日本人ルーツをたどる

      

はじめに、

一般的に言われているのが、日本人は元々日本列島にいた縄文人と大陸から渡ってきた渡来人が交わって日本人が形成された、と言われているが、真実は日本人は韓国・朝鮮人やシナ人とは全く別の人種である。

http://www.youtube.com/watch?v=HsDDzE5Gao4


 産経新聞 20089月「日本人解剖、第三章ルーツより」

(その一)

日本列島に新人(現生人類のホモ・サピエンス)が生活していた最古の時期だと確実視されているのは、後期旧石器時代の4万〜3万5000年前だとされている。


東京武蔵野台地の遺跡群から礫(れき)石器や日本とオーストラリア以外では新石器
時代
(日本では縄文時代)以降のものしか見つかっていない局部磨製石器(石斧)が出土している。4万〜3万年前の地球は寒冷期で、海面が現在より下がっており、インドシナ半島から東南アジアにかけての島々が「スンダランド」と呼ばれる亜大陸を形成していた。
礫(れき)石器は、この「スンダランド」方面からやってきた集団が持ちこんだと見られている。
現時点で列島最古の人骨である山下町洞人や港川人のルーツも、スンダランドから大陸沿岸部にかけてのエリアだとみられる。

2万〜1万4000年前になると、ナイフ形石器や細石刃が全国に広まった。
いずれも大陸起源だが、樺太経由や朝鮮半島など、複数のルートを経由してもたらされ、多様な集団が日本へ渡来してきたとみられる。本土で唯一の旧石器時代の人骨である「浜北人」が1万8000年前のもの(下層)と1万4000年前のもの(上層)で特徴が異なることも、新たな集団が渡ってきたことをうかがわせる。



縄文人については、旧石器時代の列島の子孫だったのか、または、この時代に渡ってきた集団がいたのかが、縄文土器の起源とともに大きな謎となっている。
大平山元
で見つかった無文土器や、長崎県佐世保市の泉福寺洞穴でみつかった「隆起線文」と呼ばれる縄文土器は現状では世界最古級だ。
より古い土器が周辺で見つからない以上、土器は外から持ち込まれたものでなく、日本列島に旧石器時代から住んでいた人々やその子孫が生み出したと考えられる。
その限りでは新たな渡来集団の存在を想定する必要はない。


一方、土器の外来を示唆するのが、隆起線文土器と同じ地層から見つかった細石刃だ。
北海道経由の湧別技法と同じシベリア起源で、中国〜朝鮮半島経由で日本に伝わったと考えられる「西海技法」で作られていた。これと同じ製法の石器が、中国・河北省で約1万1600年前の土器と共に出土しており、外来集団が西海技法とともに土器を日本へ持ち込んだ可能性がある。

弥生時代には、水田稲作や青銅器、鉄器など様々な文化を持つ集団が、大陸や南方より色々なルーで日本に来て、先住民の縄文人との混血を繰り返し拡散し、生まれたのが「日本民族」だ



旧石器時代から、さまざまな集団が渡ってきた日本。「現生人類は生誕の地アフリカから世界中を拡散する途上で、多様な特徴を持つ集団へと変化したが、列島がその「吹きだまり」と称されるゆえんでもある。

とはいえ、単なる「吹きだまり」ではないことは、局部磨製石器のほかにも世界最古の落とし穴という発明が旧石器時代になされていたこと、古くから土器を作りその造形に高い芸術性を発揮したことをはじめ、長い歴史が証明している。

 

 

日本人のルーツ(その二)

現存する日本最古の歴史書は、奈良時代初期(712年)の編纂(へんさん)とされる古事記である。そこには天地の始まりから神々の話が展開され、推古天皇までの日本民族の“起源”が記されている。

古事記の神話には世界各地の神話の要素が混在していると言われてきた。
アマテラスの孫、ニニギが宮崎「日向の高千穂」に降り立つ“天孫降臨”は北方系とされる。
一方、殺された女神の体から五穀の種が生まれる“オオゲツヒメ神話”は南方系といわれる。
三浦佑之千葉大教授は古事記神話の基層にある人間観は、北方系より南方の色彩が濃いとみている。

インドネシアには「最初の人はバナナから生まれた」とする神話があるが、古事記では
「葦(あし)かびのごとくもえあがる物によりて成れる神」として人の元祖となる存在の出現が語られ、人は「うつしき(命ある)青人草」と記述される。
三浦教授は
「人は“草”そのもので、循環する自然の中で有限の生命を与えられた存在と認識された。植物を人の起源とする発想は環太平洋の特徴」と話す。

