師と弟子

 

 

 

 

 昼食を食べ終えた頃合を計るかのように、あの明るく陽気な男の声が玄関ホールに響き渡った。

「ご機嫌麗しゅう。若きドン・キャバッローネ!」

「…マウロ?」

 ちょうど、一階の食堂から二階の仕事部屋へと階段をのぼる途中だったディーノは、背中に投げかけられたその声に虚を突かれた。

一度、その男を見れば誰もが忘れられない印象的な容貌を彼はしていた。

 年齢は五十代半ば。

 その体型は樽のように括れもなく、毎日一時間、鏡の前でセットしている自慢の黒髪はポマードでオールバックに塗り固められていた。

 テラテラと光る額をハンカチで拭いながら、小男は商人独特の営業スマイルを浮かべ、勝手知るかの如く、ディーノの屋敷に踏み入る。

「ジャポーネから帰国早々、お呼び下さり大変光栄です」

 して、今回はどのようなご用件でと話題に触れつつも、彼の視線はキャバッローネ邸宅の隅々にまで張り巡らされていた。

 ゆで卵のような大きな目は、久方ぶりに訪れる屋敷のちょっとした変化も取りこぼさないといった注意深さである。

 傍に控えていた黒服たちは、当主とこの少し古びた屋敷をまるで目踏みされているようで、あまり心地ではなかった。

「それがな、マウロ」

「おお。なんてことでしょう!」

 玄関ホールの階段を降りながら、親しげに話しかけてくるディーノに対してマウロは事大袈裟に声を荒げ、彼の台詞を吹き飛ばしてしまった。

 また、悪い病気が始まったかと黒服たちは呆れ顔。ディーノは透き通るはしばみの瞳を大きく瞬かせた。

「良くありませんぞ。大事な客人を迎える玄関ホールの絨毯が傷んでいる」

「その絨毯なら、一年前に取り替えたばかりだが?」

 なあ、そうだよなとディーノのロマーリオに確認をする。

「何を仰るドン・キャバッローネ! 訪問客の目につく場所であるからこそ、常日頃から気をつけておくべき着眼点ですぞ。社長であり、マフィアのボスである貴方が客人に対して一流のおもてなしをする。これ、当然の慣わし!」

「そう…なのか?」

 獅子をも脅かすその形相に、ディーノはすっかりおされ気味だった。

「そうですとも。同盟ファミリーのなかでも、今やキャバッローネはボンゴレに次ぐ巨大勢力だというのに。その輝きが半減されてしまいますぞ。早急に対処すべきです」

「おお。だったら、クリーニング屋でも呼んで掃除させっか」

「なんと嘆かわしい。ボスである貴方がそのような小さきことを…」

 大袈裟にマウロは袖を涙で濡らす。

「でも、うちは質素倹約がモットーだし」

 短期間で、キャバッローネの財政を立て直せたのもその精神の賜物だとディーノが言いかけると、マウロは「御尤もですとも」と掌を返すように賛同する。

「一国の主たる者、大盤振る舞いではいつかは財も底を尽きてしまいます。が、ファミリーの繁栄のためともなれば、話しは別です」

「そう言われてもな…。もしも、財が底を尽いたとして、部下にパンがなければ、菓子を食べろとは言えねぇし。なぁ、ロマーリオ?」

「部下の給料すら払えなくなったマフィアのボスって奴を俺はいまだ嘗て聞いたことはないな」

 昼の便に届いた手紙や封書を箱一杯に抱え持っているロマーリオは短息をつき、こう小声で説明を加えた。

(ボス。マウロの口車にあんまり乗せられるなよ…)

 キャバッローネの財政が傾いた要因の一端に、先代当主の人の良さとこの商売熱心な男が一枚噛んでいたのだと。

 勿論、その言葉をそのまま鵜呑みにマウロを恨むほどディーノは愚か者ではなかったので、なんとかこの場をおさめる為に知恵を振り絞らなければならなかった。

 

 

 

*  *  *

 

 

 

