山口市菜香亭 トップページ サイトマップ
 
 ◎明治編
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  (以下、大正編に続きます) 
 
 
 
 
 
 

◆料亭命名は井上馨

 料亭菜香亭の名前は井上馨<1>の命名によるものです。
 その証拠が下画像の扁額です。
 「菜香亭 借用齊幸之語音而与亭名(さいこうてい さいこうのごおんをしゃくようし、しこうして、ていめいにあたえる) 世外」
 齊藤幸兵衛の齊・幸の語音を借用して、亭の名に与えた。ということです。
 齊→菜、幸→香、と音が同じ漢字をあてて「菜香亭」とされました。
 菜は料理の意で、香は井上馨の馨からとられました。<2>


 

  この扁額は、大広間の入り口に掲げています。


 
 命名の書は、明治17年に来亭されたときに揮毫されたものとおもわれます。
 当時の菜香亭の様子が地元の新聞に紹介されていましたので紹介します。
「菜香亭の名は参議井上公が名づけられたもので、料亭主人斎藤幸兵衛の氏名を取られた。
 その額面は公の御筆によるもので、良くできた話であるが、この頃表装中にて見ることができない。
 その他貴顕の御筆がとても多い。
 中でも参議山県公の豁如の額は一層勝れて見事である。
 この亭は山口市中第一の料理茶屋で、これまで勅仕株はいうまでもなくすべて貴顕の御方が御下向されたときはつねに御賄いを仰せ付けられている。中には塩梅なり、器物なり、大阪以西には稀であるなどと話す人もあり、また山口県の八百善などと評する人もいて、高く評価されれば、亭主は大喜びで、ますます勉強し塩梅と器物に気を付け、かなり勘定をやすくするので、毎日座敷が詰まないことはないと聞いた。
 私のように麦飯に香物の下司口には、塩梅の良し悪しはわからないが、酒が不思議とよく飲めるのは塩梅が良いということだろうか。
 その塩梅よりなお感心すべきは、この亭の掟として、婦女子を宿泊させないことである。
 これが菜香の菜香たる所以、すなわち今日繁昌する原因である。私はいまだ他の料理茶屋に行っていないので山口はみなこのように料理茶屋は一切婦女子に宿を借さぬ風かも知れない。しかし世間に善哉の行燈を掲げて饅頭を売るの例多ければ、おそらく菜香亭のようなものは山口でも珍しいだろう。 」
 

  



【注】
<1> 
 井上馨は、天保6年(1836)湯田村字高田に生まれました。生家跡はのち寄付されて現在、井上公園となっています。
 山口講習堂(山口大学前身)に学んだあと、萩明倫館に入学。
 安政4年(1857)参勤交代に従い、江戸へ。そこで蘭学を修業して頭角を現し、藩主小姓役に抜擢。
  文久2年(1862)、海軍研究のため英学修業の命を受けました。
  文久3年(1863) 5月、長州ファイブの一人として英国留学の為、横浜を出航。
 元治元年(1864) 6月24日、藩に攘夷中止を求めるため急遽帰国して山口の十朋亭に宿泊。しかし聞き入れられず下関戦争が開戦し、長州藩は敗北。井上は四ヶ国艦隊との講和会議に出席し、その後、出世して藩政府の一員となりました。
 同年9月袖解橋で襲われ瀕死の重傷を負うも、翌年1月鴻城隊総督に就任して、元治の内訌で勝利に貢献しました。
 その後は第二次長州征伐に備えて長崎で武器を購入する役目を果たしたり、四境戦争で戦ったりと、抗幕に活躍しました。
 慶応3年(1867)末、藩の命で上京し、王政復古に尽力。
 明治維新後は新政府の参与兼外国事務掛、長崎府判事、造幣局知事を歴任し、新たな国家づくりに貢献しました。
 岩倉使節団外遊中は留守政府の大蔵省のトップとして改革を推進。
 明治6年(1873)下野したあとは実業界に転身。
 明治9年~11年欧米視察。帰国後、再び政府に入り参議兼工部卿に就任。
 翌明治12年(1879)外務卿に転任。条約改正のため、欧化政策を推進しました。
 鹿鳴館は明治16年(1883)7月に落成したもので、料亭菜香亭の名を命名されたときは、時は世にいう鹿鳴館時代のときでした。

<2> 
明治17年8月4日付防長新聞第八号所載の「竹葉居士記す鴻城記事」の抜粋
『菜香亭の名は参議井上公のなづけたまいし由にて、主人斎藤幸兵衛の氏名を取られしものなり。
 其の額面は公の御筆にて、余程よく出来たる話なれど、この頃表装中にて見ることを得ず。
 その他貴顕の御筆甚だ多し。
 中にも参議山県公の豁如の額は一層勝れて見事なり。
 此亭は山口市中第一の料理茶屋にして是迄勅仕株は申迄もなく総て貴顕の御方が御下向なりし時は毎に御賄を仰せ付けられしが、中には塩梅なり、器物なり、大阪以西には稀なり抔噂せられし御方もあれば、又山口県の八百善抔評せられし御方もありて最と御賞感ありたれば、亭主は大喜びにて益勉強し塩梅と器物に注意け可成勘定を廉くするが故に毎日座敷の詰まぬ事なしと聞く。
 居士が如き麦飯に香物の下司口には塩梅の善悪は分らざれども酒の不思議に好下るは是ぞ塩梅の善きと云ふものならんか。
 其の塩梅より尚賞感すべきは此の亭の掟として婦女子を宿泊せざる事なり。
 是が菜香の菜香たる所以、即ち今日の繁昌をいたす原因なりといへど、居士は未だ他の料理茶屋に至らざれば山口は皆此通り料理茶屋は一切婦女子に宿を借ぬ風かも知るべからず、併し世間に善哉の行燈を掲げて饅頭を売るの例多ければ恐く菜香亭如きは山口にも稀なるべし。 』
(※一部旧漢字を新漢字又はひらがなに置き換えました)


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