01

 

 

 

 夕焼け小焼けの帰り道。

全くどうでもいい話しばかりする金髪を横目に、雲雀はオレンジ色に溶けてゆく夕日をぼんやりと眺めていた。

(今晩は秋刀魚がいい…)

 遥か彼方まで続く鱗雲。

今日も一日、雲雀は並盛の秩序を守るため奔走した。

その充実感が小さな胸に広がり、清々しい気分にしてくれる。

 素晴らしい夕焼けは、並盛の町がそんな雲雀の労をねぎらうご褒美のようだった。

「それで、ロマーリオの奴がさあ――」

 ロングジャケットの裾を翻し、外国人特有のジェスチャーを交える男は金髪にはしばみの瞳が印象的だった。

 自らのヘナチョコぶりは遥か彼方に追いやり、部下の失敗談を面白可笑しく話す彼は、つい最近まで雲雀の家庭教師をしていた。

ボンゴレリングを巡って送られる刺客を返り討つための戦い方や、指輪の炎の操り方を教えてくれたのは彼だ。

(この並盛で僕の背後から近づける相手なんて赤ん坊か、この人くらいだ)

いつから一緒だったのかと、雲雀はおぼろげな記憶を掘り起こしていく。応接室を出て行くときはひとりだった。

下駄箱で靴を履き替えて、正門を出て、それから。

(それから…?)

 気がつけば、彼が隣にいたのだ。

(まあ、この人がいつから居ようと、僕には関係ない…)

 と、胸のうちで呟き家路を急ぐ。

「ああ、そっちじゃねーって」

「?」

 交差点の分岐路に差し掛かり、雲雀がいつもの道を進もうとすると、彼――ディーノは慌てて細い腕を掴んだ。

「ホテルはこっち!」

「……」

 それは、決定事項なのか。

拒否する権利も与えない言い様に雲雀は少しムカついた。

何かといえば、家庭教師面をして雲雀をいい様に扱いたがるのだ。

生まれながらの支配者である雲雀とは違って、ディーノのそれはいい大人の我侭だ。

「どうして僕があなたの滞在しているホテルへ行かなくちゃならないの? 家庭教師ごっこはもう終わったはずだよね?」

 鋭い眼差しが真正面からディーノを抉る。

 だからといって、簡単に手放せるほど雲雀はディーノにとって、どうでもいい人間ではなかった。

「あー。えっ…と。美味いイタリアンを用意してあるんだ!」

 子供の癖に美食家である雲雀の舌をも唸らせる、凄腕のシェフがいるのだとディーノは熱弁をふるった。

「…今晩は秋刀魚が食べたいんだ」

 あなたひとりでイタリアンを食べなよと素っ気無く返すと、彼は少しの間、思案してジャケットから携帯電話を取り出した。

「グイード、俺だ。今夜は和食に変更だ。そう。そうだ」

 部下と通話している時もディーノは雲雀の細腕を放そうとはしない。

「あと、サンマっていう食い物の用意を。恭弥が食べたがってる」

 電話口から、呆れたような返事がして通話は終了した。

「これで、文句はねーだろ?」

 その間、だんまりを決め込んでいた雲雀は「ふぅ」と小さく溜息をつき、掴まれていた方の腕の力を緩めた。

「あなた、ヒゲ眼鏡の名前を呼ばなかったけど…、彼いないの?」

「ああ。ロマーリオな。今回は来日してねぇんだ。いつこの間、ぎっくり腰をやっちまってな」

「ふぅん」

 腹心である自分がボスに同行をしないのはどう考えてもおかしいと言い張るロマーリオに、ディーノは半ば強制的に休みを与えた。

「まあ、代役は立ててあるから。心配ねぇ」

 祖国にいる部下を心配しながら呟くディーノに雲雀はどうでもいい話しだと内心思った。

「それで、あなたは大事な部下を見捨てて日本に来たんだ? 随分と酷いボスだね」

「何とでも言えよ。一月ぶりに会えたんだぜ? 少しは嬉しそうな顔してみせろよ」

 ムウと頬を膨らませる彼は実年齢以上に幼く映った。実際、こんな体たらくなマフィアのボスがいては堪らない。

「あなたみたいな暑苦しい大型犬と食事なんて。僕の趣味じゃないんだけど」

「恭弥は猫派か?」

 だったら猫になると言いかけた口を手で軽く塞いだ。

「行くよ」

「恭弥?」

「さっさとしないと、散歩に連れて行ってあげないよ」

 小さな肩で風を切らせ、雲雀は彼が指差した方角の道を歩き出す。

 するとディーノは恥も外聞もなく、尻尾が引き千切れんばかりに振って「ワン」と鳴いた。

 

