約束と伝言

 

 

 

 並盛中の屋上は夕焼けが色濃く滲んでいた。

目を開けて見据え続けることさえ辛い眩い西日が、金髪の男の輪郭をくっきりとかたどっている。

 いつの間に彼は絶対有利の領域を得たのか。

 全ては計算尽くだと言わんばかりの余裕綽綽な笑みが癪に障った。

そっちがその気なら、形勢逆転を奪い取るまでだ。

真正面から相手の懐に飛び込む姿は勇ましいものであったが、ディーノから言わせれば無謀の他ならない。

「状況判断があめぇぜ!」

 シュパンと、強靭でしなやかな鞭を振るい目が眩む速さの雲雀の攻撃をいとも容易く薙ぎ払った。

「…っ」

 小さな体は脚のバネを駆使して後退し、ディーノの攻撃を二、三割程度で受け流した。

「ほら、どうした。攻撃の手が止まってるぜ?」

 会話をしている間にもディーノは雲雀に対して第二の攻撃を行うことが可能だった。

 だが、彼はそれをしない。

 手加減されている。

 それは明白な事実であり、プライドの高い雲雀にとっては屈辱のほかなかった。

「噛み殺すっ」

 得物の柄を握りなおし、今度は正面からではなく左からディーノの足元を崩そうと攻撃をかけた。

 雲雀の変則的な行動にディーノははしばみを僅かに瞠らかせ、笑みを零す。

 それは余裕から生み出されるものなのか。

 観察すればするほど、ディーノという男は万華鏡のように表情を豊かに変化させていた。

 ポーカーフェイスの雲雀とは全くタイプの異なった人種だ。

「今のは、いい線行ってたぜ。だがな…」

「!」

 身を低くして突進して来る雲雀に鞭は飛んで来なかった。

 代わりに雲雀の背中を強く打撃したのは彼の脚。

 そう、この男は鞭捌きだけではなく、体術にも長けていた。

 雲雀は今度こそ、完膚なきまでに打ちのめされ、握っていた片方の得物を地に滑り落とした。

「ジ・エンドだな」

「くっ」

 武器を欠いた教え子にそれ以上の制裁を加えることはなく、ディーノは厳しい評価をつけた。

「今のおさらいだが――」

「そんな御託はどうでもいいよ!」

さっさと続きをやろうよと、両肩で大きく息をしながら、きつく男を睨み上げた。

「その威勢の良さは評価してやる。だがな、辺りも暗くなってきたし、今日のところはこれで終わりだ」

「――だ。まだ、終わってはいない…」

「恭弥?」

 その柔和な顔も落ち着いた物腰も気に入らないが、気安く名前を呼ばれることが一番の不愉快だった。

 疲労困憊し、大の字に倒れた雲雀にディーノが手を差し伸べる。

「…っと!」

 容赦ない一振りにディーノは攻撃をかわして一歩下がった。

「この戦闘マニアめ」

「敵に施しを受けることほどの屈辱はないよ」

「敵って、お前なぁ…」

 仕様がない教え子を見下ろし、ディーノは小さく息をつく。

「僕が大人しく、あなたを帰すと思ってるの?」

 根が負けず嫌いなのだろう。

 体中泥だらけ、擦り傷や痣を幾つもつくっている者の台詞ではなかった。

「そんなこと言ったってなぁ。お前、もう動けないんだろう? 修行二日目にしては上出来だって。呑み込みも早いし、格段に腕も上がってる。明日も特訓つけてやっからさ…」

 だから今日は諦めてくれとディーノは大人の笑みで全てを上手くオブラードに包み込もうとした。

「そんなの…」

 関係ないと、雲雀は痛む体に鞭をふるい起き上がろうとする。

 不意に視界に止まった夕闇。

 オレンジ色のキャンパスに青紫色のインクが滲み広がる空の上で、星がひとつ光っていた。

「おい、恭弥?」

 ピクリとも動かなくなった四肢にディーノはギョと目を剥いた。

 そして、すぐさま部下を大声で呼んだ。

「ロマーリオ。恭弥の奴が動かなくなっちまった!」

「焦ることはないぜ、ボス。こいつは遊び疲れたガキと同じだ」

 満足するまで暴れて、乾電池が切れたかのようにプツリと止まり、深い眠りに落ちたのだと、ロマーリオは笑いを耐えながら若き主に説明してやった。

「なんだ、脅かしやがって…」

 手加減していたつもりでも、知らないうちに致命傷を負わせていたのではと、本気で焦ってしまった。

「やんちゃだった頃のボスもこんな感じだったぜ?」

「はは。そんなこと、覚えちゃいねーよ」

 これからどうしたものかとロマーリオが雲雀を見下ろしていると、ディーノは迷うことなく彼を背負い上げようとする。

「おいおい。この坊やをどうするつもりだ?」

 放っておけばじきに目を覚ますだろうと言うロマーリオにディーノはかぶりを振った。

「仮にも恭弥は雲の守護者候補だ。こんな野晒しの場所に置いておけるかよ。生徒の身の安全と体調管理も家庭教師の務めだ」

 全く持ってこの男は人が好い。ロマーリオは自分の主に懐こうとはしない子供を見やって呆れた。

「ボスがそうしたいのなら従うまでだ。ホテルに連絡を入れて部屋を一つ用意しておくぜ」

「ああ。そのことだが、部屋は必要はねえ。恭弥くらいなら、俺の部屋に寝かせておいて充分だ」

「ボス…。あんた、過保護すぎるぜ…」

 背中越しに伝わる体温。

 背負ってみて、想像以上に軽い子供にディーノは驚きを隠せなかった。

 一体、この小さな体のどこにあんな超人的な力が秘められているのかと。

(リボーンのお眼鏡に適っただけのことはあるな…)

