山口市菜香亭 トップページ サイトマップ

【紹介】
 室町時代の華として開いた大内文化、その中心地が山口市菜香亭の近くにあります。大内氏の館跡(現龍福寺)、別邸築山館跡(現八坂神社)など、現在にその痕跡を伝えています。
 くわえてこの地域には、幕末志士の宿泊所十朋亭、明治の旧酒場(現山口ふるさと伝承総合センター)など、歴史を体感できる史跡施設が密集しています。

【みどころ】
 
龍福寺の本堂は重要文化財になっており、平成24年に室町時代当時の姿に復元されました。また、館跡から発掘された池泉庭園が平成23年に復元されています
 山口ふるさと伝承総合センターでは大内塗体験もできますし、十朋亭のある界隈には古民家を再生したお店が並んでいます。 

              
  
  

【道順】
 駐車場を出たら、右に曲がってください。

【みどころ】
 駐車場を出てすぐの道は、御幸(みゆき)小路と呼ばれています。
 明治18年に明治天皇が山口行幸のさいに通られた道です。
 山口市菜香亭の地は当時毛利家邸宅があり、明治天皇が宿泊されました(このときの部屋は常栄寺に移築されています)。



【道順】
 御幸小路をまっすぐ進んでください。
 自動車は次の信号交差点で左折します。
 歩行者はその手前で左折します。
 次で詳細を紹介しています。

【みどころ】
 御幸小路は、竪小路を越えると伊勢大路と名を変え、鴻の峰山腹の山口大神宮まで続いています。
(※現在は、国道9号及び県庁前バス停で途中が寸断されています)


  
  
◎歩いて行くなら【道順】 ◎自動車で行くなら【道順】
  
  

 御幸小路の途中で、左に入る細い道があります。
 次の信号機まで他に左折する道はありませんので、すぐに分かります。
 

 次の信号機を左折します。御幸小路と交差している路を竪小路(たてこうじ)といいます。大内氏時代のメインストリートで、江戸時代の殿様の参勤道「萩往還」の一部です。
 画像を横切っているのが御幸小路です。画像では、左から来て上へ曲がるようになります。



  
  

 この道をすすんでください。
 この細い道は、神様の通り道です。八坂神社と山とをつないでいます。ここを通って神様が本殿に来られるそうです。

 左の緑は八坂神社境内です。
 ここの角を左に曲がります。
 



  
  

 八坂神社社殿の裏から表へまわる形になります。

 築山小路からは、河村写真館と料亭菜香亭跡地のあいだの石鳥居をくぐって入ります。

 朱塗りの本殿が重要文化財です。1520年に大内義興が建立しました。
 画像手前の扇形の台地は、毎年7月20日夜の山口祇園祭行幸祭のときに、県指定民俗文化財「鷺の舞」が奉納される場所です。鷺の舞は中世からつづく舞です。

  この鳥居の右側、旧料亭菜香亭の駐車場跡地(画像左端白壁手前)からは、発掘調査で、築山館の入口や門に関わる施設の遺構がでてきました。
 ここから入るのが室町時代気分を誘うかもしれません。



  
  

 八坂神社は、明治元年に現在の地に移転しました。
 夏の山口祇園祭の神社として有名です。
 それまでは、現在の山口大神宮の社地にずっとあったのですが、幕末に殿様の居館がその隣にでき、祇園祭の神輿が殿様がいる館の前を通るのは物騒だと言うことで、こちらに移されました。

 八坂神社境内です。(画像左奥から進入)
 車でご見学の方は、ここに御停めください。
 



 

【紹介】
 八坂神社は祇園社ともいい、応安2年(1369)、大内弘世が京都の祇園感神院(八坂神社)より勧請しました。
 大内弘世は、山口の町を開府した人物で、京都を模して山口の町を作りました。八坂神社の勧請もその一環でした。

【みどころ】
 
本殿には、13個の変化に富んだ蛙股があります。この八坂神社の蛙股は形が優美であることや、他に類例の少ない珍しい図柄、花や果物、雲などが彫刻されているということで注目されています。
 画像は拝殿で、江戸時代の建物です。


