さて、今回は入念に計画を立てて行ったつもりである。まずは、京都駅から市バスに乗って三十三間堂に向かった。2度目である。前回来た時は中央の観音像は修理中だったが、今回は見ることができた。しかし、全部で1001体の千手観音像。1体の手の数は40本なので、合計40040本の手があることになる。千手観音は手袋をするのが大変だろう。しかし、今回仏像をみて気付いたのは、これらの建物や仏像は今は塗装などが剥げ、木が剥き出しになっているが、作られた時はピカピカだったということだ。つまり、僕等はこれらを見て「おお、古い建物はいいなぁ。哀愁だ。」などと思うけれども、当時の人はそうは感じていなくて、例えば僕等が新しい家や建物に入ったときに「んん?新しい建物のにおいがするぞ。」と感じるように感じていたはずだということだ。しかし、1000年という年月は見事に金箔を剥がし、古さというまた別の魅力と質感とを引き出した。何かの本で読んだのだが、これも仏の教えであり、仏像が「いずれお前ら人間もこのようになるのだ。ボッロボロに、年を取るのだ。」と言っているということである。ところで、三十三間堂では七福神おみくじなるのものを引いた。弁財天だった。
次に、六波羅密寺に行った。ここのメインはあの空也上人の像である。しかし今回は平清盛に惹かれた。あの威張った清盛ではなく、仏の道を愛する清盛像であった。そこには盛者としての奢りは見えなかった。
バスに乗る予定を変更して徒歩で知恩院へ。浄土宗の総本山である。ちなみに、母の実家は浄土宗のお寺であり、もちろん知恩院がその本山である。拡大解釈すれば僕にとっても本山なのである。知恩院の感想を簡単にいうとスケールがもの凄く大きい。石段の幅が広く、上がるだけでも息が切れてしまった。
引き続き徒歩にて南禅寺へ向かった。南禅寺といえば、湯豆腐だろうか。しかし、湯豆腐が3000円とはいかがなものだろうか?そんなことはさておき、南禅寺で有名なのは、「絶景かな」の三門と、狩野探幽の「水呑みの虎」などである。でも、僕が惹かれたのは、後醍醐天皇が亡くなるときに乗っていたという御輿である。レプリカなのかもしれないが、なんとも切ない。
以上で初日に予定は終了。大入り満員の市バスに乗って京都駅まで戻った。そして、地下鉄に乗り四条河原町あたりへ繰り出した。何をするのかといえば、本やCDを買うのである。どこへ行っても同じだ。
再び地下鉄に乗り二条城へ向かった。とても広いので歩くだけで疲れます。一回行ったことのある所だったのであまり感銘は受けませんでしたが、梅の花が咲いていて良い香りを放っていたのが印象的でした。
さてさて、お次は龍安寺である。立命館大学まで市バスで行きそれから歩いた。立命館大学は卒業式だったらしく、たくさん学生がいた。僕ももうすぐ卒業である。早いものだ。さて、龍安寺といえば庭園である。そう、15個目の石は心の目で見るという石庭である。そういえば、山口には雪舟庭というのがある。
それから引き続き仁和寺まで歩いた。徒然草を思い起こし、思わず顔もほころんでしまう。歩き疲れたので甘酒と茶団子でしばしの休息。予定ではあと2ヵ所まわらなくてはならないのだ。
次に向かうのは清涼寺である。京福電鉄に乗り、まずは嵐山まで行く。ここで天龍寺に立ち寄った。しかし残念ながら工事中で庭園には入れなかった。気を取り直して京都バスで清涼寺へ。ここも浄土宗のお寺である。ここで一つの謎が解けた。僕の部屋にあったお釈迦様の写真は、この清涼寺の釈迦如来だったのだ。目は黒水晶で耳は水晶らしい。いやいや立派だ。
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しかしゆっくりする暇もなく京都バスにて奥地へ進む。目的地は愛宕念仏寺である。1200体もの石仏が並んでいる。ほとんどの石仏は微笑んでいる。これは気分が良くなります。ところで、この愛宕念仏寺は長渕剛の「人間」という唄のプロモーションビデオに出てきます。そういうわけで行ったのです。 |
そして、その夜も四条河原町へ行った。歩きすぎて足が痛かった。
予定通りの観光を終え、宇治を後にし京都駅に戻った。しかし、帰りの新幹線までかなり時間がある。というわけで、中古CDなどを求めて街をブラブラと歩いた。そして見つけたのが下の写真。
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これこそ友部正人のエッセイに写真付きで載っていた場所ではないか!というわけで、同じような写真を撮ってみた。もちろん店に入ってコーヒー&ケーキを堪能した。 京都では、いくつかCDを買った。友部正人のベスト盤と、レッド・ゼッペリンのライブ、シナモンのサードアルバム、長渕剛の『ヘビーゲージ』である。手に入りにくいのも手に入りました。 |