◆忘れ難き菜香亭の味覚

 かつて四温の日の3月、講演で来山した早大教授で歌舞伎評論家の河竹登志夫氏と私は菜香亭で会食したことを思い出す。飲みながらの話は、氏が出張先のプラハで知った旧八代目坂東三津五郎のフグ肝中毒死のことなどであったが、肴に出た小イワシの刺身に氏は山口の海を喰べているようだとチシャなますと共に酒杯を重ねた。
 やはり講演で同席の女優藤村志保さんも輪島塗の会席膳と共にイワシとチシャに大喜びだった。
 おごうさん(菜香亭女主人)は「まあ古びた膳や田舎料理で済みませんねーた。岸さんも佐藤さんも小イワシの刺身やメバルの煮付がお好きでございました。やっぱり田舎生れらしいねーた」と山口ことばで酒を注ぐ。
 岸、佐藤だけではない。菜香亭が明治初年に開業以来、亭名創作者井上馨以後、伊藤博文、山県有朋、桂太郎の明治から昭和の田中角栄、平成の安倍晋三に至るまで8人の総理が宴席を持ち亭名を付した揮毫を残す。保守ばかりではない。県議を最後に引退した共産党の山本利平氏も惜別の会を行い、県議、県庁マン、マスコミをふくめて百畳敷を満席にした思い出も残る。
 写実大作若き修羅の里−長州路″(講談社版)を制作中に菜香亭を訪れた県出身の写真家林忠彦と私は2階座敷でおごうさんを交へて夕食をしたことがある。忠彦氏が2階座敷(佐藤栄作の間)を開け、眼下にひろがる百三十畳敷の大屋根を眺め「すげえ!見事な瓦屋根だ!」と声を出しながらも水割りのグラスは放さなかった。
 その大屋根をもつ日本料亭の文化を支えつづけたおごうさんも、2年前の5月末に93才の生涯を閉ぢられたが今も亭の庭先には自慢の秋田フキの芽が伸びている。


(平成25年3月29日発行第28号掲載)