【道順】
 八坂神社の社殿に向かって左手に、さまざまな史跡があります。
 ぜひ立ち寄ってみて下さい。

【みどころ】
「箏曲組歌発祥之地」の石碑、盃状穴(はいじょうけつ)が刻まれた巨石、築山神社、宗祇句碑などがあります。
 下記で紹介します。


 昭和40年建立「箏曲組歌発祥之地」の石碑です。書は佐藤栄作総理大臣です。
 組歌は筝曲の根本形式です。室町時代、大内義隆のもとに下向してきていた7人の若い殿上人が、築山館での詩歌管弦の遊びのさい、一首ずつ歌を作り, つぎつぎに箏で弾き、歌われました。それが初めとされています。
 毎年秋に、筝曲組歌を再現した会が開催されています。
 

 盃状穴(はいじょうけつ)が刻まれた巨石があります。
 盃状穴は子孫繁栄や死者の蘇生を願う意味の刻印です。西洋や朝鮮に古くからみれます。
 日本では昭和55年に発掘調査された山口市の神田山石棺群の墓石に刻まれた盃状穴が最初の発見です。その後、全国各地からじつはこれも盃状穴だったという報告が相次ぎ、縄文時代から造られていたことがわかりました。

 築山神社です。大内義隆大内氏歴代などを祀る神社です。
 拝殿・本殿は寛保2年(1742)建立されたものです。もとは興隆寺の東照宮社殿(徳川家康を祀る)だったもので、明治2年に移転し、合祀されました。
 平成24年からここで大内氏歴代御神霊なごめ祭りが開催されています。 
  

 宗祇がここで詠んだ句「池は海 夏は深山の 梢かな」の石碑です。
 現在の八坂神社境内は、大内氏がお客をもてなす築山館があった場所です。室町時代最高の連歌師・宗祇も訪れ、ここで上記の句を詠んだとされています。
 ここのどこかに歌で詠まれた池があるにちがいないと発掘が続いていますが、いまだ見つかっていません。 
   


【道順】
 神社前の階段を下りて、参道をすすみます。
 途中に手水鉢もあります。

【みどころ】
 この広い境内が、かつて築山館があった場所です。
 画像左手にはかつて料亭菜香亭があった場所です。


 

【道順】
 参道をまっすぐすすみます。
 
 途中で、左手に、下記の文化財が建ってます。

 【みどころ】
 赤い鳥居は大正11年6月、正六位勲六等熊野九郎・勲五等蔵田精祐によって奉納されたもの。
 八坂神社の参道は、桜並木が両側にあり、春はとてもきれいです。


【紹介】
 この建物は、明治20年頃に写真館として建てられたものです。近年までずっと、所有者は代わっても写真館として使われてきました。
 明治の文豪・国木田独歩も若かりし頃、ここで撮影されています
 市民生活の近代化を象徴する貴重な建造物として県指定文化財になっています。

【みどころ】
 この建物にあった写真館は、今は閉業して中には入れません。
 外観を見るだけですが、120年以上前からつづく景色です。
 外観は擬洋風で、構造は和小屋という当時の洋風建築の特徴的な造りです。
 背景にして記念撮影なぞいかがでしょう。


【道順】
 赤い鳥居をくぐれば竪小路です。
 ここを左折します。
 正面の駐車場は、八坂神社見学用観光バス駐車場です。バスの場合はこちらに駐車ください。

【みどころ】
 竪小路を横断した先の駐車場は、幕末に、奇兵隊などの諸隊の会議所が置かれた場所です。
 また、竪小路と交差する道を行けば、一の坂川にでます。


【道順】
 明赤線・暗赤線が右折しているところが、山口ふるさと伝承総合センターです。

【みどころ】
 まっすぐ見通しの良いこの道は竪小路(たてこうじ)といいます。大内氏の時代に整備された道です。
 江戸時代は萩と防府を結ぶ萩往還として、藩主を始め、幕末の志士など多くの著名人がここを通りました。
 昔ながらの町屋がいまでも残っています。


【紹介】
 こちらが、山口ふるさと伝承総合センターです。駐車場があります。
 3つの建物で構成されていて、まなび館、たくみ館、みやび館があります。
 下記にて、館内を紹介します。

