◆冬座敷に思う

  涼風を入れる夏座敷という季題があるように、寒季なりの趣(おもむき)をもつ冬座敷もある。平安時代末期までの屋内は板ばりでそこに客用の茣蓙などの敷物を置き座敷と呼んでいた。
 司馬遼太郎の随想集「この国のかたち」の“室町の世”に次の記述がある。
『私どもは室町の子といえる。いま日本建築と呼んでいるものも、室町期にはじまる書院づくりから出ている。床の間を置き掛軸などをかけ明り窓から外光をとり入れ、襖で各室を区切る(中略)こんにちでいう華道や茶道というすばらしい文化もこの時代を源流としている。能狂言・謡曲も興りさらにいえば日本風の行儀作法、婚礼の儀式もこの時代から起った。私どもは室町幕府がさだめた武家礼式を原典にしている。(後略)』
 中世室町時代といえば山口では大内時代全盛期のいわゆる大内文化の華が開いた時期で瑠璃光寺の五重塔や築山御殿が造営された。
 いま、菜香亭の百畳敷大広間に入ると、床の間にある軸物から壁面の扁額まで凛烈な寒気と共に妙に透徹した空間を意識する気分になる。明治維新後からはじまり四世代にわたる亭歴には、きびしい政治的会合から和やかな庶民の集いまで、時代々々の人間像が畳表に心象風景として浮び上ってくる。
 明治維新に活躍、1863(文久3)年に伊藤博文らとイギリスへ留学した長州ファイヴのひとりで菜香亭の名付けの親でもある井上馨は、1896(明治29)年に菜香亭大広間で還暦の祝賀会を持ったがやはり一月の冬座敷であった。
 百畳敷を囲る長い廊下に立って明治製の硝子障子越に、鴻ノ峯から七尾山へとつづく山なみを眺めていると遠い歴史の空が近寄ってくる。


(平成21年2月25日発行第13号掲載)