シンデレラ・ステップ

 

 

 

 

 

朝、墓前のハシバミの枝に新芽が咲いていた。

雲雀は白い息を吐き出して小川で汲んだ水を枝に向けてかけてやった。

「お母様。ハシバミに新しい芽が咲きました」

寒い冬はじきに終わり、春がやって来る。

雲雀はピンと張り詰めた空気の中でそう感じ取っていた。

春になればまた小鳥や動物たちが姿を現し、そして、雲雀の心を慰めてくれると。

舞踏会の後、雲雀は風邪をひき、一週間寝込んでいた。

継母や義姉たちからは散々と嫌味を言われ続けてきたが、漸く熱も引いて薪拾いに出掛けることができたのだ。

悴む両手に息を吹きかけて雲雀は精を出して薪を拾う。

ディーノとのことはもう後悔していない。

あれでよかったのだと思う。

お互いが相応しい世界で生きて行くのが幸せなのだと。

(結局、僕は最後までディーノに本当のことを言えなかった)

臆病な自分。

虚勢を張って生きている自分。

幼い頃、世界はどこまでも孤独なものなのだと思っていた。

本の世界に浸り母の言葉にも耳をなかなか傾けようとはしなかった。

 

『太陽がある限り、この世界は優しさに包まれているのよ?』

 

母はそう言って微笑んでくれていた。

「まるであの人みたいだな…」

 

『愚かしさがあるから、人はどこまでも他人に優しくなれるものなのよ?』

 

「…僕はあの人に優しくできたのだろうか?」

先日、キャバッローネの国王が王子に王位を継承した。

つまり、ディーノは名実共にキャバッローネの若き国王となったのだ。

ボンゴレ国のツナ姫との結婚はすでに秒読みだろうと誰もが噂をしていた。

「おめでとう…」

誰から見てもお似合いのふたりだった。

ダンスも踊れない雲雀にはただ黙って見ているしかできなかった。

(本当は…心のどこかで君と踊れたら…と思っていたんだ)

でも初めて訪れた舞踏会は雲雀の知らない世界だった。

継母が言ったとおりだった。

「…僕は灰かぶりで、あなたは王様」

今頃、城で多忙な公務をこなしているのだろうと思った。

王子の頃のように気ままではいられなくなる。

「それくらいのこと、僕にだってわかるよ」

小さく笑みを落として、雲雀はまた一つ薪を拾った。

 

 

 

 

 

