◆菜香亭移設10周年に想う 

 文化庁長官河合隼雄氏の意向に添って、菜香亭が現在地に移設されて10年になる。
 河合隼雄氏は文化庁長官以前、京都大学教授時代に出張講議で再三山口市を訪れ、菜香亭が明治初年以来現存する日本の料亭としての史的価値を認識されており、山口青年会議所等による菜香亭保存活動に理解を示され、東京上野の精養軒、熊本は開陽亭等と同じく現在に至り保存活用を山口市に一任され「市菜香亭」として今日に至った。
 菜香亭は明治初年に藩庁が萩から山口へと移設された際、長州藩の膳部職(料理支配人)齊藤幸兵衛が八坂神社境内の一角に迎賓館的料亭を開設し(祇園菜香亭)とした。
 料亭をひいきにした維新の志士であった井上馨が齊藤幸兵衛の名前から「齊」と「幸」を組み合せて「菜香亭」とし、亭名の扁額は井上馨の自筆で現存する。
 百五十畳の大広間には明治、大正、昭和、平成へと菜香亭を活用した政財界人、文化人の扁額が並んでいる。
 明治の政治家伊藤博文、山県有朋たちも菜香亭でワインと西洋料理を楽しんでいるが、これは上野精養軒で二年間西洋料理を修業した第3代幸兵衛が山口県ではじめて洋風料理を披露したものである。
 近代日本の歴史を秘めた市菜香亭は移設後10周年を経て、これからも山口文化の灯りを天花の一角に守り続ける。


(平成26年10月31日発行第34号掲載)