◆〜花燃ゆ〜に想う。

 現在NHKで放映中の「花燃ゆ」と同じ時代の明治初年に、藩政も替わり新しく萩から山口へと県庁は衣替して山口となる。
 萩から山口へ、毛利藩の御膳方支配人であった齊藤幸兵衛も山口へ移住し、野田の八坂神社ちかくに割烹料亭菜香亭を開業する。
 江戸藩政時代から新しく近代明治へと世の中が全く変わった息吹きに包まれてゆく頃である。
 当時の山口を知るひとつに、平凡社版の“日本歴史地名大系全国版36巻”は詳細に記述している。
 山口の家数1544戸、人口5710人、空屋103戸とあり、商店として酒屋、油屋、菜種屋、呉服屋、醤油屋、瀬戸物屋などが記録された。
 山口県風土誌の著作者の近藤清石の著述によると『萩より安芸を目指すとて、山口の竪小路より本町通りをよぎる頃は、酒、呉服店などあきなへる家の他は大体カヤ葺の家なり、旅人の松明を燃やして町中を歩行することは禁ぜられる』との記述もある。
 江戸時代の慣習も残る当時の山口に開店した菜香亭の営業は決して平坦ではない。
 しかし山口県政の中心地となった山口にあって、料亭維持の灯りを宿命のごとく灯しつづけた齊藤幸兵衛以後の努力は、山口における料亭文化を完成させた。
 菜香亭の亭名を揮毫した山口市出身の政治家井上馨をはじめ、料亭として活用した明治の伊藤博文、山県有朋以後明治から平成に至るまで、文化サロン菜香亭の果した業績に静かな花が香る。


(平成27年6月30日発行第37号掲載)