僕の好きな選手はアントニオ猪木である。といっても、89年東京ドームでショータ・チョチョシビリに無惨な負け方をする前の猪木、すなわち自らの団体新日本プロレスの旗揚げ戦で“プロレスの神様”カール・ゴッチに惜しくも敗れた猪木、ストロング小林戦で両足が浮くほどの完璧なジャーマンスープレックスを放った猪木、ボクシング選手モハメド・アリと戦いほとんどの技を禁じられた状態でフルラウンド戦い抜いた猪木である。だから、UFOとかいう団体や小川選手には全然興味がない。
僕の中での猪木名勝負(たくさんあるので1つずつあげていく、自己満足でもあるので興味ない人は読むな)。
まずは大木金太郎戦:デビュー戦で負けている雪辱を果たすのだが、内容が凄まじい。大木の頭突きに耐え抜きバックドロップ一発で仕留めたのだ。今はバックドロップで試合が決まることはなくなったが、当時はまさに必殺技だったんですねぇ。
次はタイガー・ジェット・シン戦:シンの反則攻撃に遂に切れた猪木が、なんと右腕をへし折ってしまうのだ。試合中に事故で折れてしまうことはあるかもしれないが、故意に折ったのはこの時だけではないだろうか?
ウイリエム・ルスカ戦:ルスカはオランダの柔道家で、ミュンヘンオリンピックで無差別級と重量級で金メダルを取った選手である。「格闘技世界一決定戦」と銘打って行われたこの試合は、猪木のバックドロップ3連発で幕を閉じる。この試合以降、猪木は異種格闘技戦というものに燃えるのだ。
アクラム・ペールワン:パキスタン政府の要望で猪木はパキスタンの英雄ペールワンと敵地で対戦した。ノールールで行われたこの試合は、ギブアップをしないペールワンに対し、猪木がまたも腕をへし折るという結果で終わる。そして会場は軍隊も出動し暴動寸前となる、しかし猪木は魔性の力で観客をも封じ込めたのだった。
グレート・アントニオ:この勝負は3分弱で決着が付くのだが、猪木の怖さを知るのにはもってこいの試合。グレート・アントニオは突如切れた猪木のメッタ打ちによって完全にKOされるのだ。毎回リングシューズに新しいヒモを通すほどのきれい好きの猪木が、フロに入ってないグレート・アントニオに耐えきれなかったというのが切れた原因というのは、古館アナウンサーの説である。
ラッシャー木村:これもまた猪木が切れて5分弱でKOした試合である。この試合まで約2年間、ラッシャー木村は猪木のライバルという位置づけで毎回名勝負を繰り広げていたのだが、たった一回、この日の勝負によってただの格下レスラーに成り下がってしまった。昔読んだ本にこの試合は「飽きられた選手の在庫処分」だと書かれていた。馬場いわく「あいつは選手を使い物にならなくする」
あげていけばきりがないので、次で終わる。
ハルク・ホーガン:負け試合でありながら、これほどまでに有名な試合はないだろう。猪木が提唱したIWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)の決勝戦として行われた。まさに屈指の名勝負といえる内容となるのだが、結末はホーガンのアックスボンバー3連発(古館アナ形容『海の神ネプチューン三股の矛』)によって猪木が舌を出して完全ノックアウト。まさに誰も予想だにしなかったフィナーレである。そこが猪木らしいといえば、猪木らしいのである。
まだ他にもたくさんあるのだが、それはまたの機会に。
最後まで読んでくれてありがとう。根気がありますね。その勢いでレンタルビデオショップに走り、プロレスビデオを借りてみてください。