◆『祇園』

 菜香亭の門札に「祇園・菜香亭」の文字がある。亭が移築される前の現在地より少し離れた八坂神社近くにあった周辺は、京都八坂神社のある東山地区を祇園と呼ぶように山口でも古くから「祇園」の地名で通った。
 祇園ということばはインドからの仏教語で無常院という仏堂を祇園精舎と称し、諸行無常の鐘の音と共に古事の所以となった。
 京都八坂神社の祇園会(ぎおんえ)は足利幕府の内乱で一時期中段したが、周防山口へ都落ちしていた足利義植(よしたね)が大内義興に伴われて入洛した以後の1513(永正7)年に再開されたこともあり山口祇園との因縁も深い。
 山口八坂神社は1369(慶安2)年に大内弘世が京都八坂神社の神霊を分祀して創建したもので、やはり祭礼は祇園会として伝承され奉納する鷺舞は山口の風物詩となっており近年京都でも山口の鷺舞を参照して祇園祭に復活させている。

  清水(きよみず)へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢う人みなうつくしき   与謝野晶子

  かにかくに祇園はこひし寝るときも 枕の下を水の流れる   吉井 勇

 浪漫派の歌人ふたりにいとしまれたように祇園には叙情性があって祇園ばやし、祇園おどり、祇園狂(ぐる)いなど京都文化の温床となってきた。
 周防大島出身の歴史家奈良本達也氏は京都学の中で「京都人は八坂神社などと言わずに祇園さんと呼んでいる」と述べているが山口でも年配の人は祇園さんと言う。
 菜香亭の現在地は祇園から天花(てんげ)へと地名が移った。


(平成21年8月12日発行第14号掲載)