 親指と人差し指で捏ねるようにして何度もその感触を確かめる。

 この指輪をあの男から無理やり押し付けられてからというもの、どうも雲雀には変な癖がついてしまった。

デスクの傍らに積まれた書類に目を通す気にもなれず、先程から雲雀は襟元から引っ張り出した指輪ばかりをいじっていた。

これではまるで、お気に入りの玩具と同じだ。

 しかし、玩具と呼ぶには重く、血塗られた歴史を持つその指輪。

マフィアたちの間で抗争を繰り返し、そして忌々しく存在する指輪の一つが今、十五歳の子供の手中にあった。

 秋晴れの空の下、昼休みを満喫する生徒たちの賑やかな声が風にのって応接室まで届く。

 普段の雲雀恭弥であれば、群れるなと警告の一つもするところだが、今はどうでも良かった。

「うわの空っていうのは、こういうのを指すんだろうな」

「誰?」

 ふっ、と鼻にかかった微笑。人の気配を漸く察した雲雀は指輪から手を離し、デスクチェアから立ち上がった。

 風になびくレースのカーテン。

 たった今、窓越しに感じた人の気配はすでに存在していなかった。

「こっちだ。ヒバリ」

声の方に振り返ると、先ほどまで雲雀が向き合っていたデスクの上に良く見知った赤ん坊、上質の黒スーツを着込んだ赤ん坊が立っていた。

「ちゃおっス。今日はえれぇ、隙だらけじゃねぇか。ヒバリ」

「赤ん坊…」

 良く知る彼からの指摘に図星を突かれ、雲雀は返す言葉もなくその場に立ち尽くす。

 まさか、指輪に気をとられていたとは口が裂けても言えなかった。

 リボーンの瞳は、すべてのことを見透かしているのか、再び、ふっ、と愉快そうに笑ってみせた。

 彼の無遠慮な視線は雲雀の襟元――、開襟シャツの合わせ目のあたりで止まり、それまで無自覚だった雲雀は羞恥の色を瞳に宿らせ、指輪をシャツの中へと仕舞った。

「僕に何か用?」

「その様子じゃ、随分、気に入ってくれているようだな」

「なにを?」

「ボンゴレリングと、もう一つ――」

「……」

 もう一つ。態と抜け落ちた言葉をあえて追求するまでもなく、雲雀は無言で凄みリボーンを見下ろした。

「用がないのなら、出て行ってくれる?」

「そうだったな。からかって悪かったな。それで、怪我の方はどうだ?」

 ゴーラ・モスカ戦で負傷した足の怪我ことを言っているのか。

どうやら、リボーンが雲雀のもとを訪ねた本題はここにあったようだ。

いまだ包帯を外せない状態であることを態々、告げるまでもないと判断した雲雀は「関係ないよ」と冷ややかに返す。

「それよりも、赤ん坊。指輪の話しを聞かせてよ」

 聞き捨てならない台詞に黒帽子のつばが上がった。

「ヒバリ、おめぇ。ディーノから指輪のことは聞いていたんじゃねぇのか?」

 リング争奪戦時、雲雀の元へディーノを家庭教師として送り込んだのはリボーンだ。幾ら雲雀がきかん坊だとはいえ、肝心の指輪の話しをしていない筈がないと思っていたのだが。

