仏教はお釈迦様にはじまることはいうまでもありませんが、そのお釈迦様の教えを印度から中国に伝えられたのが達磨大師、それを中国から日本に伝えられたのが曹洞宗の宗祖、道元禅師であります。
曹洞宗の教えというのは、道元禅師の教えということになります。

一、坐禅 道元禅師の教えの基本は坐禅にあります。静かな処で、手を組み、足を組み、お経も読まず、説教もせず、只、黙って坐るということであります。それがお釈迦様の教えの基本であり、わが宗の基本でもあります。

一、仏性 「ぶっしょう」と読みます。昔から人間の本性は善であるとする孟子の「性善説」とイヤイヤ人間の本性は悪であるという荀子の「性悪説」があったことはご承知の通りですが、道元禅師は人間の本性はその何れでもないと説かれます。善とか悪とかいうものは、まだ浅いところに起こるもので人間の本性は善でも悪でもない。無色のもの、清らかなものであるといわれます。それを仏性といわれます。

一、他是非吾 「他は是れ吾に非ず」と読みます。他人は自分ではないということです。至極当たり前のことですが、人は過ちなどは他人のことのようにいいたがり、良い事は自分がした様に言いたがるものです。
中国で修行中の道元禅師が、ある日の炎天下、シイタケを干している老僧を見て、「若い僧にしてもらったらよいではないですか」と質したところ、その老僧は、振り返りもせず「他は是れ吾に非ず」と答えました。人にやらせたのではなんにもならんと言うのです。これを聞いて道元禅師は仏教とは何かを悟られました。

一、而今 「にこん」と読みます。目下、只今、今という意味です。道元禅師が修行のため中国に渡られ、まだ船の中に居られた時、中国の高僧がシイタケを買いに来られた。「これは好機」と思われた道元禅師は、「今夜船に泊まっていろいろと教えを」と言われたところ、「夕飯の支度があるから帰らねばならん」と言われた。「食事のことは一度ぐらいどなたかがされるでしょう」と言うと、「日本の修行僧は、まだ仏法の何たるかをしらんな」と嘲笑されたと言うのです。「今」をおいては修行はないと言う意でしょう。未来は来るか来ないのか分からない。過去は再び帰らない。あるのは「而今」だという教えです。

一、鏡中の影、水中の月 鏡の中の影も、水中の月も何れも幻影、その幻影のみを追い求めてはいけない。鏡に映る本体は「コッチ」に居るのであり、水中の獲物を捕まえようとして、口の餌を落ちした犬や水中の月を取ろうとして水におぼれた猿の話は他人のことではありません。

金峰山泉福寺〒759-1512 山口県山口市阿東徳佐中107
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歴代住職

金峰山・泉福寺の縁起


宗派 曹洞宗(そうとうしゅう)
本尊 釈迦牟尼佛
本山 永平寺(福井県)総持寺(神奈川県)
創立 慶長12年(1607年)
現在伽藍建立 宝暦9年(1759年)

曹洞宗のおしえ