みながら、今日は日没も気にすることなく思う存分戦った。

 気がつけば、午後八時をまわっていて、流石にやり過ぎたかと疲労感が溜まっている様子の教え子を見兼ねて、今日はここまでだと声を上げる。

「まだ、だよ」

 まだ一度もあなたを這いつくばらせてはいないと、闘争心だけは旺盛な瞳がギラギラとディーノを射抜いていた。

「…たく」

 聞き分けのない雲雀の体に鞭を絡ませ、簀巻き状態にした。

 カクンと膝を折る雲雀を軽々と横抱きにして、待機していたロマーリオに「帰るぞ」と撤収を命じる。

「離して」

 手足を満足に動かせない状態で運ばれながら、雲雀は屈辱に打ち震えていた。

 まるで彼は自分を子供扱いする。

 並盛で誰からも恐れられているこの自分をだ。

 イタリアマフィアのボスであることは今朝、登校する車中のなかでマイケルという部下から教わった。

 歳は親子くらいに離れていて、随分若作りをしている男だなと感心したくらいだ。

「帰るから。これ、外して」

 やだと駄々を捏ねる子供に、もう少しこのまま抱いていたいと思ったディーノはそれを敢えて聞き流し、ゆっくりとした足取りで車がまわされている校舎の正面玄関口へと向かう。