【みどころ】
 山口ふるさと伝承総合センターは、”たくみのまちづくり”を進めている施設で、伝統工芸の体験・学習・講座などを開催し、伝統産業の支援を行っています。
 ほたるの飼育も行っており、毎年6月初めにはほたる祭りを開催されています。


 まなび館と呼ばれている竪小路沿いの建物は、1886年(明治19年)に酒造商家(旧野村酒場)として建てられたものです。大きな梁が圧巻です。館内は伝統工芸「大内塗」「萩焼」の紹介コーナーにもなっています。 
  

 まなび館の一室で、平成22年4月より、大工道具が展示されています。すでに失われた日本の大工技術が一目でわかります。これだけ様々な種類があるのは大変珍しいです。 
  

 まなび館の庭には、大きな樽を伏せた形の「酒樽茶室」があります。大酒樽4樽分の良質材のみを使用し、戦後に造られたものです。大変ユニークです。 
  

 こちらの建物は、「みやび館」と呼ばれています。
 明治24年に建てられた美祢家(庄屋分家・国会議員)の旧宅を移築したものです。 
  

 たくみ館と呼ばれている建物の入り口には大内人形の立看板があり、顔を出して記念撮影できるようになっています。 
  

 たくみ館の館内には、さまざまな大内塗商品や手作り商品が販売されています。また、大内塗体験コーナーもこちらです。
   


【道順】
 自動車の方は、明赤線にしたがって、大内氏館跡見学駐車場へすすんでください。

 歩行者・自転車の方は、途中で寄り道しながらすすみますので、暗赤線をすすんでください。道を横断して左手にすすみます。

【みどころ】
 道沿いの和風建築が、「まなび館」(旧野村酒場)です。竪小路界隈ではもっとも昔ながらの風情を見せている場所はここかもしれません。ぜひここで記念撮影を。


【道順】
 伝承センターまえの歩行者用横断歩道を渡ると、史跡大内氏館跡外周に最短で行き着きます。
 丁字路になっていています。
 下記で丁字路から先を紹介します。

【みどころ】
 竪小路は大内氏館がもっとも大きかったときの外周に接しています。
 現在の大内氏館跡の外周は、大内氏館がもっとも小さかったときの外周であり、最も大きかった時の内側の区域の外周です。
 竪小路と、現在の大内氏館跡外周との間はもう大内氏ゾーンです。


【道順】
 大内氏館跡外周は土塀が復元されています。
 上画像は丁字路の左手を眺めたものです。
 先へ進むと、角に枯山水庭園があります。
 

【みどころ】
 この地から1500年年代中頃の門跡が見つかりました。屋敷の中の区画を仕切る内門と考えられ、平成17年に復元されました。「西門」といいます。
 ただし見つかったのは柱穴と柱を押さえる石と砂利敷きだけだったので、同時代の「洛中洛外図屏風」や江戸時代の書「匠明」を参考に、門が再現されました。 



【道順】
 大内氏館跡(龍福寺)の裏側にあたります。土塀が復元されています。
 ここまでが大内氏館跡の北側の限界ラインです。
 南側の館跡端の龍福寺山門までの距離を眺めてください。大内氏館がすごく広かったことがわかります。
 上画像手前、右に曲がって階段があります。右記に紹介している枯山水庭園の場所です。
 

【みどころ】
 1500年代前半に存在した枯山水庭園が発掘されました。そして珍しく、埋め戻すことなく露出形式で整備されました。
 柵の内側が庭を眺める建物の跡です。
 奥の立石が滝に、そこから手前にむけて水の流れに、見立てられています。
 室町時代の殿様が眺めた庭です。500年前の気分でご覧ください。 



【道順】
 上画像は、丁字路から右手を眺めたものです。
 こちらへ進んで、左折すれば龍福寺山門です。正面にみえる建物は、大殿地域交流センターです。
 画像手前にある手すりの部分が、右記で紹介している、発掘された排水溝の野外展示です。