南方系要素はいつ、どのように伝えられたのか。
三浦教授は古事記の出雲神話で、“稲羽のシロウサギ”とともに登場するサメに着目する。「サメは沖縄など南の海洋民の神話に共通する。一方、出雲のヤマタノヲロチ神話は、「高志のや八俣の大蛇(オロチ)」の“高志”が北陸を意味し、出雲と北陸の関係を反映している。
沖縄と日本海沿岸を結んでいた“海の道”で伝わったとみられる。

縄文時代の日本海岸では、丸木船で対馬海流に乗り、貝やヒスイなどが交易された。日本海の交易ルートで神話が南から広まったとすれば、日本神話の起源は縄文時代にさかのぼる可能性も出てくる。

 

少数民族に原型

神話のルーツが奈良時代初期よりもかなり古い時代にあることは、古事記の文体に「歌がけ」と呼ばれる歌謡の痕跡が見られることからもうかがえる。

例えば、出雲のヤチホコ(=大国主神が)ヌナカハヒメに求婚するくだりでは「さかしめをありと聞かして(優れた女がいると聞かれて)/くはしめをありと聞こして(美しい女がいると聞かれて)・・」と音の似た表現を対にして繰り返す。

工藤隆大東文化大教授は「漢字が伝わる以前に、集落単位で神話が歌われていた痕跡」とみている。
「歌がけ」は、独自の文字を持たない中国南部の少数民族に現在も残っている。

ペー族
雲南省ペー族と歌垣」参考



神話の古い原型と考えられるこれらの少数民族の「歌がけ」の中でも、日本と直接的なつながりを示すのが「歌垣」だ。「歌垣」とは不特定多数の男女が配偶者や恋人を得るために集まり、即興で歌を交わし合う風習。

古事記の「清寧天皇記」に「歌垣」の痕跡が見られる。「ヲケノミコト(顕宗天皇)が臣下のシビノオミと一人の女性をめぐり争い、夜明けまで歌を交わし合う。
「同様の記述は日本書紀にもあり、関東の常陸国風土記や万葉集にも「歌垣」の存在を確認できる」と工藤教授はいう。

「歌垣」の文化は中国南部の少数民族のほか、チベット、ブータン、ネパールにも広がる。東南アジアではタイ、ベトナム、などで散在するが、インドネシアなど島嶼部(大小さまざまな島)ではみられない。沖縄の風習「モーアシビ」も「歌垣」に似ている。
逆に北方の中国北部から朝鮮半島、モンゴルではほとんど見られず北海道のアイヌにもない。

 

「稲作の始まり」から見てみると、水田稲作は少数民族の原郷ともいわれる中国長江流域で始まり、アジ各地に広まった。
工藤教授は「歌垣は稲作に伴う農耕儀礼として弥生時代に日本列島に持ち込まれ、神話につながっていった」と推測する。朝鮮半島に「歌垣」が希少であることから、南方から沖縄を経由し“海の道”ルートで伝わった可能性もある。

古事記には、日本書紀にない出雲神話があるなど、必ずしも天皇中心の国家観が貫かれているわけでもない。
縄文時代から海流に乗って渡来した集団が南方系神話や「歌垣」をもたらし、“天孫降臨”とは異色の古い痕跡を古事記にとどめたのかもしれない。

 

 

以下は「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」のブログより、引用

2001年には既に【日本人のDNAサンプルを取ってルーツを追究したところ、今の朝鮮半島人のDNAと似たものは5%程度】ということが判明しており、この事実は、20018月〜12月にNHKスペシャル『日本人はるかな旅――私たちはどこからきたの』(5回)でも報道された。

2003
年放送の
テレビ朝日「キャノンスペシャル」でも、DNA科学に基づく研究の結果、日本人の約70%がシベリアのバイカル湖付近(縄文人:1万年以上前)と支那大陸の揚子江流域及び南部(渡来人:数千年前)から来た】ことを紹介していた。

最近では1年半くらい前の201411月に、東京大学大学院医学系研究科人類遺伝学専攻分野などの研究結果
『日本列島3人類集団の遺伝的近縁性』が発表された。

この時、共同通信は「朝鮮半島から渡ってきた弥生人」と配信したが、これは捏造だった。

2014
11月発表された研究の結果は、【日本列島人は、縄文人と渡来人の混血だが、特異性があり、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成、縄文人の系統を受け継いできた】だった。
この論文では、渡来人についても、朝鮮半島から渡って来たとは、どこにも書いていない。