 

 

 

 

 並盛の東側地区にはいまだ未開発の土地が多く点在していた。

直ぐ傍には海へと続く川が一本流れており、古びた団地や民家がポツポツと疎らに点在していた。

「ここは随分と寂しいところだな」

 広大なススキ野原と空き地がどこまでも続いている。

 並盛を頻繁に訪れるディーノも初めて訪れる未開の地を見渡して、感想を述べた。

「そう? 僕は好きだよ。人も車も群れてないから」

 車通りも少なく、侘しく痩せた土地であったが雲雀は気に入っているようだs。

「恭弥は静かな場所を好むもんな」

「不要な群れを見なくて済むからね」

 近くの草むらからは虫の音の合唱が聞え、オレンジ色の夕日は西の空に半分呑まれ、棚引く鱗雲は薄紫色に染まる。

 澄ました表情で並盛の地を見渡す雲雀の様はいつになく穏やかだった。

 一方のディーノはといえば、静観な場所も好きだが、どちらかといえば賑やかで活気のある場所が好きだ。

 思い出すのは自分が統治するシマの市場や子供たちの笑い声が絶えない広場。

 静を好む雲雀が到底、受け入れる筈もない賑やかな環境だった。

「よし。決めた!」

 ロングジャケットの裾を翻し、ディーノは大股でツカツカと砂利地の方へと歩き始めた。突然の行動に唖然としていると、「恭弥も来いよ」と大振りで手招きされた。

「なんなの?」

 意味がわかるように話してと口を開く前に、ディーノは道端に転がっていた棒を拾い上げる。

「これがいいな」

 長さも太さもちょうどいい。

 まるで宝物を発見した時の子供の笑顔だった。

「ここで、やろうというの?」

 陽は随分落ちかけている。

 戦闘マニアの雲雀にとって喧嘩は朝飯前で、明るかろうが暗かろうが、そんなことは二十四時間関係ない。

 好戦的な光りが漆黒の目に宿ろうとした寸前、彼は「ちげーよ」とはにかんでみせた。

 だとしたら、喧嘩以外にこの開けた土地で何をしようと言うのだ。

 怪訝そうに腕組をしてディーノを見据える。

 こちらの呼びかけに応答してくれない弟子を残して、ディーノの不可解な行動は始まった。

棒を使って地面に何かを描き始める。しかも、その規模はかなりのもので大人の彼が必死になって駆け回っていた。

「なに描いてるの?」

 質問する雲雀に「わからねぇか?」と悪戯ぽい笑みを返す。

 そんなこと言われてもと秀麗な眉を顰め、彼の奇行を黙って見守る。

 魔法陣? ナスカの地上絵?

 いずれかにせよ、そんなふざけた真似をしているならば、即この場から立ち去る用意が雲雀にはあった。

 しかし、暫くの間、離れた位置で眺めていて「あ」と声を零した。

「家…?」

 漸く、正解を導いた雲雀にディーノは「そう」と頷いた。

「ここが玄関で、リビングは南な。俺の仕事部屋は二階で、書斎もあった方がいいな…。あと、恭弥のために和室もあるんだぜ?」

 不動産屋のガラス戸に貼り付けてあるような物件図がディーノの手によってスラスラと描かれていく。

 最初は彼に任せるままだった雲雀もいつしか、一緒になって彼是と意見を口にし始めた。

「寝室は二階でいいよな?」

 と言って、キングサイズのベッドを一つ描いた。

「どうして、ベッドが一つなの? 僕は一階の和室で寝るよ」

「何言ってんだよ。夫婦は同じ寝室で寝るのが当然だろう? これだけは、ぜってぇ譲れねぇ!」

「夫婦って何?」

「結婚したら、普通、夫婦になるもんだ」

「誰と誰が?」

「俺と恭弥」

 上目遣いに、窺うように跳ね馬は言った。

 いつから、こんなふざけたことをこの男は言い出すようになったのだろうか。少なくとも修行中にこんなことはなかった。

(だとすれば、ごっこが終わったあと?)

