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 ◎明治編
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  (以下、大正編に続きます) 
 
 

◆明治時代の増改築

 料亭菜香亭は明治20年(1887)の洋食堂新築<「洋食堂オープン」参照>の後、明治時代は明治26年(1893)<1>と明治34年(1901)<2>と明治36年(1903)<3>に増築しています。
 それだけ繁昌していたというのがうかがえます。


 これは昭和6年(1931)発行の菜香亭の絵ハガキです(料亭菜香亭所蔵)。門と玄関は明治34年に建てたときのものです。


 同じく昭和6年の料亭菜香亭の絵はがきより(料亭菜香亭所蔵)。
 明治34年に新築した新館2階の広間です。
 神前結婚式の飾りつけを撮影したものです。


 その新館の外観です。(料亭菜香亭所蔵写真より)
 昭和10年に建て替えたときに比べ、半分の間取りしかないことがうかがえます。



【注】
<1>明治26年(1893)の増築

<ⅰ>明治26年の増築図全体です(大正15年頃料亭主人作成絵図より)。
 八坂神社参道の左側にある創業当初の建物から料亭機能を、明治20年に新築した洋食堂に集約する形で増築されています。


<ⅱ>参道の右側の拡大図です。
 洋食堂1階和室に24畳の部屋と、さらに24畳の部屋を増築しています。また、土間を拡張して調理場を左へ動かしています。


<ⅲ>1階はぶちぬくと76畳の広さがとれます。
 明治29年の井上馨の還暦祝いや、明治32年の伊藤博文の演説会は、この広さでおこなわれました。


<ⅳ>現在、大広間中の間の天井を眺めると、ガラス越しに明治26年の梁をご覧いただけます。チョウナで削った跡があり、江戸時代の職人がまだがんばっていたことがわかります。




<2>明治34年(1901)の増築

<ⅰ>明治34年増築全体図
 明治32年に2代目主人鶴蔵が亡くなっており、ここから3代目主人泰一の仕事です。
 このときの改築で大きく姿を変え、のちの形の基本ができました。
 下記全体図(大正15年頃料亭主人作成絵図より)をご覧のとおり、左端に八坂神社参道が移動しています。
 創業当初の建物を取り壊し、その部分を参道にあて、元の参道の地を取りこむことで分断していた土地を一つにまとめています。
 さらにこれまでの建物の左側に、つながる形で新館を増築しています。


<ⅱ>新館拡大図1階
 新館の為の玄関が作られています。
 1階の部屋は四部屋に区切られています。
 また、料理場も拡充していることがわかります。



<ⅲ>新館拡大図2階
 2階はぶちぬくと48畳の広さがとれるようになっています。
 また図の下部の部屋は、後の使い方から考えて、従業員の居住部ではないかと推測されます。



<3>明治36年(1903)の増築

<ⅰ>明治36年増築図全体(大正15年頃料亭主人作成絵図より)
 このときは主として周辺部に小さな建物を増築しています。



<ⅱ>明治36年増築図拡大
 本館では26畳の部屋を継ぎ足しています。
 すべてぶちぬくと100畳の部屋となります。
 また庭に木を植えており、現在の庭の基本がこの頃にできたのではないかと推測されます。



<ⅲ>大広間上の間の天井に、明治36年の梁が見られるようになっています。梁がのこぎりで引いている跡がみてとれます。







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