【みどころ】
 発掘された石組の溝そのものが展示されています。
 排水溝であったと考えられています。
 1500年代前半に作られ、西門が作られる際に埋め戻されたようです。 




【道順】
 車で、山口ふるさと伝承総合センターを出た方は、竪小路に「龍福禅寺」という大きな看板(画像左端)を目安に左折して脇道に入り、まっすぐ進んでください。
 また、画像で白い車が停まっているところが、龍福寺・大内氏館跡の見学バス用駐車場です。

【みどころ】
 画像右側の建物の一部に、世界的哲学者西田幾多郎が若いころに下宿していた部屋があります。幾多郎は、短期間ですが、高校の先生として山口に赴任していました。


【道順】
 大内氏館跡外周と接します。
 右は、大殿地域交流センターです。
 突き当たりの未舗装の駐車場が、大内氏館跡見学者用駐車場です。
 歩行者の方は土塀にそってすすんでください。

【みどころ】
 こちらの土塀のなかほどが、大内氏館の南門があったとおもわれる場所です。
 また、画像右端の瓦屋根の下に、井戸があります。幕末、高杉晋作も飲んだろうといわれる井戸です。
 


【道順】
 龍福寺の山門があります。
 ここをくぐって参道をすすんでください。
 正面突き当たりに、龍福寺本堂があります。

【みどころ】
 龍福寺は建永元年(1206)に糸米に創建、享徳三年(1454)大内教弘が大内氏の祈願寺として再建、このときに瑞雲寺から龍福寺に名前をあらためます。大内義隆のときに後奈良天皇の勅願寺となりました。天文20年(1551)焼失。元亀3年(1572)毛利氏によって大内氏館跡に再興され、大内義隆の菩提寺としました。 


【紹介】
  現在の龍福寺本堂は、明治16年に、大内地区にあった興隆寺釈迦堂を移築したものです。江戸中期以来の本堂が明治14年に焼失したためです。
 興隆寺釈迦堂は文明11年(1479)か永正18年(1521)に建立されました。桁行5間・梁行5間の、当時ではかなり大きな建物で、大内氏の権勢がしのばれます。

【みどころ】
 本堂は檜皮葺(ひわだぶき)の屋根です。
 平成24年に、本堂修復工事にのさいに、外観を500年前当時の姿にできるだけ戻そうということで、それまでの瓦葺きから檜皮葺に変えられました。
 ほかに、蔀扉や、内陣と外陣の仕切りなど、当時の姿に戻されています。

 本堂左手に、龍福寺資料館があります。
 観覧料金は、大人200円・小学生150円です。
 開館時間は午前9時から午後5時まで。年中無休です。
 

 本堂右手に、本堂への参詣口があります。
 ご見学の方はこちらからお上がり下さい。
 

 本堂内部の外陣が自由に見学できます(法事など行われている時は不可)。観覧無料。
 復元された蔀戸が見事です。
 梁もとても大きく立派です。 

 本堂外壁の板は、古いのと新しいのと、混在して使われています。
 古い板は風雪で削られていたり、江戸時代の大工の落書きがあったりと、よく見たらとても興味深いものです。
 


【道順】
 龍福寺本堂から山門をむいて、左手に、大内氏時代の庭を復元した池泉庭園があります。

【みどころ】
 龍福寺の境内は春は梅、秋は銀杏の黄葉で有名です。
 また、4月8日には潅仏会大晦日には除夜の鐘つきで、市民が大勢訪れます。
 龍福寺境内は大内氏館跡でもあり、あらゆる機会に発掘調査が行われています。


【紹介】
 池泉庭園は、大内氏の庭を復元したものです。
 池に沿ってぐるりと一周できます。
 発掘が終了した後、復元庭園として活用が決まりました。
 池の周囲には、井戸跡、建屋跡、かまど跡などが点在しています。

【みどころ】
 この池泉庭園は、1500年前後に作られ、廃絶される1500年代中頃まで、2回の改修が行われました。
 ひょうたん形の池に、楕円形の中島、池縁は護岸石、東側から水を引いて、西側から排水。水深30cm。
 その形を、発掘された本物は埋め、その上に再現したものです。


