◆菜香亭の漆器、山口の漆器

「まぁ!近頃のお客は輪島塗の吸物椀の蓋を灰皿にしたので輪島まで塗り替えに送りました。大内塗の本場であるのにどうじゃろうか」と嘆いたのは数年前生前の菜香亭主人斉藤清子さんがこぼした述懐であった。
 天平時代に中国から漆(うるし)絵(え)が伝えられ、室町時代には宗・元の漆器を和風化する技術が進み装飾性の強い斬新なデザインに古典美を加味する個性的な漆器が江戸期へと続く。
 古くから食器・茶碗は料理を飾る着物と言われてきた。着せることの妙によって料理をより味わい深く、美しくして食の個性美を演出する。それは器具に寄せる料理人の心意気といわれてきた。
 山口の伝統芸である大内塗も室町時代に中国大陸、朝鮮半島による交易で大内塗が創作され、朱塗椀、文庫盆、扇子、刀剣の鞘などが輸出されるようになり、毛利氏における江戸時代には主として藩用達の椀、膳などが制作されたが大内塗の呼称はこの時代にも続けられた。
 現在の大内人形はエゴノキの自然木を加工したもので、人形ばかりでなく塗り箸や盆、文箱も制作され山口市の誇る中世期からの伝承技能として全国版になっている。
 かつて民間放送の放送倫理審議委員会に委員として来山した女優の藤村志保さんは、菜香亭での懇親会で出された輪島塗の会席膳に驚きの声を出してしばし箸もとらず見とれていたことを思い出す。翌日藤村委員たちは瑠璃光寺の五重塔も見学したあと「山口は西の京であることをはっきり体感しました」と記者のインタビューに答えていた。
 懐石料理になくてはならないものは漆器であり、日本料理を海外にまで知らしめたのは、その器(うつわ)である。塗りこめられた深い底光り、時代的な光沢と風情は畳座敷にふさわしい技の心である。


(平成23年9月20日発行第22号掲載)