「ボンゴレとか、守護者とか、下らない話しはあの人から聞いているよ。でも、この指輪にはまだ秘密があるんでしょう?」

 そう呟いて、一度は胸に仕舞った指輪を取り出した。

ああ、それでこの子は執拗以上に指輪を気にしていたのかと、リボーンはひとり納得をした。

「そいつはできねぇ話しだな」

「どうして?」

 彼ならば指輪のことを詳しく教えてくれると期待していた雲雀は拍子抜けする。

「あなた、あの人の家庭教師だったんでしょう?」

「ああ。そんなこともあったな」

ならば、恩師である彼が指輪について知らない筈がない。

「ヒバリ、お前の師はディーノだ。だったら、師であるアイツから直接、話しを聞き出すのが筋ってもんだ」

「逃げるつもり?」

 くるりと小さな背を向ける彼に対して雲雀は挑発をした。

すると、彼はピタリと動きを止めて一言。

「逃げているのは、お前の方だろ?」

「!」

「お前はまだガキだが、それでも一端の雲の守護者だ。だったら、逃げてるんじゃねぇ。自分の問題は自分で片付けろ」

「赤ん坊…」

「そんな声で縋られても、こればかりはどうもならねぇからな」

 もう一つのお気に入りは、いつまで経っても手に入らねぇぞと、帽子のつばを下げ小さなヒットマンは一陣の風のように去って行った。

 

 

 

*  *  *

 

 

 

「マウロの奴、漸く帰りやがった」

 盛大な溜息を一つ落とすと、ディーノは部下が淹れ直してくれた濃い目のエスプレッソを一口啜った。

濃厚な味わいが口内に広がり、疲弊していた思考回路が一気に冴え渡る。

 カップをソーサーに戻すと、今度はデスクの上に散乱した書類と、いまだ封を切られていない山積みの手紙と対峙した。

 結局、鎖を選ぶためにマウロが何冊もカタログを勧めてくるので、品を定めるまで一時間以上も要してしまった。

 形見の品と似た感じの鎖を見つけだし、取り寄せることができた分にはディーノも彼の働きに感謝している。

彼はああ見えて、同業者のなかでも一目を置かれる商人だ。

 商人としての腕は高く買っているし、キャバッローネに代々仕える忠義心も真のものだ。

「嘆いても時間は戻らねぇ…。さて、はじめるか」

 仕事モードに切り替わったディーノは、精力的に書類を片付けてゆく。

 書類のなかには新たに手掛ける日本絡みのビジネスの企画が幾つかあった。

「こいつをどうにか軌道にのせねぇとな…」

そうすれば、これからも頻繁に日本へ足を運ぶことが可能になる。

 今、ディーノを突き動かすもの。

それは目蓋を閉じればすぐに浮かんでくるあの子供だった。

 面影を思い出すだけでも、胸は熱く膨らみ、心音を軋ませる。

こんなにも誰かに恋焦がれたことが、ディーノ人生にあっただろうか。

 最初はただの家庭教師として接していただけだったのに。

(恭弥――)

