ムード


日本語の表現は、文の最後の部分、つまり「文末」が重要だとよく言われる。例えば、

 (1) a.朝早く起きる。
    b.朝早く起きるだろう
    c.朝早く(は)起きない
    d.朝早く起きるのだ
    
これらの文は「朝早く起き(る)」という部分は共通しています。違うのは、文末の部分がいろんな形を取って、 それに応じていろいろな意味を表している点です。このように、表現者の判断や伝達の仕方を表す形式を 「ムード(法)」と言う。
それぞれ、bを「断定保留」、cを「否定」、dを「説明」の表現と言う。

b.断定保留

 (2) 隣の部屋に誰かいる。
 (3) 隣の部屋に誰かいるようだ

(2)が断定の表現であるのに対して、(3)は断定を保留した表現になっています。他にも断定保留を表す表現がいくつかある。

 (4) うまくいくだろう

「だろう」は断定を避ける。(断言をしたいときは「うまくいく。」)

 (5) 寒いだろう?     こっちへ来いよ

「だろう」を尻上がりで発音すると、相手に確認する意味。

 (6) 見たところ、皆さんおつかれのようですね/お疲れらしいですね。
 (7) うわさでは、ドラクエの発売が延期になるようだ/らしい

(6)では「ようだ」、(7)では「らしい」のほうが使われやすい。自分で知覚した直接的な手がかりの場合は「ようだ」、 他からの情報といった間接的な手がかりの場合は「らしい」のほうがふさわしい。

 (8) 子供がミイラになりそうだ
 (9) 子供がミイラになるそうだ

(8)は自分で直接観察していて、(9)は伝聞の情報を表している。つまり、「そうだ」の前に来る述語のちょっとした違いが重要である。

c.否定

 (10) ルミ子はハワイに行くといつも服を買うのに、今回は買わなかった
 (11) この服はハワイで買ったのではない

(10)では服を買うという出来事(事態)が起こらなかった。 (11)では、服を買ったという出来事が起こらなかったとは言ってない。服を買ったということは認めた上で、「ハワイで買った」 というのは事実に合わないと言っている。(10)を「事態の否定」、(11)を「判断の否定」と呼ぶ。また、

 (12) 全員が来なかった。
 (13) 全員が来たのではない

(12)では一人も来なかった、(13)では来た人も来なかった人もいた、という意味になる。 (12)は、関係者全員について「来る」という出来事(事態)が起こらなかった、ということを意味する「事態の否定」、 (13)は「全員が来た」という判断は事実と合わないという「判断の否定」である。

d.説明

 (14) A:忙しそうだね。
      B:うん、子供を復活させているんだ

「んだ」を取り除くと、

 (15) A:忙しそうだね。
      B:うん、子供を復活させている。

これだと話の流れがスムーズにいかない。つまり「のだ」は前の文に対する何らかのつながりを表現している。