実際に、渡来人については、揚子江流域からの渡来人が多い。

つまり、何万年も前に、シベリアのバイカル湖周辺からやって来た縄文人が日本列島人の大半となり(東南アジアからも若干来ていた)、その後徐々に揚子江流域などから渡来人が入って来て混血してきたのだ。


水田稲作技術は、朝鮮半島から日本列島に伝播したのではなく、日本列島から朝鮮半島に伝播したことが確定している。

●詳細な関連記事
日本から朝鮮半島への米の伝播について
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12585608.html


▼▼日本人と朝鮮人は別人種▼▼

 

[PDF]http://www.m.u-tokyo.ac.jp/news/admin/release_20121101.pdf
日本列島3人類集団の遺伝的近縁性
2012/11/01


東京大学大学院医学系研究科 人類遺伝学専攻分野
国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門(総合研究大学院大学生命科学研究科遺伝学専攻教授兼任 )の斎藤成也教授、東京大学大学院医学系研究科人類遺伝学専攻分野の徳永勝士教授、東京大学大学院理学系研究科・理学部の尾本惠市名誉教授を中心とする研究グループは、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)のゲノム解析により、現代日本列島人は、縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血であることを支持する結果を得た。



また、この研究発表の記者会見では、「日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)の特異性が示された。」と、日本列島人が他の東アジア人とは異なることが強調されている。

http://www.med.u-ryukyu.ac.jp/mur-content/uploads/2012/10/2c6ef01ea2da4504140b9c02062fd143.pdf
プレスリリース概要
タイトル:日本列島3人類集団の遺伝子近縁性
平成24111

 

アイヌ人からみると、彼らから地理的に大きく離れている琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。また、アイヌ集団が本土人およびおそらく北海道よりももっと北方の人類集団と遺伝子交流をしてきたことにより、個体間の多様性がきわめて大きいことがわかった。他の30人類集団のデータとあわせて比較しても、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)の特異性が示された。これは、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成、おそらく縄文人の系統を日本列島人が濃淡はあるものの受け継いできたことを示している。

 

この「プレスリリース日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」の最後の方の【添付資料】の図3のところにおいて「どちらの場合も、横軸(PC1)の右端にアイヌ人が、その隣に琉球人、本土日本人がこの順に並んでおり、日本列島の人類集団の特異性を示している。図3bでは、図3aには含まれていなかった韓国人が、日本列島人と他の東アジア集団との中間に位置している。」と記述されているが、ここでも渡来人が朝鮮人だとは記述されていない。
図3:図3aはHuman Genome Diversity Project(ヒトゲノム多様性研究計画)によって収集され、SNPタイピングされた人類集団のデータと、表1で示した集団のデータを合わせて、主成分分析を行なった結果。

逆に、【添付資料】の図5のところにおいては、「1万年以上前から、日本列島には縄文人が広く薄く居住してきたが、3000年ほど前に大陸からの渡来人(Yayoi ancestors)が稲作農耕をもたらして、弥生時代が始まった。」と記述されており、弥生人が主に大陸からの渡来人であったことを明示している。
図5:今回の結果および考古学的知見をもとにして、日本列島人の遺伝的な変遷を予想したもの

以上のとおり、「現代日本列島人は、縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血である」

 

真実を述べると、日本列島への渡来人は、朝鮮半島からの渡来人は非常に少なく、大多数は大陸からの渡来人だった。

そして、現代日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)は、他の東アジア人とは大きく異なり、基礎は飽くまで縄文人だ(支那人や朝鮮人と異なり、縄文人の遺伝子を濃く残している)。




何年も前にまとめたものだが、再掲載する。

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【人種学】日本人と朝鮮人は別人種(1)
『マリタ遺跡』→嶋木遺跡、柏台遺跡。
ブリヤート人→縄文人→大半の日本人に濃く残っている



1928
年、シベリアのバイカル湖辺のマクソホン村で『マリタ遺跡』が発見された。
この遺跡からは、今から2万3千年前の人骨とともに、集落跡、石のナイフなどが発見されている。
マンモスなどを倒すために作り出された先端部に「細石刃(さいせきじん)」を植刃した槍などは、当時の技術が相当程度発達していたことを伺わせる。

