昭和20年代、県卓球協会主体で、県東の柳井を中心に、高校生と一般が一体となった強化策が行われた。そのような中から、田舛吉二、田中良子(1954年世界選手権ロンドン大会、55年ユトレヒト大会日本代表)という名選手が出現。田舛は昭和26年インターハイ優勝、54年ロンドン大会では団体優勝の立役者として活躍。一方の、田中は、柳井高校時代の昭和24年に全日本選手権で優勝。世界選手権では、54年のロンドン大会では女子シングルス準優勝・女子団体優勝、55年ユトレヒト大会でも団体で優勝している。田舛、田中両選手のほかにも、当時、全国大会で活躍した選手は多くおり、また、昭和28年にはマッカーサー元帥杯全国都市対抗で柳井町(当時)が全国制覇をした。
 その後も多くのトップ選手を輩出しており「西の卓球王国」として名を馳せた山口県。1969年世界選手権ミュンヘン大会男子シングルスチャンピオンの伊藤繁雄、1967年世界選手権ストックホルム大会女子複優勝の広田佐枝子という世界チャンピオンをはじめ、全日本では阿部勝幸、阿部博幸、最近では、石川佳純というチャンピオンが生まれており、協会設立当時から絶え間なく多くの国際的プレーヤーを送り出してきた。
 近年の県協会の活動として特筆すべき出来事としては、以下の2点を挙げておきたいと思う。
 平成10年、協会に長年尽力された役員、全国大会で活躍した選手の顕彰制度をもうけ表彰することとしたこと。
 そして、平成11年には、委員会制度を創設。普及委員会で登録推進のため、県下各地で普及講習会を開催、登録を推進。それから11年連続で登録者が増加している。

日本卓球協会80周年誌より転載
















banner_jtta.gif