◆写真家林忠彦〜菜香亭の大屋根

 郷土出身の写真家故林忠彦氏に”若き修羅たちの里―長州路”(講談社版)の超大型写真集がある。一年余に及ぶ写真取材に万感の想いをかけた故郷紀行作品で遺作となった。
 内容は岩国市から下関市まで周防・長門の歴史的残映をカメラに収めたもので、世界的なカメラマンが捉えた視線の鋭さが絶賛されている。
 取材の時山口市内の撮影現場に私は以前から徳山の友人であった関係で同行した。
 山口周辺で撮った所は瑠璃光寺五重塔、サビエル記念聖堂、大村神社、杖坂峠、山口・萩往還、藩庁大手門それに当時まだ残っていた六軒茶屋の廃屋などであった。
 取材のつづく中の一日は、菜香亭で半日を過すことにした。残暑のきびしい年の9月だった。佐藤栄作氏の扁額のある二階座敷で早い夕食となった。林氏はウイスキーの水割りをかたむけながら窓を開けた。その窓いっぱいに夕陽を浴びた一五八畳敷大広間のある棟の大屋根は古い甍がひろがった。「おおすごい、歴史の積み重ねだ」と林氏はあの大きく鋭い眼玉を光らせた。そして「これが山口の屋根だ」とも言った。食事を終えて立ち上ったとき「このつぎ菜香亭だけを撮りたい」と言った。しかしそれから間もなくこの世を去り山口を訪れることはなかった。
 その写真集には作家古川薫氏が「長州の光と影」という一文を寄せているがその中に
「林さんは山口県を大づかみに一個の被写体としてとらえ、各部分の特徴に沿って光の部分を考えた上で歴史的風景を浮び上らせようとしている」と書いている。
 菜香亭の写真取材はできなかったが30年前に一度林氏は日本テレビ番組の出演で菜香亭には来ており、菜香亭ゆかりの文化人のひとりである。


(平成22年6月28日発行第17号掲載)