山口市菜香亭 トップページ サイトマップ
 

【紹介】
 山口市菜香亭の隣の森は、中国山地から山口盆地につきでている七尾山の裾です。端に今八幡宮、その手前に野田神社・豊栄神社が建立されています。

【みどころ】
 今八幡宮は山口の町の鎮守様です。室町時代からの社殿が残っています。
 野田神社は幕末の名君・毛利敬親を祀った神社、豊栄神社は戦国時代の名君・毛利元就を祀った神社です。
 ここらは、山口の町の歴史における聖地です。


【道順】
 駐車場を出たら、左に曲がってください。
 ※明赤線は車での移動路。
  暗赤線は歩行者の移動路です。

【みどころ】
 前の道は、御幸(みゆき)小路と呼ばれています。
 山口市菜香亭が建つ場所は、明治時代に旧藩主の野田御殿が建てられた場所です。そのときに竪小路からの道が作られました。野田御殿には明治天皇が宿泊された事があり、それを機会に御幸小路と命名されたようです。 



【道順】
 駐車場を出てすぐ左手に、もうあります。
 山口市菜香亭から歩いて2分です。

【みどころ】
 車道のカーブの先には、今八幡宮参道入口や陸上自衛隊山口駐屯地(防長尚武館)、サビエル記念公園、仁壁神社、善生寺庭園などがあります。
 


【道順】
 最初の鳥居をくぐったら野田神社・豊栄神社の参拝者用駐車場です。トイレもあります。
 右へ行けば今八幡宮です。
 正面は山口県神社庁です。
 左へ行けば野田神社・豊栄神社です。
 左へ進みます。

【みどころ】
 この石造鳥居は大正4年11月10日建立。この日、野田神社が別格官幣社になりました。
 別格官幣社は、国家に功績を挙げた人を祭神として祀る官社のために明治に創設された制度で、全国で28社あり、終戦後の社格廃止まで続きました。
 野田神社と豊栄神社と、別格官幣社が並んであるのは全国でここだけでした。 


【道順】
  参道の階段をあがってください。
 

【みどころ】
 鬱蒼とした杉や檜が参道にそびえています。
 木陰で夏でも涼しい場所です。
 地面には苔もはえています。
 とても気持ちの良い場所です。


 【道順】
 参道をすすみます。
 右手に社務所、左手に茶室がありますが、ふだんは閉じられています。
 

【みどころ】
 
参道の途中に、大正4年11月10日に建立された石碑「別格官幣社野田神社」と、明治22年12月1日に義済堂によって建立された石碑「奉献檜樹二百株」が並んで建っています。
 明治22年は1889年。境内の檜は100年以上たっている大木です。


【道順】
 参道わきには、絵馬堂と手水鉢があります。
 ぜひ立ち寄ってください。

【みどころ】
 
画像の石造鳥居は、大正5年5月奉納。四境戦争(第二次長州征伐)のちょうど40年後にあたります。
 この鳥居は、山縣有朋、杉孫七郎、井上勝之助(馨の後継)、有地品之允、寺内正毅、三浦梧楼、伊藤博邦(博文の後継)、木戸孝正(孝允の後継)によるものです。


 【みどころ】
 
絵馬堂は野外美術館の様相です。
 これまで奉納された額が飾られています。
 
 

 【みどころ】
 
手水鉢の水は天然の地下水です。
 国道9号の七尾山トンネルの向こう側から地下を流れてきています。
 野田神社・豊栄神社ができるまえは、今八幡宮まで流れていた水です。


【紹介】
 いよいよ神社境内です。
 野田神社の祭神は、旧藩主毛利敬親公とその嗣子元徳公です。
 明治4年に亡くなった敬親公の霊を同6年豊栄神社境内別殿に祀り、同9年に地名から野田神社と改称、 同19年今の社殿を造営しました。
 また、明治29年元徳公が亡くなり、同31年に合祀されました。

【みどころ】
 毛利敬親公は、幕末の長州藩を舵取りした名君として、最近は再評価の機運が高まって来ています。
 長州藩の幕末は天保の大一揆から始まるといわれており、その直後の藩の改革から版籍奉還まで、激動の時代を舞台に出ずっぱりだった唯一の人物で、そのことからも相当の器量を証明しています。


