空の歴史
私のラジコン飛行機第1号です
フタバ産業から発売されていました
MITSUBISHI MU-2+ENYA09TVです
全スチロール製で後に発売はエイブル
となっています
初っぱなからスケール機ですよ
どうなってるんだか おじさんは!
当時はかわいい中学生です。

この機体は結構飛びましたが
飛び立った場所に無事着陸したことは
1回もありません。

当時のシングルボタンの
ラダーオンリー機はフリーフライトに近い物で
自分から飛んで逃げないように舵を打ちます。
燃料切れでエンストすると(★注1)出来るだけ
自分に近いところに不時着させるよう操縦する
しろ物でした。万一滑走路に壊れずに降りたら
拍手喝采。末代までの語りぐさでした。

スチロール兄弟機のフロンティアI型とシングルメカ

ラジコン技術1967年9月号 MITSUBISHI MU-2
(表紙の写真は私の機体ではありませんって あたりまえです)
★注1 エンコンはハイ・中スロー・スローの順次繰り返しで
ハイで上昇
中スローで水平飛行
スローで下降
ということになっていましたが そんなにうまくいきません
操縦方法は
New&Old single radio-control-mechanism
古くて新しいシングルメカ
  参照
2機目は片翼のバルサキットで工藤プロダクト製だったような?3飛行目で再起不能の墜落だったねぇ・・・
機体の名前が思い出せないのよ エンジンは ENYA09TVだよ
3機目はムサシノのスカイカンガルー+ENYA09TV
シングルボタンではじめて飛行場に着陸 お祝いした機体です
この機体でシングルの操縦がうまくなって
 インメルマン宙返りもしていました
ロールは最後まで出来なかったですがね〜。この機体は長生きで
その後プロポに積み替えエレベーター稼働の3chで飛ばしました。
最後は宙返り中に翼がバンザイして墜落しました。
足かけ4年飛びましたね
スバル15(ENYA15+OK模型半対象翼)のバルサキットを
肩翼に作り替えて3chプロポで飛行
こんな感じ
 このころからほぼ自由に飛ぶようになりました。
しかし 軽量化で胴体が弱く、着陸で胴体がぽっきりです 

紙張り+ビニローゼ仕上げ
もちろん 刷毛塗り

ムサシノの低翼スカイライト(クラークY類似)が次の機体です
 低翼入門機の決定版という機体というふれこみで 3chでもとばせるという物でした
事実上 始めての低翼機です。

ところが 3chでスタントコントロールしようとすると 
逆に 自立安定性が良すぎて 思ったように飛びませんでした。
 当初なぜ思ったように飛ばないのかわかりませんでしたねぇ 
数回飛ばして 後輩に譲りました

今考えると 主に2chで飛ぶように設計した機体で
エレベーターをコントロールしてエルロンでとばすためには
主翼の迎角の減少、
エンジンの適切なスラストとパワー(ENYA15でもオーバーパワーなんですよね)、
上半角の減少と 考えますが・・・・いかがでしょうか つまり機種選択の誤りですね
あと いっぱい作りました でも 飛ぶのが当たり前になってきました いまでは最初の頃のわくわく感は相当薄れていますね
その後ながく ムサシノの機体から遠ざかっていましたが
1998年 モスキートモスを作りました 
当初 ENYA09TV(30年前の同じエンジン)を積んでいましたが
2004年5月 GWSの350(ギアダウンD)に積み替えました
プロペラAPC 11*4.7 バッテリー 
Nicdの場合8.4V500mA、
NiMhの場合9.6V650mA を使います
 どちらも同じような感覚ですがNiMhはさすがに長く飛びますね。

 当初単3型7.2V550mAのNicdで飛行させましたがパワー不足で、単3型Nicd9.6V550mAでは重くなり軽快感が薄れます

翼面加重
18〜19g
全備重量
600〜650g

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