 その間にも雲雀は大人しく彼に抱かれていることはなかった。

 気がつけば、痛々しいくらいに鞭が手足に絡まり、赤い痕ができていた。

「恭弥っ」

 なにやってんだと、慌てて拘束する鞭を緩め、そのほっそりとした白い手首をさする。

「気安く触るな」

「だってよ。真赤だぜ? 痕に残ったらどうするんだ」

 ロマーリオと慌てふためきながら部下の名を呼び、駆け寄った眼鏡に雲雀の手を見せた。

「そいつは、治療もどうもねぇぜ。ボース…」

「ボスが舐めてやりゃ、いいだろう?」

「ついでに、ほかの場所もたっぷり舐めてやれよ」

 過保護な主をからかい、黒服たちは肩を揺らせて笑う。

 雲雀にとっては屈辱以外のなにものでもなかった。

「降ろして」

 一段と声を神経質にさせて目尻の端を赤くさせる。

 本気で嫌がっている様子の雲雀を残念そうにディーノは降ろした。

 地に足が着くと、雲雀は足早に黒い群れの中から抜け出して、傘もささずに校門に向かってグラウンドを横切りだした。

「なにやってんだ。濡れるだろ。恭弥!」

「ボスが構い過ぎたんだろ」

 こっちに戻って来いと呼んでも小さな背中は振り返ることはなかった。

 慌てて部下からビニール傘を受け取ると、ディーノは教え子の後を追った。

 まさか、修行が嫌になって逃げ出したわけじゃないだろう。

 過剰な過保欲が災いに転じたなんて、露とは思わないディーノはある種、天然であり、根っからのイタリア男であった。

「きょーやっ」

 どんどん離れて行く元恋人を見ていると、情けないくらい声が震えた。

 これが俺なのかと、疑うほどに酷く動揺していた。

「恭弥!」

 ガーゴパンツの裾に水飛沫を浴びても厭いはしなかった。

 水溜りを避ける時間も惜しい。

 ディーノは一直線に雲雀を目指す。

 足早だった歩みはいつしか、走りだしていて、髪を外気に乱し語気を荒げて雲雀を呼ぶ。

 背後から薄い肩を掴み、さしていたビニール傘を投げ捨てて雲雀を抱きしめた。

 突然のことに当の雲雀は目を大きく瞠って、覆い被ってくる男を見上げた。

「バカヤロウ。俺がいるのに…、勝手にどこかへ行くんじゃねぇ!」

 有無を言わせぬ口調で思い切り強く抱き寄せる。

 暫くの間、呆然としていた雲雀だったが、すぐに我に戻ると「離せ」と身を絞る。

「僕はただ、そこのコンビニに行きたいだけ。邪魔しないで」

「そうだったのか?」

 俺はてっきりと、ディーノはやや気後れしたようにその身を放す。

 こんな雁字搦めの生活はごめんだ。

僕は僕のやりたいことをすると自由を主張する小鳥は、何も逃げ出したいわけではないことを知った。

「それなら、そうと早く言えよ。勘違いするだろ」

「…ふん」

 興味なさげにそっぽを向くと、雲雀はさっさと校門前にあるコンビニへと向かって歩きはじめる。

「待てよ。恭弥」

 俺も行くと転がり落ちた傘を拾い上げ、ディーノは傘を教え子に傾けるようにして駆けた。

 何でも買ってやるよと豪語する大人に雲雀は遠慮することなく、食量をカゴ一杯に買い込んだ。

「そんなに買ってどうすんだ?」

「小腹が空いたときに食べるんだよ」

 ホテルに戻れば、好きなだけルームサービスを頼めるのにと不思議がるセレブには一生理解できないことだろう。

 おにぎりからカップ麺、デザートにはプリンやシュークリームなどを選んで膨れた買い物袋をディーノに持たせると、雲雀は颯爽と店を後にする。

「さっすが、日本のインスタント食品は充実してんなー」

 手提げ袋の中身を物色しながらディーノは「これ、喰ってみたいかも」と、坦々面のカップを取り上げて無邪気に笑う。

「好きにすれば」

 全くどこまでも自分勝手な男。

 先ほどまでの余裕のない態度はどこへいったのか。

 呆れ返るのも束の間だった。



 チュン



 小さな音と共に水が跳ねた。

 今度は立て続けに銃声が鳴る。

 コンビニから少し離れた正門前で待機していたロマーリオは眼鏡の下で大きく目を見開き、主に向かって叫んだ。

「ボス!」

 ディーノは瞬時に雨傘を放り投げ、買い物袋をドサンと落とした。

「伏せろ、恭弥!」

駆けだし、ディーノはすぐさま雲雀の体を抱きこむと覆うようにして伏せる。

キャバッローネの黒服たちは一斉に主を包囲し、自らを盾として銃を構える。

「あのビルが怪しい。調べてみるか」

 ここから数百メートル先に三階建ての雑居ビルがあった。

「探して捕えろ」

si」

 雨が降りしきるなか、襲撃者を血眼になって探す黒服たちを雲雀は呆然と見つめる。

「怪我はないか、恭弥?」

 周囲の安全を確認するとディーノは身を挺したまま盾になったまま雲雀を起き上がらせる。

 命は助かったがディーノも雲雀も泥水が衣服に付着していて、すっかり濡れ鼠になっていた。

「ひでー格好だな」

「あなたこそ」

 襲撃に遭ったばかりだというのにディーノは何でもないように笑っていた。

 マフィア稼業、しかもボスを務めているというのだから、こんなことは日常茶飯事なのか。

「ん、どうした恭弥?」

 勘ぐる視線に気がづいたディーノは笑顔をつくりながら、まわされた車に雲雀を乗せる。

「大丈夫だ。お前は何にも心配しなくていい」

 後部座席に座るなり彼はそう言った。

 部下から手渡されたバスタオルで雲雀の体を包み、努めて明るく接しようとする。

(もしかして、この人……)

 僕のこと、不安にさせないように気遣ってる?

 まあ、確かにディーノから見れば自分なんてただの十五の子供に過ぎず、銃撃されれば怯えて手も足もだせない非力な対象として見下されても仕方なかった。

 自分は然して動揺していないというのに、雲雀はどこまでも人の好い男に肩を竦めた。

 

 

 

 

 



 うちのディーノさんはどうしようもないくらい、雲雀たんに依存してますな(笑)。
 遠ざかる背中に恐怖を感じる彼が可愛らしく思いました。32が15に翻弄されているよ。