【みどころ】
 
すぐにある建物は拝殿です。
 ここで参拝します。
 弊殿は奥の建物で、拝殿とは離れています。
 弊殿は回廊が巡らされています。
 回廊から先は一般の方は入ることはできません。

 【みどころ】
 境内に入って参拝すると、正面から、パワースポットの気が吹いてくるような感じがしませんか。
 三重大学名誉教授目崎茂和氏によると、ここが山口盆地の一番のパワースポットで、野田神社がここに建立されたのもそういう理由によるものではないかというお話です。


【道順】
 野田神社の隣に豊栄神社があります。
 右手の方向へ進んで、参詣ください。

【みどころ】
 豊栄神社は毛利元就公を祭神としています。
 明治2年に萩から山口の多賀神社境内に遷座されました。この年に朝廷から豊栄の神号を賜りました。明治4年山口市野田七尾山麓の地を卜して現社殿を造営し、遷座しました。
 1997年に、NHK大河ドラマ「毛利元就」が放映されたときは多くの観光客が参詣されました。「人生には三つの坂がある。上り坂と下り坂、そして『まさか』だ」はこの番組の台詞です。 


【道順】
 豊栄神社から下ります。
 

【みどころ】
 構造は野田神社と一緒です。
 並んで同じスタイルの神社が建っているというのは大変珍しいと思います。
 


【道順】
 こちらでは石橋を渡ります。

【みどころ】
 法生池です。
 その向こう側の屋根の建物が絵馬堂です。
 


【道順】
 画像手前に下って来ます。
 ここだけふりかえっての撮影です。

【みどころ】
 豊栄神社が別格官幣社になったのは明治15年ですが、この石碑自体は大正4年11月10日建立。野田神社が別格官幣社になった日であり、大正天皇の即位の礼があった日でもあり、即位記念に建立したと石碑の裏側に彫られています。
 


【道順】
 参道をすすみます。
 右手に社務所、左手に山口県神社庁があります。

【みどころ】
 杉並木が心地よい参道です。
 


【道順】
 斜道か階段を下ります。
 画像左手の建物はトイレです。
 正面の鳥居が、入口です。
 トイレの先を左折して進みます。

【みどころ】
 駐車する際は、画像のような停め方をいつもされてます。
 


【道順】
 野田神社能楽堂とトイレの間を左にすすみます。
 

【みどころ】
 駐車場にあるこの建物は、野田神社能楽堂です。明治維新70年記念事業として昭和11年に毛利元昭公により建立され寄附されました。本格的な能楽堂野外にあるのは全国的にも珍しいです。
 当初の建築場所は、現在地より西の野田学園運動場内でしたが、平成3年に現在地に解体せず引き移す形で移築され、補修が行われました。 


【道順】
 階段を上っていきます。
 丘の頂上に、今八幡宮があります。

【みどころ】
 このあたりに枯れ井戸があります。
 野田神社・豊栄神社ができるまでは水が湧き出ていたそうです。 


【紹介】
 今八幡宮は、創建は不明ですが、鎌倉時代にはありました。
 文明3年(1471)大内政弘が山口の鎮守と定めました。
 社殿は、政弘の子義興が1503年に建立した重要文化財です。
 画像左から、楼門・拝殿・本殿と3つの建物がつながっています。楼門は山口独特の楼拝殿形式です。
 毎年10月に例祭が行われています。

【みどころ】
 室町時代に大内氏が参詣するときは、拝殿には大内氏当主と神主しか入れませんでした。楼門には知行国の守護代級の武将しか入れず、この境内にはそれにつぐ有力武将しか入れず、多くは丘の下で待っていたとおもわれます。
 今では、神主に依頼すれば、大内氏当主しか入れなかった拝殿にも入れます。
 詳しいことは、今八幡宮のHPをご覧ください。


【道順】
 こちらが正面です。
 さきほどは本殿うしろからあがってきました。

【みどころ】
 正面は楼門です。本来は門にすぎない楼門にも板敷して、上がって拝めるようにしています。
 山口独特と言われる楼拝殿形式の建物です。
 


【道順】
 ふりかえれば参道の階段です。
 この階段を下って、右にすすめば山口市菜香亭に戻ることもできます。

【みどころ】
 下ってすぐ左にすすめば、陸上自衛隊山口駐屯地(防長尚武館)です。
 正面のまっすぐの道を、向かいの山裾まで行けば、室町時代の庭園がある善生寺があります。
 


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