◆ホテル・ヤマグチ

 スペイン領のピレネー山麓が丘陵地帯となり、さらに平野部へとパンプローナ市郊外を遠くサビエル城近くまでひろがるブドウ農園の一角にホテル・ヤマグチが存在する。
 1949年のサビエル四百年祭に建造されたキリスト教団の巡礼宿でパンプローナ市と山口が友好関係を結ぶ以前から存在するスペインと日本の歴史を感じる施設である。
 現在の山口八坂神社や旧菜香亭跡地は中世室町期に西日本を支配した大内氏の広大な築山御殿があった所で、1551(天文20)年の春フランシスコ・サビエル一行が絹の聖衣を着用して領主大内義隆に面会され、ゴアの司教ジョアン・デ・アルブケルの親書とオルゴール・時計・ワインなど13種類の献上品を贈呈している。
 当時大内義隆の念頭には山口を京都に次ぐミヤコにすることがあった。
 そのためには、主導権争いでの衰微してきた京都から公家、学者、文人などを招き、さらには明国、朝鮮半島、琉球に及ぶ国際交易を盛んにすることに熱心でありサビエルのキリスト教布教にも国際感覚で応じている。
 大内義隆とサビエルの会見後1554(天文13)年12月、パードレ・パンテザル・カゴ司教とイルマンジイルマン・ジョアン・フェルナンデス司教は山口への到着して降誕祭のミサを歌い―良き声にあらざりしがキリシタンたちは大いに喜びたり―とポルトガル本国への報告書簡が保存されている。 
 哲学者の和辻哲郎は著書「鎖国」の中に山口におけるシャビエル″の一節があり「山口の町では鹿児島と違い迅速に活発に伝道が開始された。町の人たちは新しい教導を聞くため熱心な質問が続き歯のない老婆までいてラテン語の主の祈りを暗記した」と。
 中世の山口住民が「十字架」の扉を開けた歴史は記念聖堂の鐘の音に籠っている。


(平成22年2月1日発行第19号掲載)