◆季語に想う

 俳句の季語に「山笑う」とある。春を迎えると木々が芽吹き、花がほころび山容が明るくなることを笑うと表現したもので、江戸時代の臥遊録には「春山は淡冶(たんや)にして笑ふが如し」、「夏山は蒼翠(そうすい)にして滴る如し」、「秋山は明淨(めいじょう)にして粧(よそお)ふ如し」、「冬山は惨淡(さんたん)として眠る如し」とある。
 正岡子規は「ふるさとはどちらを見ても山笑う」と春の山を詠った。
 山口の春は鳳翩山から降りてくる。冬の間に時折り山頂を白くしていた鳳翩が、南からの暖かい陽をうけて下萌えの草色に山肌が変わる頃になると、兄弟山(おとどいやま)、鴻ノ峯、姫山、象頭山と一斉に笑いはじめる。
 里ざくら、山ざくら、そして山つつじと盆地をめぐる山々の春色に包まれた山口の春はまさにゆたかである。
 その時季にさきがけて、菜香亭の裏庭には遠くみちのくから移植された秋田フキが太い若芽をもたげる。
 かつて作家の久米正雄が、大正末期の婦人雑誌に山口菜香亭を舞台に一年間連載した小説「天と地と」の中で、旧陸軍42連隊の兵士たちと山口市民がサクラ色の風の吹く亀山公園での花見の宴を書き、大正ロマンに彩られ軍靴のひびきもおだやかだった時代の山口が全国版で浮き彫りにされた。
 いま秋田フキゆかりの秋田をはじめ東北各県はもとより、九州・沖縄からも菜香亭見学におとづれる人は多く、大広間にある明治元勲の扁額鑑賞だけでなく百五十畳敷の日本間をはじめとする明治・大正の名残りを秘めた木造建築に寄せる興趣は深いものがある。
 ともあれ、山口の町には中世からつづく歴史のあしあとが四季それぞれにつづられてゆく。


(平成20年1月31日発行第10号掲載)