 一筋縄ではいかないじゃじゃ馬であることは、リボーンから話しを聞かされ覚悟はしていたが。

 戦闘マニアということもあり、格闘センスは守護者候補のなかでもずば抜けている。

 それに付け加え、負けん気の強さとプライドの高さも一級品ときた。

(まさか、これほどだとはな…)

正直なところ、初めて手合わせをした時、歓喜で全身が身震いしたものだった。

 これは鍛えがいのある生徒だと。

 それからの毎日は驚きの連続だった。

「約束しよう。恭弥」

 熟睡する生徒にディーノはひとり呟く。

「お前を強くしてやるよ。誰よりも強く―― だから、恭弥も約束してくれ。この戦いに勝ち残ると」

「………」

 夕闇に染まる空を見上げディーノは誓う。リング争奪戦で生き残れる知恵と力をお前に授けようと。

 

 

 

*  *  *

 

 

 

 目覚めた頃、西の空が夕闇色に染まっていた。

 リング争奪戦後、負傷者たちはボンゴレの医療班により、病院へと搬送された。

 瀕死にいたる猛毒を体内に注入された守護者たちは、解毒剤を打ったものの容態は油断ならないものだった。

 雲の守護者となった雲雀恭弥は、キャバッローネファミリーが根城としていた外科病院に搬送され治療を受けていた。

「委員長、お目覚めになられましたか」

 パイプ椅子に腰掛けていた恰幅の良い男が立ち上がる。

体中がだるい。雲雀は視線をめぐらせ男の存在を認めると、己の手を見つめた。

 爪は伸びていない。

 とりあえず、自分がどれくらいの間、眠っていたのかと草壁に訊ねた。

 草壁は親交のあるロマーリオから、朝一に連絡を受けて病院へと駆けつけた。

 それからずっとお傍におりましたと、草壁は上司である雲雀に告げた。

「そう…」

 リング争奪最終戦が昨日の夜。

 丸一日近く眠っていたことを知り、雲雀にしては珍しく物憂げな重い溜息をついた。

「跳ね馬もいたの?」

 跳ね馬と言われ、草壁は黒服集団のボスである彼を思い出した。

太陽のように君臨する若きキャバッローネファミリーの当主。

彼が雲雀に修行と称して、戦いの特訓をつけていた光景を思い出す。

 上司である雲雀をも上回る実力をもつディーノからは、一般人にはない危険な匂いがした。

「自分が病院に着いたときには並盛を発つ寸前でした。なんでも、急にイタリアへ帰らなくてはならないそうで、病院の前には車が何台も止まっていました」

「国へ帰ったんだ。あの人…」

「立ち去る際に、彼が委員長へ指輪を――」

「指輪…」

 そう呟いて、雲雀は胸元に揺れるあるボンゴレリングを見つけた。

 雲の指輪はネックレスとして身につけられていた。

「忌々しいね」

 内心は穏やかではなかった。それまで散々しつこく付き纏っていた癖に、用が済むとさっさと自分の国へ帰ってしまう。

 まるで自分は飽きられた玩具と同じだ。

「肌身離さずに指輪を持っていろと? 嵐のように訪れたかと思えば、人の住処を荒らして去って行く。ほんと、身勝手な人だよ」

 周到に指輪を身につけさせるための鎖まで用意していたとは。

どうせ、どこかの女に贈り損ねた物なのだろうと高をくくり、雲雀は妙な苛立ちさえ覚えた。

「なに? 僕に意見でもあるの?」

「いえ…。自分は何も――」

 言いよどむ部下を尻目に雲雀は制服を探した。

 雲雀がいまだ病衣姿であることに気づいた草壁は、傍らに置いてあった紙袋を差し出す。

「委員長が着ていらした制服はもう使い物にならないからと、こちらを手渡されました」

 手渡された紙袋の中身を取り出すと、紺色のベストとシャツとズボンがビニール袋に包まれていた。

 用意された真新しい制服は、まるで雲雀のためにあつらえたかのようにピッタリで、さしものの雲雀も驚いた。

 しかも、使用されている生地は上質で、寧ろ満足していた。

早速、制服に着替えた雲雀はいまだに痛む左足を重く感じながら、病院を後にした。

「君、帰っていいよ」

 尽くされて当然といった態度で草壁に労いの言葉はなく、背を向け帰ろうとする雲雀に声がかけられた。

「委員長、今から自分が申し上げることは、キャバッローネ十代目からの伝言です」

「?」

「次に日本へ来たとき、指輪のことを話す――とのことです」

 思わぬ彼からの伝言に雲雀は顔を上げた。

「なにそれ?」

 雲雀の頭上、彼方の空に一機、飛行機が飛行している。

 リング争奪戦は沢田綱吉が勝利し、次期十代目として名実共に認められ、すべては終わったものだとばかり思っていた。

(今更、僕に何を話したいの?)

 最後まで何様のつもりなのか。

(次に、会う理由なんて――)

 噛み殺す以外にあるはずがない。