仕事部屋はたちまち静寂に包まれる。

 すると、戸口から控えめなノック音が聞こえた。

 ディーノは持っていた万年筆を置き、首を戸口の方へと巡らせた。

「どうかしたか?」

「ボス。電話だ」

 戸口の外、隣の秘書室から響いたのはロマーリオの声。

 それもかなり重苦しい。

「リボーンさんからだ」

「リボーンから?」

 アポイントもなく、直接ホットイランにかけてくる人物などディーノは恩師である彼くらいしか思い浮かばない。

「なんだ。俺、なにかしでかしたか?」

 リング争奪戦後、次期ボンゴレ十代目継承者となった沢田綱吉への根回しのため、目下、精力的にイタリア本土を飛び回っている最中だ。

 何も落ち度はない筈だと自らに言い聞かせ、ディーノは受話器を持ちあげた。

『この、ヘナチョコが!』

「…っ」

 鼓膜が破壊されるかと思った。

 驚いたディーノは咄嗟に受話器を耳元から遠ざけ、跳ね上がった胸を押さえた。

恩師であるリボーンの一喝は天地振動に等しく、あるいはそれ以上の威力を秘めていて、幼少期の頃から彼に鍛えられていたディーノは条件反射でその場に居直った。

『まだイタリアで、チンタラしていやがるのか?』

「ちんたらって…。俺はお前に言われた通り、中立者としてあちこちで話しを勧めているんだぜ?」

『それが遅ぇって言ってんだ!』

 問答無用の口調でリボーンは嘗ての教え子を頭ごなしに叱った。

 彼が何に対して立腹しているのか、真意を掴めないディーノはただ黙って聞き入るばかり。

 これで、キャバッローネ十代目としてイタリア本土では恐れられているのだから、どうしたものかと秘書室から様子を窺っていたロマーリオは溜息をついた。

『まだカテキョーとしての仕事が残ってるだろう? ヴァリアーとの対戦に勝利するためだけに、お前を態々呼びつけたんじゃねぇんだ』

 大事な目的は寧ろ、これからだと言うリボーンの含みのある言葉に「わかってるよ」とディーノは答える。

 そうだ。自分にはもっと大事な使命が控えているのだ。

 散々、恩師から説教を聴かされた挙句、最後に彼はこう告げた。

『アイツ、待ってるぞ』

 唐突に言われても皆目検討がつかない。

『お前の可愛い弟子のことだ。ディーノ』

「きょ…や…?」

『お前にヒバリを任せたのは、間違いだったかもしれねぇ…』

 ふう、と深い溜息が零れ、ディーノは「なんでだよ?」とムキになって喰らいついた。

 まさか、自分では力不足だったとでもリボーンは言いたいのだろうか。

 漸く、本腰を入れて話しを聞く気になったディーノに内心リボーンはヤレヤレと苦笑いした。

『アレの気質を知っているだろう。守護者一、気位が高く自由奔放。それだけでも、扱い辛ぇのに実力は群を抜き出ていて、手のつけられないじゃじゃ馬ときたもんだ』

「だから、俺に任せてくれたんだろ? 元生徒の俺を信頼してくれて、お前は――」

 実際、ディーノは暴れん坊の雲雀を立派に鍛え上げ、リング争奪戦に上手く導くことに成功した。

 その成果はリボーンも認めてくれていたではないかと、ディーノは電話越しに問うた。

『キャバッローネのボスとしての仕事振りを俺がどうこう言うつもりはねぇ』

「だったら、何が――?」

『俺が言いたいことは、それ以外のことだ。誰が教え子に手を出していいと言った?』

「し、してねぇよ!」

「嘘をつくな」

「…っ」

 リボーンの目は千里眼。節穴ではなかった。

 ディーノの心音は普段の三倍に跳ね上がり、掌にはじっとりと汗をかいていた。

『実際、手を出していなくても、そういう願望がテメーのなかにはあるんだろ。なぁ、ディーノ?』

 沈黙が落ちる。リボーンは心底呆れながら口を開いた。

『お前も…逃げてんじゃねぇぞ?』

「え…」

 間の抜けた声にリボーンはフッと笑った。少々、ディーノを虐めすぎたかもしれない。

 師弟とも全く自分のことを分かってはいない。

 それはそれで面白いと思うが、お節介にも国際電話をかけてやった意味がなくなるので、もう少しだけこの駄目元弟子を苛めてやろうと思った。

『じゃじゃ馬が懐いちまった後、おめぇはどうするんだ?』

「?」

『そのまま放置――ってのもアリだな』

 人の悪い笑みを浮かべる暴君教師にディーノは彼の意図が掴めず、ただ頭を混乱させていた。

「リボーン。お前の言ってることがさっぱりわかんねぇ…」

『体質だけでなく、頭ン中までついにヘナチョコになったか? 俺がカテキョーだったときから再三言ってるだろう。マフィアは女子供には優しくするものだと』

「…ああ」

 それは知っていると、ディーノは頷いた。

『アイツもまだガキだって言ってるんだ』

「あいつって、恭弥のことか?」

「これでもわからないのなら、日本へ来い。百聞は一見に如かずということわざが日本にはあるからな」

そして、最後に「そういえば」とリボーンが面白そうに話題を切り替えてきた。

『最近、並盛で面白い噂を耳にしたぞ。今じゃあ、それがちょっとしたカーニバルにまで発展しそうだ。ああ、これはお前の弟子に関することなんだが、知りてぇか?』

 教え子のことと振られて、興味を示さないディーノではなかった。

『実はな――――』

 数分後、秘書室のドアが叩き落されんばかりに開かれ、血相を変えたドン・キャバッローネが轟く声で腹心の部下の名を呼んだ。