◆菜香亭酒興記

 明治32年2月25日〜午後より菜香亭にて会あり、引続き英語、独語の会を行う〜これは1897(明治30)年8月に金沢の第四高等学校教授から旧制山口高商の前身で旧制山口高等中学へ赴任した哲学の西田幾多郎氏の明治32年2月25日(土)の日記である。
 明治初年の開店以来平成に至る菜香亭には政財界人、旧制山口高商・高校の教授連、それに作家・詩歌人が来店し酒杯も重ねられた歴史が残存する。
 伊藤博文、山県有朋など明治期の元勲や前述の西田幾多郎等はさておき、大正期には作家久米正雄、俳人河東碧梧桐といった文人たちも酒を酌み交わしてきた。
 明治・大正以後昭和も終戦に至るまでの菜香亭には官公庁幹部の利用も多くて、朝日新聞の“菜香亭紳士録”に記載されたようにむしろ戦後になって開放的になっている。
 その紳士録にはおごうさん(斉藤清子)の話も記載されている。
「昭和の始め頃の山口には料亭がありません。集まりは菜香亭でした。知事さまも馬車で来られました。近くの通りには検番も、車屋(人力車)も10台くらいありました。その頃の湯田は旅館が少々ありました」
と祇園菜香亭を偲ぶ。
 戦後の昭和30年代に入ると山口市内には料飲店が急増して旧市内も湯田もにぎやかな夜が多くなる。
 山口県徳山生まれの写真家林忠彦氏が取材で来山中に菜香亭で夕食を共にしたことがある。2階の間で通称佐藤栄作の間と呼ばれている座敷だった。残暑厳しい9月中旬でウイスキーの水割りグラスを手にした林さんが部屋の東側の窓を明けると、彼は太い眼をさらに大きくして「おゝすごい」と声をあげた。
 眼下に夕暮れ近い百五十畳敷の大屋根が広がったからだ。菜香亭には酒と畳と甍に各時代の回想がひそんでいる。


(平成23年12月26日発行第23号掲載)