◆寺内正毅の書〜総理の筆跡

 明治初年以来、菜香亭を訪れた古いことばで文人墨客の書画が多く残されているが、そのなかでも山口県出身で菜香亭と関係のあった伊藤博文、山県有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三の8人に及ぶ総理大臣の扁額と掛軸が大広間に掲額されているのは圧巻である。
 最後に登場したのは明治の西南戦役で右手を負傷し筆を使うことがまれであった山口市宮野出身の総理大臣寺内正毅の書である。
 寺内はやはり山口市出身の山田顕義(日本大学、国学院大学創立者)の推薦で明治初年に陸軍士官となり西南戦役に従軍、田原坂の戦いで右手を傷めて以後は軍政や軍教育に関係し筆をもつことが少なかった。フランスに留学したあと陸軍士官学校校長や初代教育統監を歴任し軍教育全般に尽力、1902(明治35)年には桂太郎内閣の陸軍大臣をつとめ、山県、桂の継承者とし期待され1910(明治43)年に朝鮮総監となり1916(大正5)年に総理大臣となって元帥府に列せられた。
 寺内正毅の子息寺内寿一も陸軍大将で太平洋戦争シンガポール総攻撃で活躍して元帥となりめずらしく父子元帥が出現する。
 今回菜香亭に寄贈されたのは東京在住の寺内家からの「歳華改暦南山下 人唱昇平意自温」の朝鮮総督時代の書と、やはり寺内家と親交のあった周南市櫛ヶ浜 村井家による「廣公益開世務」の額の二幅である。
 山口県出身ではないが新潟県出身の田中角栄、島根県出身の竹下登両総理も菜香亭を訪れて扁額を残している。菜香亭を訪れたのは保守系ばかりでない。江田三郎、加藤勘十の革新系も書を残しているし筆墨の他に、大正末期の婦人雑誌に菜香亭を主題にして一年間連載小説で久米正雄の「天と地と」は全国的にも有名であった。


(平成22年6月24日発行第21号掲載)