【みどころ】
 池泉庭園の奥から龍福寺本堂を。
 ここにあった建て屋跡からの眺めです。
 こういう景色を500年前の人も見ていたことでしょう。
 池には蓮の花が咲くようになりました。

【みどころ】
 室町時代の庭園様式をいまに伝える貴重なものです。
 左画像を撮影した位置に、この庭を眺めるための小さな建屋があったようです。
 復元された庭は、どういう木が植えられていたか不明のため、ほとんど木が植えられていないですが、そこは空想力で500年前の景色をおもいうかべて眺めて下さい。


【道順】
 池泉庭園を見学したあとは、龍福寺の参道をすすみます。
 参道出口で交差している道が、大殿大路です。
 大殿大路を右折してすすんでください。

【みどころ】
 この参道は、秋に、紅葉のトンネルとなることで有名で、大勢の観光客が見に来られます。
 ぜひ秋にもお越しください。
 


【道順】
 古民家を改造した店が並ぶ通りに出ます。
 画像左側手前の建物は、服飾文化に関わる有限会社ナルナセバ、画像右手の木造家屋の手前側に、ほたる工房があります。

【みどころ】
 大殿大路は山陽道と津和野を結ぶ石州街道の一部でもあります。
 大内氏の時代からにぎわっていた道です。
 昔はもうちょっと道幅が大きかったのではないかとおもわれます。
 


【道順】
 さらにすすんで、画像右側手前に、オーダー家具工房「LB furniture(エルビーファニチャー)」。その左となりが、「大路Lobby(おおじろびー)」。
 画像左側の木造家屋がオーダーメイドブランド「アトリエa.p.r」。その右となりが、十朋亭。

【みどころ】
「LB furniture(エルビーファニチャー」は、週末のみの開店で、手作りの家具を販売されてます。
「アトリエa.p.r」は、オーダーメイドの服を製作販売されてます。
それぞれ店舗に商品が展示されてます。見ているだけでも楽しいです。


【紹介】
 「特定非営利活動法人 大路小路まち・ひとづくりネットワーク」が管理している「大路Lobby」は、休憩所であり、歴史紹介の場所であり、さまざまな催しでもつかわれている場所です。

【みどころ】
 大路ロビーは、大内氏館跡や十朋亭の説明、および季節ごとさまざま展示イベントをされています。
 また、観光客のためにお茶をサービスしています。
 足を休めて一服してください。

 


【紹介】
 十朋亭は、大路ロビーの斜め向かいにあります。
 火曜日休館。
 観覧無料です。
 幕末の歴史を物語る建物は、山口市内においてはごくわずかしか現存せず、そのうちの一つです。
 

【みどころ】
 
十朋亭は維新当時の息吹を伝える貴重な建物です。山口の商家・万代家の離れとして江戸時代に建てられました。昭和57年に山口市指定文化財に指定。
 下記にて詳しく紹介します。
(門口にたつ「維新史跡十朋亭」は昭和9年建立です。)

 十朋亭の展示室です。十朋亭を利用した伊藤博文、井上馨、久坂玄瑞らの、ここでの足跡などがパネルで紹介されています。

 左手の建物が展示室、右手の建物が十朋亭です。
 

 十朋亭の縁側から。
 掲げられている「十朋亭」という扁額は、命名した儒者・篠崎小竹の書。篠崎小竹(1781年〜1851年)は当時関西で最多の子弟を抱えた人気儒者。面倒見がよく、おおらかな人柄から関西の儒学界のボスでした。また、幕末のベストセラー「日本外史」を書いた頼山陽の庇護者兼友人として知られています。

 座敷は二間です。
 ここに、英国から帰国した伊藤博文と井上馨が滞在したのです。
 ほかにも、長州藩を救うために、多くの志士がここで会談しました。 



 これらの史跡を巡る人力車を運行しています。人力車の乗りながら史跡巡りはいかがでしょう。
 くわしいことは、こちらをご覧ください。 →菜香亭の人力車


 また、貸自転車も行っています。自転車ですいすいと史跡巡りはいかがでしょう。
 くわしいことは、ことらをご覧ください。 →菜香亭のレンタサイクル

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