 頑として譲る気のないディーノに雲雀は目尻を吊り上げ、「噛み殺す」と得物を構える。一方のディーノも腰から提げていた鞭を取り出して、応戦する気満々だ。

「ヒバリ、ディーノ」

 どこからか姿を現した黄色い小鳥がふたりの頭上を優雅に旋回する。

「チワゲンカ。チワゲンカ」

「な…っ」

「うるさいよ。君」

 小鳥の指摘により、ふたりは下らないことで拳を交えようとしていたことに気付く。

 そして、先に武器をしまったのはディーノの方だった。

「…悪かった。大人げないこと言って」

「別に。相手にした僕も愚かだった」

「愚かって、お前な…」

 こっちは、真剣な思いで言ったんだぞと、肩を落としディーノうな垂れた。

「あなた、病院に行った方がいいよ」

「なんでだよ?」

 ゾンビのように肩を落としていたディーノが聞き捨てならないと顔を上げた。

「だって。僕は男だし…」

 その強い力を持つ双眸に圧されながら、雲雀はポツリと答える。

 詰まるところ、雲雀が引っ掛かる箇所はそこだったのだ。

「まだ、そういうのに拘るのかよ?」

 俺は当の昔に乗り切ったぜと、あっさり述べるディーノは清々しい笑みを浮かべていた。

「あなたが良くても、僕が困る」

「迷惑か?」

「…わからない」

 こんな感情は初めてで、どう処理をしていいのかわからない。

「そっか。わからないんなら、それでいいんだ。迷惑だって、突っぱね返されるよりましだぜ」

「ディーノ…」

 気まずい空気が漂う中、小鳥はディーノの頭の上に止まり、ふたりを楽しげに見ている。

 漸く完成した未来のマイホーム。

 ディーノは雲雀を隣に呼んで、並んで我が家を見渡した。

「どうだ?」と得意げに訊ねると、雲雀は嬉しそうにも哀しそうにもとれる表情で眺めるだけ。

 オレンジ色の夕日はすでに西の地平線へと呑み込まれ、周囲は薄ら闇に包まれる。

 冷たい風が頬を撫で、いよいよ静寂で孤独な夜が始まる。

だが、不思議と寂しさは感じられなかった。

しっかりと抱きしめられる肩。

触れる体温は温かく、視界に入る金糸には今でも太陽の光りが留まっているようだった。

「俺はいつだって、恭弥のことを――」

 たった十五の子供相手に、必死になって口説こうとしている。

 先約の証である指輪も彼の左手の薬指に嵌められているというのに、これ以上、何を焦る必要があるのだろうか。

 自己嫌悪に浸っていると、眼下にある丸々とした頭が微かに動く。

「寒いか?」

「違うよ」

 日が落ちて暗くなり、視界も悪くなってきたというのに雲雀の視線はいまだ地面に縫いついたまま。

 自惚れてもいいのだろうかと、戸惑いながらディーノの手は雲雀の細腰にそっとまわされた。

「恭弥…」

 僅かに雲雀の体が揺れた。

「イタリア式の挨拶…。まだ、してなかった」

 していいかと、雲雀から許可を貰う前にディーノはその小さく秀でた額に触れるだけのキスをした。

「ただいま。恭弥」

「……」

清潔で瑞々しい香りがする黒髪に鼻先を埋める。

「なんだ。殴らねぇのか?」

 覚悟をした上での行いだったと暴露するような口調だった。

 随分上から自分を見下ろす、はしばみの瞳を見やり、雲雀はそっぽを向いた。

「あなたがイタリア人でなかったら、噛み殺していたよ…」

 そう、小さく答えて、久方ぶりに太陽の匂いがする人の胸に落ち着いた。