篭一杯になった薪を背負って雲雀は家に帰った。

これから朝餉の支度をして、それから洗濯と掃除が待っている。

舞踏会で借りたドレスと首飾りの宝石はきちんと包装し直して、今は義姉たちの衣装ダンスに眠っている。

片方にだけなってしまったガラスの靴は役に立たないと言って継母が捨てようとしたのを雲雀が貰い受けた。

片方しかないガラスの靴を雲雀は部屋に大切に飾った。

玄関先が俄かに騒がしかった。

見かけない馬車が止まっている。

継母と義姉たちの金切り声が雲雀の耳にも届いた。

「騒がしいね」

近所に住む者たちが見物に来るくらいの事件が起きたのか。

雲雀は重い篭を背負いなおして人込みを掻き分けた。

人だかりの先には城の兵士数人の姿があった。

「ヒバリ、遅かったわね! 早くお茶の用意をしてちょうだい!」

ぽかんとしていると、眼鏡面の近衛団長が雲雀を見つけて気味悪く微笑んだ。

「俺は王宮騎士団副隊長のロマーリオと申します。朝早くからお騒がせしてすみません」

「いえ…」

ロマーリオは脇に小さな木箱を抱え持っていた。

「実は昨日から国中の若い娘のいる家を一軒一軒伺っています」

そう言ってロマーリオは木箱の中からキラキラと輝くガラスの靴を見せた。

ガラスの靴を見て継母や義姉たちは「まぁ」と感嘆と同時に声を漏らした。

「若き国王は、先日の舞踏会でこのガラスの靴を履いておられた姫君を探しておられます。このガラスの靴が履ける者を妻に迎えたいと申しておられます」

「ええっ」

継母と義姉たちは目を皿のようにしてガラスの靴を見入った。

これはどうみても夫が送った品ではないかと。

ロマーリオは他の義姉たちには一切見向きもせずに雲雀を見つめていた。

「失礼ですが、あなたは男ですか?」

「そうだよ」

ロマーリオの質問に雲雀は憮然と答えた。

「そう、ですか」

少し困ったように隣に立っていた銀髪の剣士の方を見やった。

「うぉぉぃ。物は試しで履いてみろ」

スクアーロという剣士は雲雀の前にガラスの靴を差し出した。

「君たち、頭が沸いてるんじゃないの? 僕は男だよ。万が一にも…国王が見初められた姫君とは違う」

「うぉぉぃ―――っ。つべこべ言わずにさっさと履け」

血気迫る勢いでスクアーロは詰め寄り、ガラスの靴を絨毯の上に置いた。

「できない話しだね…」

頑なに雲雀は拒む。

「おい。どうするヒゲ眼鏡?」

 ふたりが困り果てていると継母が話しの間に割って出た。

「どうか、こんなみすぼらしい子よりも、私の可愛い娘たちにそのガラスの靴を履かせてやって下さい」

継母はそう言って、ふたりの痩せのっぽと、ふくよかで小柄な二人の娘を差し出した。

ロマーリオはその娘たちの足と小さなガラスの靴を見やって「無理だろう」と言った。

「そんなことはありません! 履いてみなければわからないこともあります! ほら、お前たち、履いてごらんっ」

上の義姉の足は見るからに大きかった。

「お母様、無理だわ!」

「何言ってるの! 気合よ気合! 指の骨を折ってでも履きなさいっ」

親子の会話に周りの者たちは呆然としていた。

そしてやはりガラスの靴か履けるはずなかった。

次の下の義姉は小振りな足をこの日ばかりは感謝した。

「いいかい。包丁で足の指を切っておしまい! どんなことをしてもお妃になるんだよ。お妃になってしまえば、どこに行くのも馬車だから歩く必要などなくなるんだからね!」

「わかったわ、お母様!」

義姉は包丁で足の指を切り落として、無理矢理ガラスの靴を履こうとした。

「そんな不正行為は認められない。見ての通り、この靴の持ち主は、細く小さな足の者だ。お前のような者がこの靴を履くのは無理だ」

大切なガラスの靴を血で汚してはいけないとロマーリオは無謀を働く義姉を制した。

「さあ、残るのはあなたひとりとなりました。どうか、このガラスの靴を履いて下さい」

「そうだ。履いちまえ」

ロマーリオとスクアーロがズイと、雲雀の前にガラスの靴を差し出す。

「僕は……」

雲雀は皆が見守る中、「出来ない」と断った。

「うぉぉぉぉぃぃ――。俺等に死と言うのかよ?」

雲雀は、知らないとそっぽを向くばかり。

予想以上に手強い雲雀にロマーリオは一筋縄ではいかないなと内心思った。

「国王から未来の花嫁へ品を預かってきました」

ロマーリオは懐から折り畳まれた布を取り出し、布を捲って中身を晒した。

「これは…」

「ハシバミの花の蕾です」

雲雀はロマーリオの手からハシバミの花の蕾がついた小枝を受け取った。

「国王は忙しい公務の合間を縫って、このハシバミの花の枝を探されました」

「・・・・・・・」

まだ雪解けもしていない広大な森をディーノは誰の手も借りずに探した。

「大変だったんだぞ。貴重な睡眠時間削って、フツーなら過労死してもおかしくはねぇ」

スクアーロは我がことのように語って聞かせる。

「王はこの枝を城の庭に植え、迎えられる妃と共に育てていきたいと仰っておりました」

「…あの人が?」

どんな高価にものよりも雲雀はたった一本のハシバミの小枝を愛した。

それは命を育み生きる者に力を与え、そして大地に強く根を降ろすから。

「王からの伝言をそのまま伝える」

そう言って、ロマーリオは落ち着くために一呼吸ついた。

「あなたの瞳を過ぎる哀しみが何なのかを知りたい。自分に慰められるものなら、受け止められるものなら、長い年月をかけてあなたを支えよう。このハシバミの枝が立派な樹木になるまで、苦楽を共にし見守っていきたいと、王は仰っておられました」

「ディーノ…」

雲雀の瞳から大粒の涙が溢れ出す。

 

いいのだろうか。

自分でも。

 

ハシバミの小枝を握り締め、雲雀はここには居ない男のことを思った。

「僕も…あなたと共に在りたい…」

雲雀は履き潰した革靴を脱ぎ捨て、ガラスの靴に履き替えた。