マンモスハンター

これらの遺物は日本(北海道の嶋木遺跡、柏台遺跡など)でも発見されており、シベリアのマリタ遺跡を築いた種族たちが日本に持ち込んだことを示している。
当時使用されていた石片のナイフの材料ー石核は、シベリアマリタ遺跡の石核と同じもの
シベリアの「マリタ遺跡」と日本の遺跡の石核(細石刃:さいせきじん)は同じもの

シベリアアムール川ガーシャ遺跡から魚油などを貯蔵する土器が発見されましたが、 縄文時代の遺跡から、それと似ているが非常に薄い土器が発見
シベリアのアムール川「ガーシャ遺跡」の土器

シベリアアムール川ガーシャ遺跡から魚油などを貯蔵する土器が発見されましたが、 縄文時代の遺跡から、それと似ているが非常に薄い土器が発見

縄文時代の遺跡から「ガーシャ遺跡」の土器と似ているが、非常に薄い土器が発見されている。

その事実を更に裏付けるのが遺伝子研究だ。
最近、発掘された縄文人の人骨からミトコンドリアDNAを抽出し、それを世界各地の人々と比較する研究が行われた。


その結果、20数体の縄文人のミトコンドリアDNAの内、17体がシベリアのバイカル湖周辺に住むブリヤート人のDNA構造と同じことが判った。
その他の東南アジア人や朝鮮人や台湾人などと同じDNA構造は極めて少数だった。

縄文人の歯から採取したDNAは、その多くがシベリアのブリヤート人のDNAと一致しました

縄文人の歯から採取したDNAは、その多くがシベリアのブリヤート人のDNAと一致

さて、氷河期には海面は今より100mも低かったので、ユーラシア大陸と樺太(サハリン)・北海道は陸続きだった。
津軽海峡も今よりずっと狭まっていて、厳冬期には氷結した。
日本人はどこから来たのか

マンモスを追ってシベリアからやってきた日本人の祖先たちは、約2万年前に北海道に到達し、その後、南下し日本列島全体へと移り住んでいった。
シベリアの古都イルクーツク市の北西80kmに世界的に有名なマリタ遺跡があります。2万3000年前のマンモスハンターの遺跡です

氷河期が終わり、温暖化によって海面が上昇すると、日本海に対馬暖流が流れ込み、北海道もサハリンから切り離され、現在のような日本列島が形成された。
気候も温暖湿潤となり、日本列島には豊かで多彩な森が広がっていった。
この森の恵みの中で育まれたのが、縄文文化である。
縄文人は森を基盤とした集落に定住し、巨大建造物を作ったり海を越えて交易をしたりしながら、従来のイメージを超える"森の文化"を築き上げていった。
1
万年にわたって続いた縄文時代の繁栄。



縄文時代の一定期間において南方では別の文化も存在していた。
近年、鹿児島の上野原遺跡など縄文時代はじめ頃の遺跡が、南九州の厚い火山灰の下から次々と見つかっている。
発掘される土器には「縄文」ではなく「貝殻文様」が描かれていて、海との関わりを伺うことができる。


また、沖縄で見つかった18,00016,000年前の「港川人」の骨は、インドネシアの古代人である「ワジャク人」に形態的に似ている。


これらの事実から、太古、氷河期に東南アジア付近にあった幻の大陸「スンダランド」などから、黒潮に乗って海を越える技術を身につけた海洋民たちが、アジア南方の文化を南九州にもたらしていた事実が判った。
ただ、彼らは「鬼界カルデラ」の大噴火で壊滅的状態に陥った。


「スンダランド」などから、黒潮に乗って海を越える技術を身につけた海洋民が渡来

縄文時代が終わる頃、大陸から縄文人とは姿形がまったく違う人たちがかつてない規模で日本列島に渡来してきた。

当時の支那大陸は「春秋戦国」とよばれる戦乱の時代。
戦火を逃れた人たちなどが、安住の地を求めてやって来たと考えられる。

ちなみに、揚子江河口の浙江省辺りの漁労民は潮の流れのせいで現在でも日本に時々流されて来る。
彼らはシベリアから来た日本列島先住民より体が大きく、一気に列島を北上し、濃尾平野辺りで拮抗した。
渡来系の人々と先住民である縄文系の人々は、敵対したり共存しながら次第に融合し劇的に混血し、今の日本人に至っている。


