◆大広間下の間展示室企画展「大内文化〜祇園祭・雲谷派」開催


平成20年7月2日(水)より8月18日(月) まで、山口市菜香亭で、大広間下の間展示室企画展「大内文化〜祇園祭・雲谷派」展を開催しました。 
 大内氏の時代からつづいている山口の夏の祭り「山口祇園祭」に関する資料を展示しているもので、山口祇園祭の資料展は初めてです。また、雪舟の流れをくむ雲谷派の屏風を併せて展示しました。

 応安2年(1369)、大内弘世が京都より山口へ祇園社を勧請しました。この祇園社の祭りである山口の祇園祭は、長禄3年(1459)に始まったといわれています。大内氏壁書からは、館の築山築地の上まで見物人が群がり、制止に苦労している様子がうかがえます。 また祇園名物の飾山鉾山も永正18年(1521)にはすでにあったことが知られています。
 毛利氏の世に移っても祇園祭はつづきました。 鷺舞に、御上山、飾山三車、鉾山十七山が出、西国に名をとどろかせるほどの盛大な祭りでした。 江戸時代は、山口・小郡宰判(ほぼ現在の徳地町をのぞく山口市域)全域が祭りに参加して、各村々がなんらかの役割を担っていたことから、山口祇園祭は、山口を代表する祭りだったといえます。

 西門前町から出ていた飾山のために制作された人形頭部3体。飾山の資料は僅かしかなく、これはとても貴重なものです。明治45年、京都で制作されました。大変きれいに残っています。モチーフは養老の滝孝子伝説。【市歴史民俗資料館所蔵】

 室町時代から戦前まで山口の祇園祭には17台の飾山山車が出ていました。これはその飾山に立てられていた町名額です。
 左:寛政7年(1795)造 「竪小路」【市歴史民俗資料館所蔵】
 右:明治42年(1909)造 「東後川原」【八坂神社所蔵】


   現在でも祭期間中は御旅所で「鷺替」という福御籤が行われていますが、これは明治43年に始まったものです。 展示品はこの鷺替に関係する資料とおもわれ、貴重なものです。
 鷺替人形 青銅鷺・鷺置物〔展示提供:鷺替 宮崎孝博氏・佐々木正氏〕

 昔の山口祇園祭を撮影した写真を市民よりお借りして展示しています。これは昭和40年代の踊り屋台の風景です。かつては辻々で移動屋台の上で踊りを披露する催しがありました。

 また、祇園祭とならぶ山口の夏祭り「山口七夕ちょうちん祭り」の古写真を4点展示しています。上は昭和13年のちょうちん祭りの様子。【山口大学所蔵】