それでも、現在の殆どの日本人に最も濃く残っている遺伝子は、土着系(シベリアから来た縄文人)と同じなのだ。

今の日本人は大半を占めるシベリア系の遺伝子基盤にシナ大陸中南部系を追加しただけで90%を占める。
残りの10%は東南アジア系等のさまざまなDNAで、今の朝鮮半島人のDNAと似たものは僅かに5%程度。


日本人と朝鮮人は別人種
血液型Gm遺伝子の分布図
日本人(沖縄県人やアイヌ人も含む)やブリアート人は緑色より黄色が多いが、支那人や朝鮮人は緑色より黄色が少ない。


現在の殆どの日本人(沖縄県人やアイヌ人も含む)に最も濃く残っている遺伝子は、土着系(シベリアから来た縄文人)と同じである。
殆どの日本人は、ブリヤート人と同じ祖先を持つ。


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【人種学】日本人と朝鮮人は別人種(2)
NHKスペシャル『日本人はるかな旅――私たちはどこからきたの』
テレ朝「キャノンスペシャル」『描かれた記憶〜人類の物語は一人の母から始まった〜』


NHKスペシャル『日本人はるかな旅――私たちはどこからきたの』2001819日〜129日(5回)での研究結果。

日本人のDNAサンプルを取ってルーツを求めて出た結論。
日本人のルーツはマンモスを追ってユーラシア大陸を横断した種族。
DNA
の約5割という痕跡を残してる。

寒さに対応するため、目は細く、省エネ型の小さな体になった。
日本列島をそれらの種族が制圧。


また、支那大陸沿岸の漁猟民も断続的に直接日本に入って来た。
特に揚子江河口の浙江省辺りの漁猟民は潮の流れのせいで現在でも日本に時々流されて来る。
ユーラシア系と支那中南部系だけで90%を構成。
残りの10%は東南アジア系などの様々なDNAで、今の朝鮮半島人のDNAと似たものは5%程度。

NHK日本人はるかな旅(1) マンモスハンター、シベリアからの旅立ち 北からきた

NHK日本人はるかな旅〈3〉海が育てた森の王国


テレ朝「キャノンスペシャル」2003621

『描かれた記憶〜人類の物語は一人の母から始まった〜』によると、最新のミトコンドリアDNA科学に基づく日本人のルーツは、大きく9つのグループに分けられ、日本人の約95%はそのいずれかに属する。
(世界の母親は35人だったとされている。日本人はそのうちの9人の母親で95%を占める。)

【グループ名】誕生地      誕生した時期   日本人に占める割合 

【D】バイカル湖西部        6万年前誕生     34%
【M7】支那中南部(揚子江流域)4万年前誕生     15%
【B】支那南部            6万年前誕生     15%
【G】シベリア東部          3万年前誕生      7.5%
【A】バイカル湖付近        2〜3万年前誕生   6%
【F】東南アジア           4〜5万年前誕生    5%
【M9】ヒマラヤ・チベット      4万年前誕生      3.4%
【CZ】北東アジア(満州北部)   3〜4万年前誕生   3.2%
【N9】支那南部           2〜3万年前誕生   7%
【その他】 3.9%


・解説

【D】アジア最古で、中央・東アジア最大。一部はアメリカ大陸へ。長寿で寒さに強い。
【M7】北海道から沖縄まで古くから日本にいた「原日本人」グループで、縄文人の一つのルーツ。
【B】環太平洋に広く分布。
【G】アイヌ人にも多い。朝鮮半島、支那、中央アジアにも分布。
【A】ベーリング海を渡り、北米先住民の祖先となった。寒冷地に適応。
【F】東南アジア最大。痩せた体型。
【M9】中央・東アジアに分布。
【CZ】北欧から南米にかけて広く分布。支那中部で誕生した【M8a】グループが合流。
【N9】縄文以降の比較的新しく渡って来たいわゆる「渡来人グループ」。朝鮮半島などを経由して来た集団だが、弥生人が全てこのグループではない。
【その他】秋田県を中心に白人と同じグループなどがある。



朝鮮人に関してはよく知らないが、おそらく【G】【F】【M9】【CZ】【N9】などの比率が高いと想像する。
朝鮮半島に最初に入った「ワイ(カイ)族」や「貊(ぱく)族」と呼ばれる北方モンゴロイドは、南方から来たアジア人とも交流しながら、ほぼ半島全体に拡がったものと思われる。
「ワイ族」や「ぱく族」の正体は不明だが、他人種と比べて感情の起伏が少ないとされるモンゴロイドの中で朝鮮人が例外であることや、他の北方モンゴロイドに比べてエラの張った者が多いことや、北方モンゴロイドは人類の中では新しい人種で脳の体積も大きいのに、長い歴史の中で一度も大きな繁栄を築いた事がないことに影響を及ぼしていると思われる。


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【人種学】日本人と朝鮮人は別人種(5)
日本人の遺伝子は特殊タイプ
日本人(沖縄人、アイヌ人、縄文人を含む)は世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種
韓国人は赤の他人と結論


日本人特有の遺伝子とは?

島国であり人の出入りが少なかった日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種である。
日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種

日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種
日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種



日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ。東アジアでも孤立したD系統を持つ日本人の異質さが際立つ

日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ
東アジアでも孤立したD系統を持つ日本人の異質さが際立つ



日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名である。世界的にもチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっているが、他の世界のどこにもほとんど存在しない。さらに日本のすぐ近くの朝鮮半島や中国人が南方系O系統であり、孤立したD系統を持つ日本人の異質さが際立って見える。

またこのD系統は、アジア人種よりも地中海沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間であり、Y遺伝子の中でも非常に古い系統である。

東アジアの地域全体には南方系O系統が広く分布し、島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったと考えられる。

D2
系統はアイヌ人88%、沖縄人56%、本土日本4256%(参考までチベット33%)で、韓国ほぼ0%である。
アイヌには南方系O系統は無く、完全なD系統であり、本土日本人と沖縄人には南方系のOが混ざっている。それでも本土日本人のD系統は半数以上である。

つまり事実上アイヌと本土日本人は大差がなく、アイヌに南方系を足したのが本土日本人となる。

結論として日本人は基本的に共通して、アイヌ人〜本土日本人〜沖縄人までD系統(北方古モンゴロイド)がベースになっており、日本人3集団が持つD系統を持たない
韓国人は赤の他人と結論できる。

日本D系統の祖、縄文人
日本D系統の祖、縄文人


日本人の大部分を構成するY遺伝子D系統は縄文人特有の遺伝子である事が判明している。縄文人は北方古モンゴロイドに属しており、古モンゴロイドとは白人種から枝分かれしたばかりの古い黄色人種の事である。まだ寒冷地に対応していない為、人類学的には白人種との中間とされている。

古モンゴロイドは殆どが絶滅したが、海に守られている日本や山岳のチベットに残った。これがD系統遺伝子としても反映されている。
日本人は世界でも数少ないD系統を引き継ぐ人種であると同時に、数少ない古モンゴロイドの末裔である。

日本人は韓国人よりも二重瞼が多く立体的な容姿が多いが、南方系の遺伝子とは全く関係は無く、日本の原住民である北方古モンゴロイドの縄文人の血を継いでいるからである。
縄文人が北方系だという証拠として、彼らの直系の末裔であるアイヌ人が純粋D系統であるからである。

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縄文人と弥生人の顔の比較

縄文人と弥生人の比較
縄文人と弥生人

●関連記事

【日本人と朝鮮人は別人種】

【人種学】日本人と朝鮮人は別人種@
『マリタ遺跡』→嶋木遺跡、柏台遺跡。ブリヤート人→縄文人→大半の日本人に濃く残っている
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http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3392.html
【人種学】日本人と朝鮮人は別人種A
NHKスペシャル『日本人はるかな旅――私たちはどこからきたの』、テレ朝「キャノンスペシャル」『描かれた記憶〜人類の物語は一人の母から始まった〜』
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【人種学】日本人と朝鮮人は別人種B
Gm遺伝子から探る日本人の起源はシベリアのバイカル湖畔
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「衝撃報告 韓国の子供の10人に3人は精神障害者」、火病、対人関係障害←【人種学】日本人と朝鮮人は別人種C裏付け
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【人種学】日本人と朝鮮人は別人種D
日本人の遺伝子は特殊タイプ・日本人は世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種・韓国人は赤の他人と結論
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26584569.html
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-2499.html
渡来人を朝鮮人と捏造報道!
総合研究大学院大の論文は「日本列島人の特異性」「大陸からの渡来人」なのに「朝鮮半島から渡ってきた弥生人」と虚偽配信
韓国メディアも誤報を大々的に報道!
日本人と朝鮮人は別人種
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4846.html



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